第7章 初めてのお使い 2
街を一人で歩くのは、こっちへ来た日以来だ。
文明の遅れで不便を感じることは多い。そうはいっても、生活習慣にそう大きな違いはないし、言葉だって通じる。
唯一の困難といえば、文字が元の世界と違うことぐらい。だがそれも、ボチボチと覚えれば、この世界でも難なくやっていけるだろう
そんな楽観的なことを思いながらも、未だに収入源に目処は立っていないのだが。
さすがケンゴの地図。迷うことなく、見覚えのある大通りに出た。
先日の買い物でも来た、この商店街。道の両側に店が立ち並び、人通りも多く、今日もまた賑わっている。
借りている服のお陰で、初日のようにコソコソと人目を忍ぶ必要はない。さらに今日は一人なので、誰かに気を遣う必要もない。それだけのことで、以前来た時とは違う街にさえ見えるから不思議だ。
顔を上げ、のんびりと自分のペースで街を歩くと、すれ違う人々も違って見える。
そして、服の着こなし方も人それぞれに、色々な個性があることに気付く。
どうしてもカズラとアザミばかり見ているので、女性ならこの服は着物のようにキッチリと着るのが普通だと、勝手に思い込んでいた。だが、わざとゆるやかに着崩している人も、時々見かける。
そんな女性とすれ違うときは、ドキドキしながら歩みがゆっくりになるのは、男の性か。
そして、豊満なバストを揺らしながら歩いてくる女性が、また一人。
色気を身に纏う、見とれるほどの美人。さらに色っぽく服を着崩す。自分でもその魅力がわかっているのか、見せ付けるように裾も大胆に短い。
そして一歩、また一歩と足を繰り出す度に、合わせの部分がスリットのように開き、そこからチラリと覗く太ももがとても艶かしい。
今回ばかりは、歩みをゆっくりどころか、足を止めてじっくり観察したい。いや、買い物をほっぽり出して、ついて行ってしまいたいぐらいだ。しかし残念ながら男連れ、きっと彼氏だろう。
視線に気づかれれば、彼氏に絡まれかねない。ここは時折のチラ見で我慢だ。
しかし次の瞬間、男なら視線を釘付けにせざるを得ない場面に遭遇する。
――目の前の美人の服の裾を、腰まで一気に捲くり上げる突風。
そんな猛烈な強風が、僕の背後から吹き荒れた。
さらに風は止むことなく、緩く着崩していた彼女の服をパンパンに膨らませる。
そして耐え切れなくなり、はち切れる帯。離れ離れになる衿。上半身までもが、あられもなくさらけ出される。脳天を直撃するほどの輝かしい光景。
彼女は甲高い悲鳴を周囲に響き渡らせながら、咄嗟に衿を手繰り寄せて前を隠す。
しかし、残念ながらもう遅い。一部始終はすでに、まぶたに焼き付いている。
――こんな素晴らしい現場に遭遇できた幸運を神に感謝。
羞恥のあまり、真っ赤な顔で座り込む彼女。
不謹慎で申し訳ない限りだが、頭の中に繰り返されるさっきの光景。
そして全身を硬直させて棒立ちになっていると、怒声が耳を貫いた。
「貴様、俺の女に何しやがる! 今の風は魔法だろうが!」
人差し指を突き付けながら、物凄い剣幕でこちらに向かってくる男。彼女と腕を組んで歩いていた彼氏だ。
とんだ濡れ衣。魔法が使えない僕にとっては、今の突風が魔法の仕業だったことすらも、考えが及ばない。
いや、まてよ。ひょっとしたら強い願望のせいで、突然覚醒したとか?
