第12章 シータウ大捜索 3

 アジクは防犯ブザーが鳴り止むなり、感情をむき出しにした。

 胸倉を掴まれ、強引に身体を引き起こされて、力任せに張り倒される。

 さらに、輪っかを引いた途端に音が鳴り出したことを思い出したのか、ポケットに手を突っ込んできた。


「こいつは何だ!」


 気づかれた。

 音の出所はこれだと断定したらしく、床に叩きつけられる防犯ブザー。

 丸い形のブザーは軽い音を立てると、そのまま部屋の隅まで転がっていった。


「おかしいと思ったんですよ。私の考えでは、王女は魔法が使えないはずですからね」


 自慢げに手下に語っているけど、ついさっきまで『この魔法はあの時の……』って震えていたじゃないの。と、猿ぐつわさえなければ言ってやるところだ。


「なんで、魔法が使えねえってわかるんです?」

「王女が公に姿を現さない理由は病気ということになっているが、こうして家出ができるほどピンピンしてるじゃないか。となれば他に重大な理由がある。そう、魔力がないからだよ」


 そうか……。きっと、甘味屋での騒動が広まって家出が発覚したのだろう。そこから魔力がないことまで見抜くなんて……。

 でもそれなら、わざわざこんなことをする必要はないはず。

 王女には魔力がないって世間に知らしめるだけで、王位継承権は繰り上がるんだから。どうして誘拐なんていう、危ない橋を渡るのだろう。


「まったく、私をコケにしてくれたものだ。魔法が使える振りをするなんて」


 さっき急に感情的になった原因がわかった。

 この男は自尊心の塊のような人物。そこを傷つけられたからに違いない。

 でも、あたしは何もしていない。そっちが勝手に防犯ブザーの紐を引き抜いて、勝手に怯えただけ。濡れ衣も大概にしてほしい。


「こんなひどい王女様は、お仕置きが必要ですね。私一人で楽しむつもりでしたけど、ここにいるみんなで楽しむとしましょうか」


 醜悪なケダモノの顔を、舌なめずりをしながら近づけ、わざと不快感を煽るような物言いをするアジク。思わず顔を背けようとするが、あごを掴まれ力ずくで目を合わされる。

 『みんなで楽しむ』という言葉を聞いた手下たちも、一斉に頭巾を取った。

 そして、この後の展開を想像しているのか、見るに堪えないだらしのない表情を並べている。とんだ下衆野郎たちだ。


「お前たちこっちへ来い。お前は見張りだ」

「そんな、おいらだけ除け者はひどくねえですか」

「後で誰か代わらせるから、しばらく我慢しろ」

「約束ですよ、旦那」


 見張りに任命された男は、明らかに不満そうな表情でドアに向かう。

 呼ばれた他の手下たちはより一層鼻の下を伸ばし、アジクの指示に従ってロープをほどく。そして、あたしを床に仰向けに大の字に寝かせ、両手両足をそれぞれ一人ずつで、しっかりと押さえつける。

 何とか抗おうと手足に力を入れてみたけど、手下たちの腕力の前ではびくともしない。そしてアジクは腹の辺りに馬乗りになり、上から見下しながらニヤニヤしている。


「いいお姿です、王女様。長い間公の場に出ることがなかったのに、やっと私たちのような下々の民に姿をお見せになったと思えばこのお姿。キシシシシ、それではじっくりと楽しみましょうか」


 そう言うとアジクは、助けを呼ばれる恐れもあるというのに猿ぐつわも外す。

 だけど大声を出させないように、言葉で脅しをかけてくる。


「さあ、声も自由に出せるようにして差し上げましたよ。大声を出して助けを呼びますか? ヒヒヒ、それもいいでしょう。ぜひ、そうしてください。そしてさらに多くの方々に、王女様の恥ずかしいお姿を見ていただきましょうよ。キシシシ……」


