第3章 望む者、望まざる者 3
アザミとカズラは寝室へと消えた。
今頃はケンゴのベッドで、窮屈そうに寝息を立てていることだろう。
今日味わった生命の危機と、そこからの逃走劇。食欲の次は、すぐにでも睡眠欲を満たしたくなって当たり前。
本当は僕もすぐにでも寝たかったのだが、どうしても確かめなければならないことがある。他に人がいてはできない大事な話。今が千載一遇のチャンスだ。
居残った居間のテーブルに、ケンゴと差し向いに座る。
「ケンゴさん、実は聞きたいことが……」
「そう言うだろうと思ったよ。で、何から聞きてえんだ?」
聞きたいことは山のようにある。
だがそんな質問の数々も、最初の質問の回答次第で全てが無意味になる。
きっと、間違いはない。
いや、間違いないはずだ。
確信はできているつもりだが、もし違ったらと思うと、つい
「質問は三つまで……、なーんてケチ臭えことは言わねえから、遠慮なく聞いてくれ。もっとも、答えられるのは俺が知ってることだけだがな」
なかなか質問を切り出さない僕を気遣ったのか、それとも苛立っているのか。
遠回しに催促するような言葉をかけるケンゴ。
最初の質問は決まっている。
イエスかノーか、答えは二つに一つ。
どうせ今さら変わる答えでもない。そう決心して、おずおずと尋ねる。
「最初に確認なんですけど……。ケンゴさんは、あっちの世界から来た人でいいんですよね?」
「あっちっていうのが、地球にある日本て意味ならそれで合ってるぜ」
思わず漏れる、安堵の吐息。
一番聞きたかった答え。理想的な回答に、胸を撫で下ろす。
だが、これがスタートラインだ。
山のようにある質問を、ケンゴに浴びせなければ……。
「ケンゴさんは、こっちに来てどれぐらいになるんですか?」
「十年ってところだな。お前さんはいつ来たんだ?」
「昨夜です」
「ハハハ、そうか。来て早々、ひどい目に遭ったもんだな」
ケンゴは軽く笑うと、席を立つ。
そして、背後の戸棚から茶色い液体の入った瓶を取り出すと、栓を抜き、中の液体をグラスに注ぐ。
その色、そしてかすかに漂うこの香り。これはきっとウィスキーだろう。
この世界にもあるのかと、またも味わう二つの世界の共通点。
だが最初の頃に比べたら、驚きもだいぶ薄れた。
「お前さんもやるかい? 未成年は飲酒禁止なんて法律は、こっちにはないぜ」
「未成年じゃないですから!」
「ハッハッハ……。そうか、それはすまなかった」
そんなに僕は幼く見えるだろうか。
ケンゴは高らかに笑うと、僕のグラスにもウィスキーを注ぐ。
強い酒はあまり得意ではないので、水で割ってもらうことにした。
「いただきます」
とても断れる雰囲気じゃない会社の忘年会ぐらいでしか、他人と一緒に飲んだことはない。
だが今日は、いつものバーで飲んでいるような、心地の良さ。
全てはあのメモから始まったんだったと、マスターの顔が浮かぶ。
そうだ、気分良く飲んでいる場合ではなかった。慌てて質問を続ける。
「まずは、どうして僕が向こうから来た人間だってわかったんです? でなけりゃ、『アスファルト』なんていう暗号のようなサイン、送るはずないですよね?」
ケンゴは黙ったまま、部屋の隅に置いてあったリュックを人差し指で指し示す。
そして続けてその指を、今度は僕の胸辺りに向ける。
その指に合わせて、視線を移してみる僕。しかし、さっぱりわからない。
首を傾げる僕に、笑いながらケンゴが回答を示す。
「あんなでっかいリュックを背負った上に、そんな服装でウロウロしてたらすぐわかるさ。フフン……。もっともこっちの奴らじゃ、変なのが居るぐらいにしか思わねえだろうがな」
「ああ、なるほど」
「それでしばらく様子を見てたんだが、こっちにはない機械を取り出して操作してたから、こりゃ間違いないってな。あれは、ゲームか何かかい?」
一体いつから見られていたんだろう。
刺すように痛かった視線も、ひょっとしたら……。
ふと、ケンゴが目撃した物体の正体を思い付く。そして、実物を見せるためにポケットから取り出す。
「携帯電話ですよ」
「ほえー。今のはこんなんなってんのかよ」
妙な声を上げるケンゴ。
十年間での携帯電話の進化具合は、想像以上の驚きだったらしい。
簡単に操作方法を教えると、さっそく夢中になっている。
興味深く画面をスライドさせたり、アプリを起動させたりと楽しそうだ。
だが、急に我に返ったのか、やや寂しそうに呟く。
「でもよ…………、あっちを思い出させる物を見ると、やっぱり帰りたくなっちまうなあ……」
「そういえば、ケンゴさんはどうやってこっちへ来たんです?」
「俺か? うーん……正直言うと、はっきり覚えちゃいねえんだ。あの日はべろんべろんに酔っぱらっちまっててな、目が覚めたらこっちの世界よ。なんか、工事現場で作業員に止められた気がするってのが、向こうでの最後の記憶かな……」
ウィスキーを片手に、遠い目をして寂し気なケンゴ。
十年前の話を懐かし気に、そして少し悔やんだ様子で静かに語る。
語り終えると、グラスの中身を飲み干し、テーブルにそっと置く。
「じゃあ、こっちに来たくて来たわけじゃないんですね」
「当たり前だろ! 何を好き好んで可愛い女房と娘残して、こんな所に来なきゃならねえんだよ!」
机に握りこぶしを叩きつけた音に驚き、思わず身をすくめる。
実は、好き好んで来てしまった奴がここにいる。
とはいっても、自分だって充実した生活を送っていたなら、それを捨ててまで異世界に来たいなんて考えなかっただろう。
突然異世界へ放り込まれたケンゴの心情を考えれば、思慮が浅かったなと失言を後悔した。
「あー、やめやめ。大声出してすまなかったな」
「いえ、こっちこそすいませんでした」
「で? お前さんがこっちへ来ちまったときは、どんな感じだったんだ?」
「『異世界に興味があるなら案内します』ってメモを渡されて、その待ち合わせ場所に行ってみたら、こっちへ飛ばされました」
勢いよく立ち上がったケンゴに弾かれて、椅子が大きな音を立てて床に転がる。
その音が耳に届くのが早いか、気が付くと目を輝かせたケンゴの顔が目の前に迫っていた。
「するってえとなにか? おめえは意図的に、こっちの世界にやって来たってことか!?」
テーブル越しに胸倉を掴むケンゴの左手の薬指には、指輪がキラリと光っていた。
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