第3章 望む者、望まざる者 4
「ああ、すまねえ……。つい、興奮して脅かしちまったな……」
「いえ……」
胸倉を掴んだ左手を右手ではたき、ケンゴは椅子に座り直す。
シワの寄った襟元を整えながら、僕も席に着く。
だが、ケンゴの興奮はまだ覚めていない様子。
やや狂気じみた笑顔のまま瓶の栓を抜くと、再びウィスキーをグラスに注いだ。
「そうか、そうか……、自分の意志でかあ……」
うわ言のように呟くケンゴ。
その目も、何かに目覚めたようにギラギラと輝かせている。
僕の話をしたのは失敗だっただろうか。
あれ以来、とてもこちらから質問をさせてもらえるような雰囲気ではない。むしろここから先は、僕に向けて質問が次々と浴びせられそうな、そんな予感がする。
そして、それは程なく的中した。
「それで、案内するって言ったのは、どこのどいつなんだ?」
「行き付けのバーのマスターです」
「付き合いは長げえのか?」
「半年ぐらいですね」
「なんで案内してもらうなんて話になったんだよ」
次々と質問を投げつけてくるケンゴ。
身体は乗り出し気味で、休む暇もない。
だが、早くも返答に詰まる事態に陥る。
回答ならある。
『今の生活を捨てて、異世界に転生できたらどんなにいいか……』と、バーのマスターに語ったら、『異世界に興味がおありならご案内しますよ』とメモを渡された。
これが真相。
でも、言えるわけがない。成人した大人が抱く憧れではない。プロ野球選手や総理大臣になりたいと言っていた子供の頃の方が、よっぽどましだ。
だが、回答を待つケンゴの真剣な眼差し。
適当にこの場を取り繕うような嘘をついても、まだまだ続きそうな質問責めで、きっと辻褄が合わなくなりそうだ。
仕方ない、正直に答えるか。
「実はあっちの世界が嫌になって……。それで、バーのカウンターで飲んでる時に『異世界にでも行きたい』って話になって、そうしたら……」
「じゃぁ案内するって言われたのか!」
「は、はい……」
「そうか、こいつはすげえぞ。すげえ情報だ――」
こちらの気がかりを、気にも留めていないケンゴ。
勝手な取り越し苦労だったと、思わず苦笑する。
そういえば僕は、いつだってこうだった。
軽蔑されるのではないか?
嫌われるのではないか?
そんなことばかりを気にかけて、言葉を詰まらせる。
そしてその度に、自ら居心地を悪くしていた気がする。
「――それで? メモって奴は? メモには何て書いてあったんだ?」
すぐに次の質問を繰り出すケンゴ。
ぼんやりと思いに耽る時間も、容赦なく奪う。
そして答えを催促するように、もどかしげに机を人差し指で小刻みに叩く。
「あーっと……上着のポケットに入れてたはずですけど……」
慌てて現実に舞い戻るが、考え事をしていたせいで反応が遅れる。
確か最後にメモを確認したのは待ち合わせの時。
慌てて部屋の隅に置いてあったリュックから、その時に着ていたダウンジャケットを取り出し、しまっておいたはずのポケットに手を突っ込む。
くまなく漁ってみるが見つからない。
しまい込んだのは別のポケットだっただろうか。それともなくさないように財布にでもしまったんだったか……。
別のポケットや、リュックの中も念のため探るが、やはりどこにもない。
ケンゴは手間取る僕を見兼ねたのか、すぐさま次の質問に移る。
「見つからねえならいいや。で、メモに書いてある通りに待ち合わせ場所に行ったら、こっちの世界へ飛ばされたって言うんだな!」
「ええ、さっき言った通りですよ」
「詳しく。詳しく教えてくれ」
待ち合わせ場所に、三十分も早く到着してしまったこと。
考え事をしていたせいで時刻が過ぎたが、マスターは現れなかったこと。
その後、去り際にメモに書かれていた街灯に手を触れた途端に飛ばされたこと。
全てをありのままに、詳しく説明した。
「街灯か……。そういや、待ち合わせ場所はどこだったんだ?」
「埼玉の
「……ハッハッハッハッハ…………」
突然のケンゴの大笑いに驚き、身構える。
だが、ケンゴはそのまま天井を見上げ、手のひらで目を覆う。
「ああ、思い出したよ。俺もその街灯を掴んだ時に飛ばされた。今思えばな」
「ケンゴさんもあの公園の街灯から?」
「ああ、そうだ」
飛ばされた直後から考えてはいた。どうやって異世界へ来たのかと。
こちらへ飛ばされたのは、待ち合わせの街灯に手を添えた時。だから、それがきっかけなのだろうとは思っていたが、確証はなかった。
しかしこうして、他にも証言があるのなら間違いはないだろう。
「じゃあ、あの街灯に触れると、こっちへ来られるんですかね」
「そうさ、きっと時間限定でな」
「確かにいつでも飛ばされるなら、神隠しスポットとして有名になってますよね」
相槌を打つぐらいしかできずにいる僕。
本音を言えば興味のない話。それよりも聞きたいのは、この世界の話だ。
だが、ケンゴの常軌を逸した興奮ぶり。そして、まくし立てるように浴びせられる、質問の数々。この勢いには圧倒されっぱなしだ。
それに抗って、こちらから質問を繰り出す隙はどこにもない。
「お前さんは、三十分前に待ち合わせ場所に着いた時も街灯に寄り掛かってた。だが、そんときは飛ばされてない。で、約束の時間が過ぎた後に触ったら飛んだ。ってえことは、あの街灯に触っただけでこっちへ来られるってわけじゃなさそうだ」
「確かにそうですね」
「約束の時刻に気づいた後で触ったって話だから、しばらくは時間の猶予もありそうだな、うんうん……」
「多分そんな感じだとは僕も思ってたんですが、それがわかると何かあるんですか?」
鼻息を荒げ、目を血走らせているケンゴ。取り憑かれたように、推理を続ける。
浮かんだ推論を口に出しては自分で頷いてみたり、改めて首を傾げてみたり。さらには、薄ら笑いすら浮かべる姿は、近寄り難いほどの狂気に満ちている。
推理は確かに的を射ているし、僕の考えていたこととも一致する。
だがいまさら、この世界へ来る仕組みを解き明かしてどうしようというのか……。
「――もちろん、おおありよ。帰れるかもしれねえってことさ」
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