第7章 初めてのお使い

第7章 初めてのお使い 1

「――ベッドはそっちよ。頭はあっち向きで……」


 まだ眠気も覚めない朝っぱらだというのに、張り切るカズラ。

 さっきからあれやこれやと、その指示に振り回されっぱなしだ。


 昨日正式にケンゴからもらった、拠点にしていいというお墨付き。そしてカズラとアザミには、好きに使っていいと寝室が提供された。

 さっそく始まった模様替えだが、これは改装といっていいレベルだ。

 昨夜の『楽しみにしておきなさい』はこれだったか。ただの雑用で、汚名返上とはほど遠い。


「すみません、朝早くから手伝っていただいて……」

「いいのよ、カズトは自分から『全力で協力する』って言ったんだから。……あ、そのタンスはそっちの壁ね」


 ずっとこの調子だ。まあ、いつものカズラだが。

 アザミぐらいの謙虚さで頼まれたら、こっちだって大喜びで手伝う。だが、これほど当たり前のようにこき使われると、後悔しか浮かばない。ああ、安請け合いするんじゃなかったと。

 まあ、一国の王女様なら、多少のわがままも仕方のないところか……。

 空っぽにしてあるとはいえ、結構な重量のタンスの移動を完了させると、またすぐに次の指示が下る。


「ちょっとあんた、これ買ってきてくれない?」


 カズラから、言葉と共に手渡された数枚の紙。

 この肖像画が描かれた、手のひらに余る大きさの紙は紙幣だろう。同じ物が三枚。価値はさっぱりわからない。

 さらに一番上に重ねられた、何やら記号が書かれた手書きの小さめの紙。状況から見て、これが買い物リストだろう。

 もちろん何が書かれているのか、皆目見当がつかない。


 文字が読めないとは、なかなか言い出せない。

 そんな最低限の常識を持ち合わせていないと知られれば、間違いなく素性を怪しまれる。そうは言っても、読めないものをいつまでも握り締めていたところで、読めるようになるはずもない。

 仕方なく正直に話そうかと、重い口を開きかけると――。


「はいはい、不満を口にする前にさっさと行ってらっしゃい」


 カズラが僕の左腕を掴み、ドアまで連行。そして、開かれる。

 その横で、右腕をお腹の辺りで水平にして、ドアの外に向けるカズラ。まるで執事が、外出を促す素振りだ。

 さらに、滅多に見せない可愛らしい表情で、首を傾けて僕に笑いかける。

 後を振り返ると、アザミまでもが申し訳なさそうに頭を下げて、お見送りの構え。


「お手数かけてすいません。よろしくお願いします」


 アザミにも正式にお願いされて、とてもじゃないが言い出せる雰囲気じゃない。

 それでもやはりと、ドアを出たところで正直に言おうと振り返る――。


「それじゃ、お願いね」


 右手を顔の横で振り、またも最高の笑顔でカズラに見送られる。

 そしてそのまま、静かにドアが閉められた。


 ――どうしようか。


 肩を大きく落とし、肺の中の空気を全て吐き出すほどの、大きなため息が出る。

 だがいつまでも、こうして寝室の前で突っ立っていても仕方がない。

 何とかやってみようと、向かう玄関。しかし、膨らみ出す不安。

 まあ、店に行ってこのメモを見せれば何とかなるか。

 いや、その前に何を買うのか読めていないのに、どの店に行けばいいのか。

 いやいや、そもそもこの間の商店街へは、どうやって行けばいいのか……。


 とりあえず玄関を出たものの、やっぱりと思い返し、寝室の窓を見る。

 そこには手を振って、笑顔で見送るアザミの姿。

 ここにもいたたまれず、無言の圧力に押し出されるように、すごすごと門から敷地の外へと出る。


 寝室の窓から死角になっている門柱の陰で、ひとまず腰を下ろす。

 もはや残された手段はたった一つ。

 待機。

 ひたすら待機。

 門柱に寄りかかり、膝を抱えて座り込んでいると、目の前で人影が立ち止まる。


「こんな所で、しょぼくれた顔して何してんだ」


 見上げると、そこには先に買い物に出ていたケンゴの姿。

 最後の希望の帰還に、安堵のため息が漏れる。

 そして、カズラに手渡されたメモを差し出しながら、沈んでいた理由を明かす。


「いや、実は買い物を頼まれちゃいまして……」

「ああ、なるほどな。読めねえよな、お前さんにゃ」


 そう言いながらケンゴは、メモの裏にポケットから取り出した鉛筆で、鼻歌交じりに日本語訳を書き記していく。さらに余白には、所狭しと店の場所を示す地図まで。

 これでなんとか、面目は保てそうだ。

 そして、この世界の文字も早く覚えないといけないなと心に刻みながら、地図を頼りに商店街に向けて歩き出す。

 そこへケンゴから、父親のような気遣いの言葉がかかった。




「――カズト、気をつけて行ってくるんだぜ」

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