第14章 それぞれの想い 3

 明日はいよいよ決行日――正確には深夜二時だから明後日になるが――だというのにケンゴは、「ちょっと野暮用があるからよ」と朝早くから出掛けてしまって、アザミと二人で隠れ家に取り残されてしまった。

 二週間ほど一つ屋根の下で同じ釜の飯を食べ、随分と気心の知れた仲になったというのに、二人きりになった途端微妙に調子が狂う。特に話したいことがないのなら黙っているという選択肢もあるのに、この間を取り繕わねばという使命感に駆られる。


「あー、ケンゴさんは……、えーと、どこへ行ったんだろうね」

「明日はもう当日だというのに、困っちゃいますね」


 しゃべり始めてから、そのしどろもどろさに後悔する。

 アザミはいつも通りだというのに、何を意識しているんだろう。意識するなと言い聞かせるが、そんなことをすれば逆効果なのは自明の理、次の言葉に詰まるほどギクシャクしてしまう。

 ついこのあいだ、カズラと二人きりで留守番をした時にはこうはならなかったのにとふと思ったら、続けざまにあの日の光景が頭に浮かぶ。一緒にやった洗濯、風呂掃除中の会話、忘れられない昼食……。

 あれからまだ四日、気持ちを切り替えられるほどの時間はまだ経っていない。ちょっとしたことでこうしてカズラの思い出が頭をよぎり、その度に胸が詰まる。そして、こみ上げた心情を悟られないようにアザミに背を向ける。


「どうしましたか? 大丈夫ですか?」


 やはり不自然に映ってしまったのか、アザミが心配そうに声を掛ける。

 感極まったまま返事をすると、声が裏返って余計に怪しまれそうなので、黙って二回首を縦に振って返事にする。


「カズラのこと、考えてたんでしょう」


 こんなときに限ってやけに鋭い。女の勘というやつだろうか。

 図星を突かれて動揺する僕をよそに、さらに言葉が畳みかけられる。


「カズラはカズトさんのこと、大好きでしたもんね」

「え!?」


 アザミの予想外の言葉に面食らって、うっすらと目に涙を溜めたままだというのに反射的に振り返る。


「気付いてなかったんですか?」

「そ、そんなはずないよ。むしろ僕なんて情けなくて軽蔑されてたんじゃ……」


 僕の返答にアザミはため息で返す。

 そして寂しそうな表情を浮かべるが、やがて顔を引き締めると、強い口調で僕に諭すように話し始める。


「いいですか、あれほど他人に心を開くカズラなんて珍しかったんですからね」

「え、でも……」


 そう言われても咄嗟に信じることはできない。

 何しろあの口調にあの態度、そして出てくる言葉はあの憎まれ口だ。カズラが素直じゃないのは理解していたつもりだが、それを差し引いても好意を持っていたようには思えない。

