第10章 チョコレートと魔法実験 3

「――ほう、思った以上の暮らし振りのようで安心しました」


 この世界に降り立って、まだ十日ぐらい。だが、この声には懐かしささえ感じる。

 そしてこの先、どれだけの歳月が流れ去ろうと、きっとこの人のことは忘れない。

 そう、この世界に降り立って最初に言葉を交わした男、チョージだ。


「お久しぶりです。今日はわざわざありがとうございます」

「いえいえ、私程度の魔力で本当にお役に立てるんですかね?」

「そりゃあもちろんだ。何しろ俺の知り合いにゃ、魔法を撃てる奴なんてほとんどいやしねえ。何人かは撃てるが、胡散臭い連中ばっかりだぜ。まあ、入った入った」


 チョージを居間に案内するケンゴ。

 僕も後に続くが、ふと見ると寝室のドアがわずかに開いている。

 今日は来客があるから、寝室からは出てこないように言ったが、カズラとアザミがコッソリと様子をうかがっているのだろう。


 一国の王女、そして異世界からやって来た二人。

 冷静に考えると今ここは、とんでもないほどの秘密に溢れている。

 そんな場所に、初めての出会いで親切にされたからと、チョージを招き入れて本当に良かったのだろうか。

 カズラとアザミは魔法が撃てないし、ケンゴは知人に適任がいないと言っていた。そして僕にも、魔法が撃てる知り合いはチョージしかいない。

 となれば、魔法実験をするには彼を呼ぶしかなかったわけだが、今さらながらに不安に思う。


「それで私は何をしたらいいんですか? 魔法を撃つだけの簡単なお仕事、と言われて来たのですが……」

「じゃあさっそく、こいつに火を点けちゃもらえねえかな」


 ケンゴは三メートルぐらい離れた机の上にロウソクを立て、それを指差した。

 しかし、チョージは困った表情で頭を掻く。


「すみません、私の魔力ではこの距離は少し厳しいですね。これぐらいなら……」


 そう言って机を回り込み、ロウソクに近寄るチョージ。

 三十センチぐらい離れた距離から、指差すように人差し指を突き出した。

 そして眉間にしわを寄せ、目に力をこめている。すると二、三秒の間を空けて、見事にロウソクに火が灯る。

 歓声をあげたのは、僕とケンゴだ。

 チョージにとっては日常かもしれないが、魔法のない世界の住人の二人には、この非日常に感動を覚える。


「次はこの板越しに、火を点けてもらってもいいかな?」

「それぐらいなら問題ないでしょう」


 まずは、ロウソクの火を吹き消すケンゴ。

 そしてゆっくりと、ロウソクから十センチほどの位置に木の板を構える。

 ロウソクの芯と板の延長線上に、再び人差し指を差し出すチョージ。

 今度はさっきほどではなく、軽くロウソクを睨みつけた。


「おお……」

「すごいですね」


 無事ロウソクに火が灯る、これもクリア。

 やはりこちらの世界の板で遮っても、板自身にもクローヌが含まれる以上、伝播するのだろう。

 さて、次がいよいよ本番、アルミホイル張りの板だ。


「もう一回、同じこと頼んでいいかい?」

「また火を点ければいいんですね」


 まずはロウソクの火を再び吹き消し、完全に消えたことを確認。

 そしてアルミホイルの貼った面は見せずに、また十センチほどの位置で板を構える。

 今回ばかりはケンゴも緊張気味のようだ、ややかすれた声で合図を出す。


「さあ、やってくれ」


 ケンゴとは裏腹に、リラックスした様子のチョージ。

 さすがに三回目ともなれば、うんざりしているのかもしれない。

 今回は、突き出す人差し指にも緊張感は感じないし、表情も穏やかなままだ。

 だが、その表情もすぐに曇り始める。


「あれ? おかしいですね……」


 さらに表情が険しくなるチョージ。

 一度構えを解き、軽く肩を回しながら深呼吸。首も回して気分転換を図る。

 そして初回のようにしっかりと、目標に向けて改めて突き出される右手の人差し指。さらに今度は右手首に左手を添え、目を瞑り軽く息を吐き出す。

 そしてカッと見開くと、強く目に力を入れた。眉間のしわも、初回以上に深い。

 チョージは五、六秒ほど息を止めていただろうか。だがその後、諦めの言葉と共に呼吸を荒げた。


「だめですね、かなり頑張ってみたんですが……。その板に何か仕掛けがあるんですね?」

「すまねえ。秘密の研究なんで、まだ話すわけにはいかねえんだ」


 ケンゴは相変わらず適当なことを言っているが、とにかく実験は成功だ。

 アルミホイルを貼った板は魔力の伝播を遮り、ロウソクに火を灯すことを阻んだ。簡単な実験だが、ケンゴの仮説を裏付けるには十分だろう。



 その後、多少のもてなしはしたものの、お茶とお菓子を出した程度だ。

 大した礼もできないまま、玄関までチョージを見送る。

 ケンゴは実験結果から、さっそく魔法の盾の制作に取り掛かったようで、居間で何やら作業を始めていた。

 それにしても初めて出会った時といい、世話になり通しのチョージ。

 犯罪者扱いされたことはちょっと根に持っているが、いつか僕が生活を安定させた暁には、食事をおごるぐらいの恩返しはしたい。


「お手数お掛けしました。お陰様で本当に助かりました。お礼もできずにすいません」

「ホッホッホ、私も事務所で暇を持て余していましたから、ちょうどいい時間潰しができましたよ。また、いつでも遊びにいらっしゃい」


 僕は見送りに出た玄関で、深々とお辞儀をする。

 後ろ向きで手を振りながら帰りかけたチョージだったが、何か思い出したようにこちらに振り返る。


「そうそう、君に初めて会った時にこれ落としてましたよ。紙切れだし、捨ててもいいかとも思いましたが、何か暗号のようなものが書いてあったんで、捨てるに捨てられなくてね。いつか会えたら渡そうと、財布の中に入れていたんでした」


 そう言ってチョージは、財布から紙切れを取り出す。

 確かにそれは、僕の落とし物に間違いない。

 何度か探しても出てこなかった、マスターからもらったメモ。しかし、暗号なんて書いてあっただろうか。

 一瞬考えて、すぐに答えが出る。

 そうか、この世界の人間に日本語が読めるはずはない。暗号と思うのも当然だ。


「それじゃ確かに渡しましたよ。危なく、また持って帰るところでしたけどね」


 名刺交換のように、丁寧に手渡されるメモ。

 つい社会人の習慣で、両手を差し出してそれを受け取る。

 振り返ってみれば、あの場所で暑さに耐え切れずにダウンジャケットを脱いだっけ。あの時に落としていたのか。

 そして待ち合わせ場所と時刻を記したマスターの文字と、久しぶりに再会する。




「――ソーラス神社 五月十五日 午前二時から二時十五分というのは読めますが、その不思議な暗号はなんて書いてあるんですか?」

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