第3章 ゲートキーパーの贖罪 2
店内は向こうへ行く前と変わらず、落ち着いた雰囲気と洒落たジャズが出迎える。
カズラは着ていた赤いコートをハンガーに掛け、ボックス席に座ると軽く伸びをし、私の仕事は終わったとばかりにくつろぎ始めた。生成りのニットにチェックのキュロットスカートは、この世界では別に珍しくもない服装だが、それをカズラが着ているというのがとても新鮮だ。
僕とアザミもカズラと同じ席に向かおうとすると、マスターが呼び止める。カウンター席へ着くように促されたので素直に従い、脱いだコートは畳んで隣の席に置く。
異世界人のカズラに案内された先が、異世界人と思われるマスターの店。そしてカズラは常連客のようにくつろぐ、これは偶然ではないだろう。
「このバーって、やっぱりどこか変ですよね」
「バーでもなんでもないわ、この部屋はこの人のただの趣味よ」
「えっ……。まさかそんな……」
異世界の人間が二人いることを怪しんだだけだったのだが、まさかそんな根底が崩されるとは思わなかった。
仕事帰りにふらっと立ち寄り、仕事の愚痴をマスターに聞いてもらいながらいい気分で酔って帰路に就く、良心的な値段で飲める居心地の良い店。そう思っていたのに店ですらなかったなんて……。だとしたらここは一体何だというのか。
「趣味とはなんだ。カモフラージュと言ってほしいな」
「はいはい、こっちの言葉じゃ何言ってんのか意味がわかんないわよ。
それにしてもあんたもあんたよ、商売だったら看板を出すなり、もっと客を集める努力するに決まってるじゃないの。おかしいと思わないなんて、やっぱりあんたはおたんこなすね」
確かにおかしいとは思っていた。
外に看板はないし、宣伝をしている素振りもない。いつ来ても客は自分以外に見たことがないし、そのくせ料金も格安だ。だから『これで経営が成り立つのか?』とマスターに尋ねたこともある。
だが返ってきた『ご心配には及びません』の一言で、そんなものかと流してしまった自分は、やはりカズラの言う通り『おたんこなす』と呼ぶべき思慮の浅さなのだろうか……。
「カズラ。おまえ、なんて口の利き方だ」
「だって、そんなこと言ったって……」
「私が招いたお客様に向かって『おたんこなす』とはなんだ。ちゃんと謝りなさい」
「わ、悪かったわよ……」
カズラのきつい言葉は今に始まったことではない。
今だって、『おたんこなす』という罵声を素直に受け入れてしまっていた。それも懐かしさすら感じながら。
しかし、今日の展開はいつもと違う。カズラに叱責の言葉が飛んだからだ。
いつも穏やかだったマスターが怒る姿は初めて見たし、ここまで従順なカズラも初めて見た。そしてこのやり取りを見て、かつて心のどこかで引っ掛かっていた名前を思い出す。
「そういえばマスターのお名前って、
「ええ、そうですよ」
「そして、モリカド カズラ……」
「何よ、気安く名字まで呼ばないでくれるかしら?」
色々な物事が繋がり始めて、何が偶然で何が必然なのか境界線が曖昧になる。
このままでは『全てはこの日のために』、なんていう運命まで感じてしまいそうだ。
「え、じゃあこの方はカズラのお父様なの?」
「ええ、お世話になっております。娘は王女様にご無礼を働いてはいませんか?」
「いえいえ、ご心配なく。お世話になってるのは私の方です。それにしても『カズト』さんて……」
向こうの世界で過ごした半月間、僕が名乗っていた名前が飛び出したので怪しんだのだろう。いぶかしい表情で、アザミがこちらに顔を向ける。
「いや……、あのとき咄嗟に浮かんだのがマスターの名前だったんで、つい……」
名乗っていた偽名の本人を目の前にしての種明かしは気恥ずかしい。
照れ隠しの作り笑いを浮かべていると、カズラから容赦のない言葉が飛ぶ。
「ほんと、あのときはびっくりしたわよ。父さんと同じ名前とか……。それにしても、偽名を使うなんてあんたは自分の名前に誇りはないわけ? もしも、正直に話してくれてたら、状況は違ってたかもしれないのに……」
「いい加減にしなさい、カズラ。レオ王子に向かって――」
「ちょ、ちょっと。一体何の話ですか」
突然王子と呼ばれて思わず動揺が走る。
レオ王子と言えば、つい昨日否定したばかりのアザミの兄ではないか。マスターは冗談のつもりかもしれないが、そんなことを言われると自分の方が間違っているのではと弱気になってしまう。
刺すような視線を感じてカズラを見ると、より一層蔑んだ目で納得の行かない表情をこちらに向けている。だが、待って欲しい。言い出したのは僕ではない、君のお父さんだ。
息つく暇もなく、今度は反対側から聞こえてきた、うっとりとした甘い声に視線を向けると――。
「兄さま…………」
こちらでは胸の前で両手を握り合わせ、一足早く実の兄との再会を果たしたつもりになっているアザミの姿があった。こちらはこちらで重傷だ。
マスターの一言から、室内は混乱の
「――ようこそお出でくださいました、レオ王子」
左手を胸に当て、右腕を背中に回し、まるで執事の挨拶のように改めてマスターが頭を下げる。
ここまでくると逆にもうどうでも良くなる。これが彼の作戦だとしたら、まんまと術中に嵌ったという奴だ。『レオ王子』を受け入れた訳ではないが、いちいち否定するのも煩わしいので、黙ってマスターの話に耳を傾けることにした。
「――さて、今こそ全ての疑問にお答えすると致しましょうか」
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