第3章 ゲートキーパーの贖罪

第3章 ゲートキーパーの贖罪 1

 ――この声は……。


 覗き窓なんて伺っている暇はない。

 チェーンロックを外すのももどかしく、急いでドアを開ける。

 そして、表に立つ真っ赤なコートを着た人物が口を開く間も与えず、僕は彼女にしがみついた。


「ちょ、ちょっと離しなさいよ。何すんのよ、変態……」


 最初こそ全力で引き剥がそうとしていたが、次第にその力を弱めていく。僕がやましい気持ちで抱きついているのではないと、感じ取ったのかもしれない。


「カズラ……、無事で良かった…………」

「心配掛けたみたいね……」


 なおも力任せに抱きしめる僕を振りほどくのを諦めたのか、カズラの左手は背中に、そして右手は頭へとそっと伸びる。僕はカズラの右肩に顎を乗せ、無事が確認できた感激にとめどなく、恥ずかし気なく涙を溢れさせる。


「カズラ……良かった……。良かった……」


 今日までどうしていたのか、そしてなぜここにいるのか、聞きたいことは山のようにある。それなのに、ただただこうして元気そうなカズラと再会できた喜びに、語彙力は低下し、同じ言葉をうわ言のように繰り返す。

 そんなひどい有様の僕に対して、こんなときでもカズラの言葉は彼女らしい。


「まったく……、本当に情けないわね……」


 だが、その口調はいつもの叱責ではない。そして、怒りや呆れの感情も感じられない。むしろ優しく包み込むような、そして喜んでいるような、そんな印象さえ受ける。

 そんないつもと違うカズラの態度に、アザミの言葉を思い出し掛けると――。


 突然頭に伸びていたカズラの右手に僕の髪の毛は鷲掴みにされ、身体を引き剥がすべく後ろへと引っ張られる。


「いたたたたた……」

「ちょ、ちょっとナ……アザミ。黙って見てないで、こいつ何とかしてちょうだい」


 背中の方からクスクスと、笑う声が聞こえてくる。

 その声の方へと振り返ると、口に手を当て、声を押し殺しながら、両方の目から涙を溢れさせるアザミの姿があった。どうやらカズラはそれに気付いたので、慌てていつもの調子を取り戻したようだ。

 僕は充分に再会のセレモニーを果たした。次はアザミの番だと抱きしめていた力を緩めると、カズラは僕の手を振りほどきアザミの元へと駆け寄る。


「カズラ……無事だったんだね。……すっごく……すっごく、心配したんだからね……」

「アザミこそ……。あんたまでこっちに来たってことは……。でも、また会えて嬉しいわ……」


 アザミとカズラは抱き合って再会を喜び合う。

 アザミは涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、背中に回した両手をもう絶対に離さないとばかりに、カズラのコートにシワが寄るほど強く握り締める。カズラも始めは気丈に振舞っていたが、涙につられたのか徐々に顔を崩し、今やアザミに負けず劣らずだ。

 さっきは衝動的に抱きついてしまったが、こうして少し離れてカズラの姿を眺めると、本当に無事だったんだとやっと実感が湧き、その喜びを改めて噛み締める。

 そして、さっきは気付かなかった大きな変化にハッとする。


「カズラ、その髪の色は……」

「今さら何言ってんの……。これが本当のあたしよ」

「カズラは王女に成りすますために黒く染めてたんですよ。そして、私は逆に赤く染めたんです」


 アザミと同じ赤い髪のカズラは、こうしてみるとまるで姉妹のようだ。

 やっと二人とも気持ちが落ち着いてきたようで、涙を拭いながら笑顔で話し始める。

 随分と玄関前で盛り上がっているが、話したいことは山のようにありすぎて、こんな場所では語り尽くせない。まずは、落ち着くためにカズラを室内へ招き入れようとしたが、なぜか真剣な顔で拒む。


「――今日は思い出話をするために、こんなところまで来たわけじゃないのよ」




 空を見上げても、どんよりとした曇り空。

 もうすぐ昼だというのに、太陽が顔を出していないせいか気温も上がらない。

 住み始めて四年にもなるこの街を、白い息を吐きながらカズラを先頭に三人で歩く。異世界から来たカズラに案内されているのは違和感しかないが、会わせたい人がいるから付いてきなさいと言われては追従するしかないだろう。


「カズラ……あの時は不甲斐なくて、本当にごめん……」

「こうしてお互い無事だったんだから、それでいいじゃないの。いつまでも気にしてんじゃないわよ」

「それであの後は――」

「そういう話は後よ。誤解を招くといけないからあたしは何も話すなって……。

 そんなこと言って、どうせ自分が得意気に語りたいだけに決まってるんだから……。本当、失礼しちゃう……」


 迎えによこした者の指示らしいが、あのカズラが言い付けを守るとは。

 途中から独り言になってしまい、質問を続けられる雰囲気ではなくなってしまった。浴びせたい質問の数々は今しばらくお預けらしい。それに、憤っている様子のカズラに話し掛けるのも、とばっちりが怖い。


 一方アザミは、目に映る景色に時折短い感嘆の声を上げたりしている。

 そして未就学児のように、自分の知識外のものを発見しては足を止め、僕に詳しい説明を求める。僕もつい、余計な薀蓄うんちくまで交えてしまうので一向に足が進まない。


「アザミ、話が終わったらいくらでも時間あげるから、今は先を急いでくれないかしら」

「ごめんなさい、つい気になっちゃって」


 そう言ってアザミは舌を出し、カズラは呆れ顔で首を横に振りながらうなだれる。

 そんな二人のやり取りが、向こうの世界に居た時よりも生き生きしているように感じる。やはり向こうでは周囲を偽るために立場を入れ替えたり、常に気を張ったりと無理をしていたのだろう。

 当時は、僕よりも年上なのではないかと錯覚するほど大人びて見えたが、今の二人はあどけない女の子と言う方が相応しい。


「そう言えばあんた、この世界でずっと暮らしてたのよね? よくこんな騒々しい所に住めるわね。あたしは頭がおかしくなりそうだわ」

「すぐ慣れると思うよ」


 どうやら僕が、元々はこっち側の人間だということも知っているらしい。

 カズラとの再会は嬉しいが、次々と浮かぶ謎に僕は困惑する一方だ。さっきは聞きそびれたが、話の流れに沿ってさり気なく尋ねてみる。


「どうして僕の家がわかったの?」

「それも目的地に着いてからよ。全部まとめて教えてあげるわ」


 やっぱり今は、何があっても聞き出せそうもない。

 目的地とやらに着けばわかるというから急ぐこともないが、その場所も問題だ。カズラがどこへ向かっているのかは道順を考えれば大体想像がつく。元々近いうちに訪ねようと思っていたあの場所に違いない。


「カズラ、僕は行き先に見当がついてるんだけど、危険はないんだろうね?」

「当たり前でしょ、あたしを信じなさい。アザミを悲しませるような真似は絶対にしないわ」


 カズラがここまで言うのだから心配はないのだろう。

 僕の予想に間違いがなければ、目的地は次の角を右に曲がってすぐだ。


「ここよ、入って」


 カズラが指差したのは、やはりかつて僕が隠れ家にしていたバーだった。

 そして、秘密の合図のような独特のリズムでノックをするとドアが開かれ、旅立つ前と変わらぬ渋い声で、マスターが僕たちを店内に招き入れる。




「――いらっしゃい。お早いお帰りでしたね、山王子さん」

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