第7章 初めてのお使い 4
「――遅い! 一体どこをほっつき歩いてたのよ」
門をくぐるなり、相変わらずの怒鳴り声を浴びせてくるカズラ。
玄関前で待ち構えていたのは、これを真っ先に言いたかったからなのか。
だがそんな、いつも通りの言葉が今は嬉しい。とても温かいお出迎えに感じる。
正直に話せば長くなるし、余計な心配を掛けるだけ。ここは、こんな状況を一気にごまかせる、魔法の言葉を使う。
「ちょっと道に迷っちゃって……」
頭を掻いて照れ笑いまでして見せたのは、蛇足だったかもしれない。
呆れ顔でため息をつくカズラ。背を向けて「早く来なさい」と短く告げ、家の中へと足早に消えていく。
魔力絶対主義に打ちのめされてきました、と正直に言えば良かっただろうか。
昨夜のカズラの迫真の演説が、頭の中で再現される。
訴えていた理不尽さの数々も、今なら理解できる。
あの程度の冤罪でも、やるせない憤りを感じて、涙まで浮かんだ。そんな僕の何倍も、彼女はきっと辛い思いをしてきたのだろう。
強気に振る舞っている胸の内に、どれだけの悲しみを閉じ込めているのかと想像すると、居ても立っても居られなくなる。
そして、次の瞬間にはカズラに駆け寄り、背後から両肩に手を掛けて力強く揺さ振っていた。
「僕にできることがあったら、何でも言ってくれよな!」
「ちょ、ちょっと……突然何すんのよ」
驚いた表情で振り返ったカズラは、そのまま回転を効かせて右手を振り上げる。
次の瞬間、見事に乾いた音を響かせて、またも僕の左頬に鮮やかな手形を浮かび上がらせた。
「あ、そこまでするつもりはなかったんだけど……。わ、悪かったわ」
取り合えずビンタしておいて、後でその必要性を考える彼女の恐ろしさ。
もちろん、突然脅かすような行動をしてしまった僕にも落ち度はあるのだが。
「お前さんどうしたよ。その頬っぺた」
「何があったんですか? 大丈夫ですか?」
寝室では、アザミとケンゴが模様替え作業をしていたが、部屋に入るなり心配そうな顔で駆け寄る。
二人揃って気に掛けるということは、よほどくっきりと手形が付いているのだろうか。「ちょっとした行き違いで」と適当にごまかして、僕も作業に加わる。
「で、頼んでた物は?」
頼まれた買い物は部屋の壁紙とカーテン、柄は花柄でとの指定だ。
差し出されたカズラの右の手のひらに、品物の入った手提げの紙袋を掛け、さらにその上にお釣りを乗せる。
するとカズラは、さっそく巻かれている壁紙を広げ、柄の確認をする。
「へえ、思ったよりいい柄じゃない。あんたにしては上出来だわ」
「あ、カズラ上機嫌ね。バラの花、お気に入りだもんね」
カズラからの珍しい褒め言葉に、こちらも上機嫌になる。
イメージ的にバラが好きそうな予感がしていたが、どうやら正解だったらしい。
ちなみにアザミ柄はないかと少し探してみたのだが、地味すぎるせいか、やはりなかった。さらにカズラ柄はとも考えたのだが、花など咲くのかすら想像もつかず、早々に諦めた。
さっそく、ケンゴと二人で壁紙を貼っていく。
元の世界でも、壁紙貼りというのは空気が入ったりして苦労したものだが、こっちの壁紙には糊など付いていない。さらに、板がむき出しのこの壁では糊付きも良くないので、思い切って小釘で打ち付けていく。
一方、カズラとアザミはカーテンの取り付け。
木製のカーテンレールとはおしゃれだが、こちらの世界ではこれが普通なのだろう。だがどうしても高い位置にあるので、二人は悪戦苦闘中だ。
踏み台を使いながら必死に腕を伸ばし、それでも足りずに背伸びまでしている。
「そんなに無理しなくても、後で僕がやるよ」
「これぐらい問題ないわよ。あんたはそっちに集中しなさい、曲がってたりしたら承知しないから」
壁紙を貼りながら心配になって声を掛けたが、大きなお世話らしい。背伸びまでするほど、目一杯に腕を上げて必死なくせに。
そんな健気に頑張る姿を微笑ましく見ていたが、半そでの袖口が無防備なことに気づき、慌てて目を背ける。
さっきひどい目に遭ったばかりだというのに……。
壁紙を貼り終え、カーテンも下がった。
そして、希望通りの位置に家具も設置した。
ここまでやれば、僕たちの手伝いは終了だろう。
これ以上余計な手出しをして、『触らないでよ、変態』と罵られてもたまらない。なので、後の細かい部分は本人たちに任せるとしよう。
寝室の入り口から全体を見渡してみると、昨日までとは見違えた。これぞ女の子の部屋、という感じだ。
壁紙とカーテンで雰囲気が明るくなったのが一番の要因だろう。ということは僕のセンスも捨てたもんじゃないか。
「鍵もバッチリ取り付けといたぜ。残念だったなカズト」
「え、それってどういう意味ですか」
「また事故を装って、変態に覗かれちゃたまんないものね」
「あれは本当に事故ですって……」
目撃したのはアザミの着替えなのに、まるで被害に遭ったのは自分みたいな言い草のカズラ。それに『事故を装って』じゃない、本当に事故だ。
だが、アザミも肩を震わせて笑っている。もう許されたと思って良さそうだ。
「じゃあ、服の整理とかあるから。もう、覗かないでよね」
「もうって何ですか。しょっちゅう覗いてるみたいな言い方じゃ――」
不平の言葉を言い切る前に、遮るように音を立ててドアが閉められる。
そして、そのドアとぶつかり合い、軽やかな音を立てる木製のプレート。
こんな物ぶら下がっていたかなと疑問に思い、隣にいたケンゴに指をさして尋ねてみる。
「これは?」
「【カズラとアザミの部屋】って書いてある。俺の手作りだぜ」
そう言ってケンゴは、寝室を後にして居間に向かう。
僕も後を追いながら、たまには仕返しとばかりに意地悪を言う。
「ドアプレートといい、寝室の模様替えといい、二人に甘すぎるんじゃないですかー?」
「あったりめえだろ。あいつらはもう、俺の娘みてえなもんだ」
そう言えば先日、元の世界に『女房と娘を残してきた』と言っていた。
時々カズラとアザミに見せる思い入れのような感情は、娘の姿を重ね合わせていたのか。軽い冗談のつもりだったが、余計なことを言ってしまったと後悔する。
しかし、しんみりするのはケンゴも望まないだろう、わざと明るく話を続ける。
「王女が娘だったら、ケンゴさんは国王ってことになるじゃないですか」
「――おうよ、俺だって一国一城の主だからな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます