第3章 ゲートキーパーの贖罪 4
――十七年前、夏。
この圧倒されるほどに広大な海と、どこまでも澄み渡る空、そしてこの独特の香りを含んだ風に吹かれると開放的な気分になる。あとは、この全身を覆い尽くす、白い防魔服さえなければ最高の気分なのだが……。
私は今、海に来ている。と言っても休暇ではない、公務の真っ最中だ。
目の前で砂の城を築き上げているレオ様は、この国の第一王子。そして、私はその護衛の任に就いている。まだ四ヵ月目だが、文句なしの大出世といえるだろう。
モリカド一族の最高の名誉職は、何といっても国王の護衛任務だ。
私が第一王子の護衛を任されたということは、よほどのへまをやらかさない限り、将来王子が王位を継承してもそのまま護衛に当たる。つまり、将来の国王護衛任務は約束されたも同然。そうなれば現役引退後も相談役、長老といった地位も確実だ。
三歳になる娘も、少し生意気だが順調に育っているし、順風満帆の人生と言えるだろう。
立派な城もそろそろ完成間近というところで、王子がすっくと立ちあがった。
「いかがされましたか? 王子」
「なんか、かっこ良くない」
「そうでしょうか。そんなことは――」
王子が右手を突き出したと思った次の瞬間、快晴の天気だというのに視界が一気に奪われる。そして、その原因が砂の雨だと気付いて数秒後、取り戻した視界の先にはあれほど立派に作られていた砂の城は跡形もなくなっていた。
まだ七歳だというのにこの魔力。やはり王族は圧倒的だ。
国王からは『人に向けて魔法を撃つようなことがあれば、きっちりと叱りつけてくれ』と仰せつかっているが、機嫌を損ねて本気の魔法を撃ちこまれでもしたら、今着ている防魔服でさえ何の役にも立たなそうで背筋に寒気が走る。
「カズト様、王宮より緊急の伝令です!」
保養地の雰囲気を台無しにする叫び声に振り返ると、王宮警備兵が息を切らしながら封書を両手で差し出していた。少し向こうには、口から泡を吹く馬のぐったりした姿も見える。
黙っていても二、三日のうちには帰る予定だったのに、王都から遠く離れたこんな場所までわざわざ使者を馬で寄越すとは、一体どれほどの大事が起きたというのか……。
手紙を開封する手が震える。
やっと取り出した手紙にはこう記されていた。
『暴動勃発。王都は鎮静化の見込みだが、そちらにも王子を付け狙う集団がいる模様。援軍が到着するまで、その身に代えてもレオ様のお命をお守りせよ』
こうしてはいられない、王宮警備兵への礼もそこそこに王子の元へと急ぐ。
「王子、ちょっと早いですが、今日はもう帰りますよ」
「いやだ! まだ遊ぶ」
「しかし、もうすぐおやつのお時間でございますよ。きっと、みんな待ちかねております」
こんな、誰でも立ち入れる場所に居てはいつ襲われるかわからない。警備の行き届いた国王別宅へと戻るのが賢明だろう。
まだまだ遊び足りないと駄々をこねる王子を、何とかなだめて連れ帰る。不満のあまり魔法を暴発されないように祈るばかりだ。
――しかし、私の判断は誤りだったのかもしれない。
この国王別宅ならば、援軍到着まで充分に王子の身の安全が図れるだろうと考えたが、夕方に現れ始めた不穏分子は想像を超える人数だった。正門、裏門ともに分厚い人垣ができ、警備兵が何とか抑えているものの、いつ突破されてもおかしくない状況だ。
やがて、周囲を囲む高い壁に梯子が掛けられ始める。
このままでは、邸内に不穏分子が流れ込んでくるのは時間の問題。王子を引き連れ、隠し通路からの脱出という最後の手段に出る。もちろん、脱出すれば危険が去るわけではないが、このままここで囲まれるのを待つよりはましだろう。
「――いたぞ! こっちだ」
想像以上の速さで奴らは邸内に入り込んでいた。
手を引いていた王子を抱きかかえ、隠し通路へ続く道をひた走る。誰にも見つからないように使わなくては隠し通路の意味などないのだが、この分では邸内に逃げ場なんてないだろう。
七歳ともなれば体重もそれなりだ、抱える右手もさすがに痺れてきた。
そして、首にしがみつく王子は青い顔で震えている。それもそのはず、物凄い形相の大人たちが何人も追い掛けてきているのだから……。
「王子、後ろの者たちは悪い賊でございます。魔法で蹴散らしていただけませんか?」
「ダメだ。お父様に叱られてしまう」
普段は人に向けて魔法を撃ってはいけないと教育されているのに、臨機応変に今は撃っても良いとは、七歳では判断はできないだろう。いや、私に信用があれば違っていただろうか。
体力には自信があるので、私一人なら難なく逃げ切れる。だが、子供一人抱えるという不利はかなり大きい。だいぶ距離を詰められたところで、このままでは逃げ切れないと判断し、足を止めて振り返る。
「お、諦めてくれましたか。王子様を預けていただければ無事は保証しますよ。私たちは国王と対等に交渉したいだけですから」
額に大きな傷を持つ男が、先頭に歩み出て要求を突きつける。
圧倒的優位に立ったという自信か、表情に余裕が感じられる。身の安全を保障すると言ったが、これほどの暴力的行動に出たこの男の言葉など、一切信用できない。
それに王族が一般市民に屈するなど、あってはならないことなのだ。
教育係として、王子に最後のお言葉を掛ける。
「王子、良いですか。どんなときでもたくましく、高い誇りを持って生きるのですよ」
「何をブツブツ言ってるんですか? 選択の余地なんてないでしょう? キシシシシ……」
男は気持ち悪い笑い声を上げながら、ゆっくりと王子に手を伸ばす。
――ヒュルルルル……。
私は王子を抱きかかえたまま、血脈魔法を発動した。
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