 その不信感が顔に出てしまっていたのか、煮え切らない僕に、アザミは頬を膨らせながら具体例を挙げていく。


「カズトさんにお使いを頼んだ時なんて大変だったんですよ。帰りが遅い、何かあったんじゃないか、頼んだ私の責任だって」

「そんなことが……」


 そう言えば、あの時は帰り着くなり玄関前で待ち構えていた。掛けられた言葉は罵声だったが。


「それにね、攫われたあの日だって……」

「何かあったの?」

「人見知りするカズラは、他人と二人切りなんて絶対嫌がるから私も残ろうとしたんです。でもあの子ったら『私なら心配ないから、ケンゴに付いて行きなさいよ』って」

「そうだったんだ……」

「防犯ブザーだってカズトさんにもらって以来、肌身離さず身に着けてましたからね」


 アザミは得意気に、これまでのカズラの振る舞いを並べ立てた。

 これだけの証拠を突き付けられては、アザミの主張を受け入れない訳にもいかないだろう、カズラが僕に好意を持ってくれていたという話を。

 そのことを消息を絶つ前に知っていたら、何か変化があったかどうかはわからないが、こうしてどうすることもできなくなってから真実を知るというのはやるせない。

 肩を落とす僕に、アザミはカズラとの思い出を語り始めた。


「カズラの一族は代々王族に仕える家柄だったから、小さい頃から良く一緒に遊んでました。

 両親は仕事で忙しくて、家にいないことが多かったらしいんです。だから、あんな風に自立心が強いしっかりした性格になったんでしょう。私とカズラは同い年だけど、いつもお姉さんみたいに思えて、何かあるといつも泣きついてました。

 王女の私が甘えてばっかりだったから、強がってでも気丈に振舞うようになっちゃったのかもしれません。いつもあの調子だから、誤解されても仕方ないですよね」


 誤解などしていないと言えば嘘になる。現に最初、アザミの話を聞いても半信半疑だったのだから。

 昔のカズラの話を聞いて、二人の関係に興味が沸く。


「二人はほんとに仲良しだよね。どうしてそこまで仲良くなったの? きっかけでもあった?」

「そうですね……あの時かな。十二歳の誕生日、私に魔力がないと診断された日。

 部屋に閉じ籠ってずっと泣き続けてたんです、二日間ぐらい……。侍女さんも距離を置く中、子供だったからかもしれませんが、そのあいだ中ずーっとカズラはドアの向こうで励まし続けてくれてたんです。でもそのうち静かになっちゃって、とうとうカズラにも見放されたのかと心配になってドアを開けたら、彼女が部屋の前で寝息を立ててました。思わず抱きしめて、大泣きしちゃって…………。

 私にとって、カズラが家族以上の存在になったのはあの日以来かもしれませんね」


 健気な話に胸を熱くする。

 確かにそんなエピソードがあったら、固い絆で結ばれそうだ。


「私に魔力がないことがわかって、周りから冷遇され始めても、カズラだけは変わらずに一緒に居てくれました。むしろ、一緒に家を出ようって誘い出してくれて……。

 あの子はしっかりと魔力も受け継いでいて、何の負い目も感じずに普通の生活が営めたはずなのに……、私のことなんて気遣ったばっかりに…………」


 アザミは感極まったようで頬に涙が伝う。

 やはり、思い出話としてカズラの話をするには時期尚早過ぎる。僕自身もまだ気持ちの整理がつかず、大した慰めの言葉も掛けてやれない。


「大丈夫、悪いのはアザミじゃない」


 アザミはしばらく考え込んでいたが、自分に言い聞かせるように二回ほど頷くと、涙を拭いもせず顔を上げ、訴え掛けるような笑顔でねだる。


「カズトさん、このあいだのあれ、やってくれませんか?」

「え? あれって……?」

「ぎゅってしてくれたじゃないですか。あのとき、とっても心が落ち着いたので……」


 あれというのはやはり、ここへ逃げ込んできた時のあの行動だろうか。あれは必然的な雰囲気だったからできたのであって、ねだられたからと言っておいそれとできるようなものではない。

 どうしたものかと戸惑っていると、アザミの方から積極的にしがみついてきた――。


「お願い……」


 アザミは僕の胸に顔を押し当て、脇から背中に腕をまわす。

 最初こそ、身体に押し付けられた柔らかい感触に困惑したが、アザミの顔の辺りの服が涙で湿って行くのがわかると迷いも消えた。左手をそっと背中にまわし、右手でそっと頭を撫でてやる。

 どれぐらいの時間こうしていただろう、やがてアザミは安らいだ表情を浮かべ、静かに寝息を立て始めた。

 

 アザミの安らかな寝顔を眺めていると、背後に人の気配を感じる。

 誰かは想像がつく。恐ろしくて振り向けない。

 だが、振り返る必要もなくケンゴの冷やかしの言葉が掛かる。




「――新婚旅行は日本なんてどうよ」

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