第10章 チョコレートと魔法実験 4

「え? 今、なんて…………」


 思わず耳を疑う。

 慌ててメモを見返す。

 そして折られたメモの裏側に、何か模様が描かれていることに気づく。


 渡された当時は、メモ帳の模様ぐらいにしか思っていなかった。

 だが今の僕にはわかる、これはこの世界の文字だ。

 チョージが暗号だと思い込んだのはもちろん日本語の方だろう。じゃあさっきチョージが口にした言葉は……。


「ソーラス神社 五月十五日 午前二時から二時十五分と、書いてある通りに読んだだけですが、何かおかしなことでも言いましたか?」

「い、いえ。本当に今日は何から何まで、ありがとうございました!」


 心臓が激しく脈打つ。鼓動が高鳴る。

 どう表現したらいいのかわからなくなるぐらいの興奮を覚える。

 チョージにはこの上なく世話になったというのに、ぶっきらぼうな見送り。まるで、追い返すかのように。

 だがそれはもちろん、再び手にしたメモのせいだ。それも、何かとてつもない情報を予感させる伝言付きでだ。

 この言葉が何を意味しているのかは予想できている。もちろん確証などないが、妙な自信はあった。


「ケンゴさん大変だ!」

「どうしたよ、そんなに慌てて。確かに、実験でわかったのは大変なことだけどよ――」

「そうじゃないんだよ」


 玄関から戻り、鼻息も荒く興奮した様子でケンゴにしがみつく。

 だがハッと気付くと、そこにはキョトンとした顔で見つめるカズラとアザミ。

 どうやら客が帰ったので、寝室から居間に出てきていたらしい。

 挙動不審を怪しまれたかもしれないが、早まって失言をしなかったのは不幸中の幸い。とりあえず、コッソリとケンゴにメモを渡す。

 このメモを見ればきっと、僕が伝えたいことまで読み取ってくれるだろう。

 そして、メモを確認するために背中を向けたケンゴはすぐさま振り返り、慌てた様子で声を荒げた。


「…………ちょっと出掛けてくる。お前さんも一緒に来てくれ」

「わかりました」


 やはり、メモだけで察してくれたらしい。

 行動も素早い。足早に玄関に向かうケンゴの後を、慌てて追いかける。

 振り返ると、怪しそうなものを見る目のカズラとアザミ。

 だが、今はこうしちゃいられない。

 突き放すように「じゃあ、行ってきます」と言葉を投げ捨てると、ケンゴに続いて玄関を出た。


 さっきチョージを見送った時の夕焼け空は、すでに濃い紫色。僕自身あまり人目についていい状況ではないので、この闇は救われる。

 二、三分ほど歩いたところで、ケンゴが突然キョロキョロと周囲をうかがいだした。人気がないのを確認しているらしい。

 そしてすかさず、空き地の茂みに飛び込むように分け入るケンゴ。見失わないように、慌てて続く。

 周囲は身の丈近くある草むら。それを掻き分けながら、奥へ奥へと進む。

 しばらく進んだところでケンゴは突然振り返ると、さっき渡したメモを取り出した。そしてピラピラと、目に付くように示しながら会話を始める。


「で、これなんだが……」

「それが前に言った、マスターから受け取ったメモです」

「そうか。それで、血相変えてこいつを俺に渡したってこたあ、ここに何が書いてあるのかもわかってるみてえだな」


 この世界の言葉が書かれている部分を指差しながら、鼻息を荒げている。

 ケンゴと出会った日の夜、酒を酌み交わしながらこんな姿を見た。元の世界へ帰れる可能性を語り合った時だ。

 あの時も鬼気迫るものを感じたが、今はそれ以上。そして闇で表情がはっきりと見えない分、あの時よりも不気味だ。


「ええ、チョージさんに聞きました」

「なるほどな。ここには『ソーラス神社 五月十五日 午前二時から二時十五分』って書いてある。お前さんはこいつをどう考えた?」


 ケンゴは一言発する度に僕との距離を狭め、その迫力で僕を怯えさせる。

 もちろん敵意や、悪意がないことはわかっている。だが傍目から見た僕の姿は、カツアゲされている気弱な会社員といったところだろう。


「なんでこっちの文字で書いたのかはわかりませんけど、これは帰りの入り口が出現する場所と時刻なんじゃないかと思って……」


 しばらく黙って考え込むケンゴ。

 だがすぐに、目の前に迫る表情にみるみると明るさが増し、笑みが溢れ出す。

 さらに、それだけでは足りずに笑い声まで漏れ始めた。


「くくく、そうか……やっぱりそうだよな。ハッハッハ、そうとしか考えられねえ。やったぜ、これでやっと……帰れるかもしれねえんだな」


 あまり人に聞かれていい内容ではないので辺りを見回す。

 さすがにこの茂みの中、人の気配は感じられない。

 不安な表情で警戒する僕をよそに、ケンゴは上機嫌。調子に乗って僕の背中を、力いっぱいはたく始末。

 だがしかし、十年越しの悲願がさらに大きく前進したのだ。きっとこれでも、喜びの表現を抑えに抑えているほどだろう。


「でもまだそうと決まったわけじゃ……」

「確かにそうだな、ぬか喜びになっちゃたまらんしな。でも……悪りい、わかっちゃいてもニヤケちまう。他の可能性なんて、ちっとも思い浮かばねえんだ」


 ケンゴは一瞬冷静になろうと試みたようだが、衝動は抑えきれないらしい。

 絶えず、忍び笑いが聞こえてくる。

 そして僕もケンゴ同様に、他の考えは全然浮かばなかった。

 異世界へ行くための日時と場所を示したメモに書かれていた、もう一つの日時と場所。しかも、異世界側の文字でだ。

 今日は五月七日、そしてメモは五月十五日と日付も近い。これはどうみても、帰り方を示しているとしか考えられない。


「当日までにやっておくことは、ソーラス神社なる場所が実在するか確かめるだけだな。後はそこへ行ってみれば、全てわかるさ」


 笑いが静まったケンゴ。やっと冷静さを取り戻した。

 しかし僕は逆に、冷静さを失いつつあるかもしれない。

 なにしろその五月十五日は、ケンゴとの別れの日になるかもしれないからだ。

 あまりにも唐突に突き付けられたタイムリミット。動揺が先に立つ。ケンゴに教わらなくてはならないことが、まだまだ山のようにあるというのに。

 そんな不安に駆られる僕とは対照的なケンゴ。景気よく両手を突き上げながら、叫喚の声を上げる。




「――今日はもう間に合わねえが、明日は豪勢にパーティでもするか!」

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