もしそうだったとしても、それは故意ではない。本気だったらもっとさりげなく、ばれない様にやる。
だが、そんな弁明を聞き入れてくれるような余裕は、この彼氏にはないだろう。
それどころか、そんな猶予も与えられずに容赦なく、その手が伸びる。
「ご、誤解ですよ……」
掴みかかられては大変だ。慌てて最小限の弁明をしながら、伸ばされる腕から逃れるように、身を翻して避ける。
すると、彼氏の腕は僕の身体を通り過ぎ、さらに後ろへと伸ばされた。
不思議に思いながら、その腕の伸びた先を目で追うと、彼氏が襟首を掴んだのは僕のすぐ後ろの男。どうやら、この男が真犯人らしい。
見た感じ僕と同じぐらいの年齢の男は、熱くなっている彼氏とは対照的に冷ややかな目で、ニヤニヤと見下すような態度を取っている。
「放してくれよ。証拠でもあんのかよ」
「ずっとニヤニヤしながら俺の連れのこと、嘗め回すように見てただろうがよ!」
ああ、危ない。やはりガン見していたら、絡まれたのは僕の方だった。
だが油断していると、こっちまでとばっちりを食い兼ねない。
ここは少し距離を取って、この一触即発の状況を見守る。
「だからー。俺が見てたのと、あんたの彼女の服がはじけ飛んだのと、何の関係があんだよー」
「てめえが魔法でやったんだろって言ってんだよ!」
「知らねーよ。偶然風が吹いただけだろー。ご馳走様でしたー」
「ざっけんなてめえ!」
その飄々とした男の態度に、彼氏はたまりかねたようだ。
拳を握り締めて、殴りかかる彼氏。だが、まだ振り抜きもしないうちに、そのまま腕がだらりと垂れ下がる。
血があふれ出す二の腕。パックリと大きな切り傷ができている。
一体いつの間に。これも魔法なのか? 男は、何の動きも見せなかったのだが。
さらに、苦しみだす彼氏。
喉に手を当て、顔色も紫色になりかけている。息ができないのか?
黙って見ている場合ではない。慌てて駆け寄ろうとすると、彼氏が激しく咳き込んで息を吹き返す。
「この野郎……」
やがて顔色も戻り、また威勢よく男に掴みかかろうとする彼氏。
すると再び、苦悶の表情を浮かべて、喉の辺りを押さえながら膝をつく。
そして、それをニヤニヤと見下ろす男。
――間違いない。この男の仕業だ。
直接手は触れていない。手を突き出す構えも見せていない。
だがこれは、絶対にこの男の魔法だ。
彼氏は魔法が使えないのだろう。どうみても、一方的な弱い者いじめだ。
手加減はしているのかもしれないが、面白がっていたぶっているこの状況は見るにたえない。魔法の防ぎ方など見当もつかないが、我慢できずに飛び出す。
「もう充分でしょ。止めてあげてくださいよ」
「止めるって何を? 俺は何もしてないよー」
男は一瞬だけこちらに視線を向けると、またしても飄々とした返答をする。
確かに目に見える証拠なんてない。
でもこの状況なら、誰が見たってこの男の仕業なのは明らかだ。にもかかわらず、しらを切れるとはどれほどの神経の持ち主なのか。
「いや、この状況で何もしてないわけないでしょ」
「ふーん、君も証拠もないのに、俺を疑っちゃうんだー」
そう言うと彼氏に背を向け、完全にこちらに向き直る。
睨みつける男の目は眼光鋭く、その底知れない恐ろしさのせいで背筋に寒気が走る。これは完全に標的を、こちらに切り替えられてしまっただろうか。
我慢できなかったとはいえ、自分の軽はずみな行動を後悔する。
そして男の目に、より一層力がこもる――。
「お前達、いい加減にせんか!」
新たな怒鳴り声に我に返り、周辺をうかがうと結構な人だかり。
気づいていなかったが、こんな状況になっていたとは。
そして人だかりが注目する方を見ると、堅苦しい服に身を包んだ男が、険しい表情でこちらを睨む。
制服のような出で立ちの男は、警察官のようなものだろうか。
少なくともこれで、窒息はせずに済みそうだ。急いで事情説明を始める。
「あ、こ、これはですね――」
「しばらく前から見ていたから、状況はわかっている」
話を遮られるが、見ていてくれたというのならもう一安心だろう。
何とか彼氏も無事そうだし、僕も苦しめられずに済んだ。後は、この男を逮捕でもしてくれれば一件落着だ。
警察官のような男は腰から手錠らしき物を取り出し、静かに力強い声で威圧する。
「大人しくしろよ」
――僕の両腕に手錠が掛けられた。
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