第11章 初めての留守番 3

 ――とても良い匂いに包まれて目を覚ました。


 ゆっくりと目を開けると、目の前には僕のことをじっと見つめるアザミ。

 だが何かおかしい。やけに心配そうな表情だ。

 さらに、少し離れた椅子に座るケンゴ。彼も表情を険しくして、頭を抱えながら考え込んでいる。

 良い匂いも夢ではなく現実。

 僕が目を覚ました場所は、カズラとアザミが使っている寝室のベッドだった。


「目が覚めましたか? 大丈夫ですか?」


 大丈夫の意味が良くわからない。だが、やや頭痛がするようだ。

 目は開いたものの、まだ夢心地な感じで考えがまとまらない。


「多分、カズトさんは催眠魔法で眠らされたんだと思います」

「そうかい、まんまとやられたってわけだな」


 ケンゴは拳を壁に叩きつけた。

 何をいら立っているのだろう。そしてなぜ僕は、ベッドで寝ているのだろう。

 普段なら居間のソファーで寝るはずなのに……。


 目覚めて時間の経過とともに、意識がハッキリしてくる。

 そして、今自分が置かれている状況を理解し、顔面から血の気が引いていくのを感じながら、跳ね起きる。


「カズラは、カズラはどうしましたか?」


 無事なわけがない。

 この状況でそんなことはわかり切っているが、聞かずにはいられなかった。


「俺たちが帰ってきた時には、散乱した窓ガラスの破片の中に、袋に詰め込まれたお前さんが転がってるだけだったよ……」

「ごめんなさい、私たちが出掛けている間にこんなことに……」


 ケンゴとアザミは家を空けたことを後悔しているらしい。

 だが、カズラが連れ去られた時に傍にいたのは……。

 ならば、守らなければならなかった人物は……。

 そう、僕だ。そのために僕はカズラの側にいたんじゃないか。

 にもかかわらず、なす術なく袋に詰め込まれ、そのまま眠らされてしまった。


 ――頭の中で当時の状況を思い返す。


 なんで、無策に居間に飛び込んで、まんまと袋をかぶされてしまったのか。

 なんで、襲撃者に対して武器になりそうなものを手に取らなかったのか。

 なんで、ただの来客だと思って自分だけ玄関に応対に行ってしまったのか。

 護衛のために、ポケットに何か忍ばせておくぐらいのことはできなかったのか。


 記憶を辿るごとに、後悔に押し潰される。力がない自分なりにも、何かできることがあったんじゃないかと。

 焦点の定まらない虚ろな目からは、絶えることなく涙が溢れ出る。

 泣いたからといって、状況が何も変わらないのはわかっている。

 泣きたいわけじゃない。でも、溢れる涙が止まらない。

 身体は脱力感で涙を拭う気力もない。視線を動かすことも、半開きの口を閉じることすらも煩わしい。

 ケンゴやアザミの声が聞こえてきた気もするが、ただの音としてそのまま身体を通り抜けていく。ただただ経過する時間に身を任せるしか、今の自分にはできなかった。



 どれぐらい時間が過ぎただろう。

 酷く長い時間だった気もするし、ほんの一瞬だった気もする。

 やっと自我が戻り、気付く。


 ――自分はどこまで滑稽なのか。


 目の前でカズラを攫われた無力さ? いやそれよりも、今の自分の愚かさがだ。

 今この瞬間も、カズラは一人心細く助けを求めているはず。そんな状況なのに落ち込んで、無駄に時間を費やしてしまった。

 今は一刻も早く、カズラを取り戻すことを考えるべきだというのに……。

 ぴしゃりと自分の両頬を手のひらで打ち付け、気合を入れる。


「やれやれ、やっとお目覚めかい?」

「大丈夫ですか? 無理しないでくださいね」


 ケンゴとアザミも、無反応な僕に気を使っていたのだろう。

 活動を再開した僕を待っていたかのように声が掛かった。


「まったく……。もうちょっとで殴ってでも目覚めさせるところだったぜ。何しろ目撃者はお前さんだけだからな。何があったか詳しく話してくれ」


 あの時は早々に視界を奪われ、程なくして眠らされてしまった。

 これ以上ないほどに詳しく話してみたが、ほんの一、二分で全て話し尽くしてしまう。


「このあいだと同じ防魔服の集団が、カズラを王女と確信した上で、この袋をかぶせて攫っていったわけですね……」


 たった一言に要約したアザミ。だがそれで、説明には充分すぎた。

 そして、アザミがたたんで膝の上に乗せているのが、僕が入れられていた袋だろう。やっと外観を拝めたが、確かにカズラにかぶせていた物と同じようだ。


「この袋にはが織り込まれているみたいです。きっと防御魔法を掛けて、内側から魔法を撃たれても大丈夫なように対策していたみたいですね。王族の魔力を恐れてのことでしょう」

「防魔服で魔法攻撃から身を守るのと逆のことをしたってわけか。じゃあ何か? こいつを頭から被れば魔法対策は万全てことかい?」

「魔繊維も基本的にクロルツですから、魔力が尽きたらまた掛け直さないとただの袋ですね」


 僕はアザミの膝の上から袋を掴み取り、外出の支度を始める。


「おいおい、お前さん。どこへ行くつもりだ?」

「この袋を抱えた黒装束の集団なんて目立つでしょうから、人に聞いて回って足取りを追ってみます」

「まてまて、三人でシータウ中に聞き込みなんて無謀すぎだ。それに、犯人はシータウの外まで行ってるかもしれねえ」

「無謀だとしても、何もしないっていう選択は僕にはないです」


 さっきまで茫然として、無駄に時間を過ごしていたくせに偉そうな口ぶりだ。

 だが、浪費したからこそ、取り返そうと一刻も早く行動に移したい。


「落ち着けって。俺だって何もしないなんて言ってねえよ」

「何か手立てがあるんですか?」


 アザミが不思議そうな顔で、ケンゴに尋ねる。

 そしてケンゴは、やや勿体ぶりながら妙案を披露する。


「このあいだのおっさんに頼んでみようぜ」

「このあいだのおっさんて……チョージさんですか? なんでまた」


 ケンゴ自身も充分おっさんだと思うのだが、そんな突っ込みを入れている場合でもない。だが、どうしてあの人に白羽の矢が立ったのか不思議に思う。


「あのおっさん、この街の街灯管理してんだろ? 街灯管理ってのは、街中の街灯に魔力補充して回る仕事だ。そこの所長だってんだから、たぶん情報網半端ねえぜ」

「なるほど、当たってみる価値ありですね」


 わずかだが、見えた希望にすがるしかない。

 僕は矢も楯もたまらず、先日訪ねたばかりのチョージのいる事務所に向かって駆け出していた。

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