 そしてあたしの髪を手に取り、匂いを嗅ぎ始めた。

 なんといういやらしい笑い方、気色の悪い行動、本当にこいつは人を不快にする天才。暴力を振るわれるのも耐え難いけど、この精神的苦痛はそれを上回る。

 鳥肌や背筋の寒気というのは普通、徐々に収まっていくものだけど、この男にのしかかられてからというもの、ちっとも収まる気配がない。

 そしてアジクは満を持して、ゆっくりと上着をめくり始めた。


 ――意を決して、静かに目を閉じる。


 お屋敷を出たことに後悔はない、そしてこうなるのも覚悟の上。

 ここ数日の逃避行は、お屋敷で過ごした年月に比べたらほんのひと時だったのに、とっても充実していた。


 小さい頃からずっと一緒だったアザミ。この先、一人でやって行けるだろうか。

 すぐに泣きべそを掻いては、いつもあたしのところに逃げ込んで来たアザミ。

 でも頭が良くて、あたしと違って素直で気立てもいい。カズトやケンゴがきっと守ってくれるはず……。

 ゲークスに立ち向かったケンゴ。あの時は本当に騙された。

 歴戦の猛者のような構えで、いつ魔法を撃つのかと期待に胸躍らせていたのに。それはとかいう振りで、実際は魔力がなかったなんて……。


 そして、父と同じ名のカズト。初めて名乗られた時は驚かされたっけ。

 彼に対しては、ついつい我が儘放題してしまった。親切にしてくれたり、時には身を挺して守ってくれたりしたというのに……。

 最後に作った、好物と言っていた『肉じゃが』。肉抜きになってしまったのは心残りだけど、美味しいと嬉しそうな笑顔で食べてくれて本当に良かった。あれはお詫びと感謝の気持ちを込めて作ったものだったから。

 でもやっぱり、直接言葉で気持ちを伝えておくんだった。

 あたしが攫われた後は無事だったのか、それだけが心配……。


 もっと惜別の思いを心に刻みたいけど、残された時間もほとんどない。

 こうしている間にも、アジクは下着に手を掛けようとしてる。


『――お父様、言いつけに背き、この魔法を発動することをお許しください』


 心の中で最後の挨拶をしたみんなとは、もう会えない。

 その寂しさに、両方の目からは涙が溢れ出す。

 いつかこの瞬間がくるとは思っていたし、覚悟も決めた。でもやっぱり、魔法の発動は怖い。父に小さい頃から散々、恐怖を植え付けられていたせいかもしれない。

 だけど、アジクから顔を背けるために向けた視線の先に、カズトからもらった防犯ブザーが映ると迷いが吹き飛んだ。

 大きく息を吸い込み、大きく目を見開き、最後の誇りを込めて大声で叫ぶ――。


「誇り高きヒーズル王国、王女ナデシコ。その名に誓ってお前たちの汚らわしき行い、断じて許しません。わが身と共にその姿、滅するが良い!」


 ――ヒュルルルル。


 一瞬の静寂。

 その後激しい轟音を立てて、周囲にあった物を凄まじい突風が全て吹き飛ばす。

 机、椅子……、勢い良く弾け飛んでは壁に叩きつけられ、バキバキと音を立てて破壊されていく。

 部屋の中心から吹き荒れる風は、閉めておいた窓も容赦なく開け放つ。そして、開いた勢いに耐え切れない蝶番は外れ、窓ガラスも木っ端微塵に砕けていく。

 ドアに叩きつけられる見張りの男。持て余す風圧はそれでも足りずに、ドアごと男を外へと弾き出した。


 そして再び訪れた静寂。

 見張りの男は恐る恐る室内を覗き込み、その異変に腰を抜かす。


「ひ、ひいい……。何てこったああ…………」


 壊れたドアからやっとの思いで家の外まで這い出す、見張りの男。

 そして何とか立ち上がると、悲鳴を上げながら一目散に逃げ出して行った。

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