第9章 王女の帰着 2
国王私邸へ向かう馬車の中は、お世辞にも明るいムードとは言えない。
外の景色をぼんやりと眺めるカズラ。不安そうな表情を浮かべるアザミ。そして居眠りを続けているケンゴ。
この馬車の中は、出発からずっと沈黙が支配している。
貧民街シータウから王都マテシュタまでは、徒歩では半日以上かかるらしい。
移動は馬車にしようと、話はすぐにまとまった。そんな長時間を誘拐犯の潜む中、魔法に対して無防備なままで足を運ぶなど、自殺行為だからだ。
だがこの世界の馬車は、目玉が飛び出るほどの高額らしい。
家出をしてきた上に、先日の買い物で所持金の大半を使い果たした王女たちには到底支払えず、ケンゴが立て替える破目になった。
到着したら払うと王女直々のお墨付きをもらったものの、時折うなされているケンゴは、夢の中でも金に苦労しているのかもしれない。
そんな状況をよそに、不謹慎ながらも僕は胸を高鳴らせていた。
初めて見る、シータウ以外の街。
西へ向かうごとに、気品と高級感が色濃くなる街並み。
以前ケンゴに聞いた話を今、目の当たりにしているという実感。
きっと今の僕は、まるで子供のように目を輝かせていることだろう。
馬車は土煙を上げながら、西へ西へと向かう。
途中で道は石畳へと変わり、趣と引き換えに悪くなる一方の馬車の乗り心地。
時折大きな段差で跳ね上げられ、上下に身体を揺すられる。乗り物には強いはずの僕でさえ、これには酔いそうになった。
三時間位揺られただろうか。
馬のいななきと共に馬車が止まり、開かれるドア。
そして女性を先に降ろそうと、手を差し伸べる御者。この世界にも、レディーファーストという言葉があるのだろうか。
だが、誘拐犯の仲間が潜んでいないとも限らない。丁重に断って、ケンゴが最初に降りる。
そして周囲に人気がないのを確認すると、アザミ、カズラと順に降ろし、最後に僕が馬車から降りた。
「短い間でしたけど、お世話になりました」
久しぶりに見た、初めて出会った時の服を着るアザミ。
ペコリと頭を下げ、短い挨拶をする。
たったの数日だったというのに、密度の濃い時間を共有して、今では旧知の間柄の気分。そしてその別れとなれば、やはり感極まる。
「ほら、カズラも……」
涙ぐみながら、挨拶を促すアザミ。
しかし、あさっての方を見上げたまま、黙り込むカズラ。
最後の最後まで素直じゃない。
だがその方がカズラらしいと、その姿を目に焼き付けた。
「あ、あのさ……防犯ブザーって言ったっけ? あれ、記念にもらっちゃってもいいかしら……」
髪の先を指で巻き取るような仕草をしながら、おずおずとカズラが尋ねてくる。
こちらからは見えないが、間違いなく目に涙を溜めているだろう。
そういえばあの日、散々いじり回されていた防犯ブザー。存在すら忘れていたが、カズラが持っていたのか。
防犯ブザーも僕なんかより、今後の王女の方が役に立つ機会があるに違いない。
中古品だが餞別としてプレゼントだ。
「僕だと思って大切にしてよ」
「ば、ばっかじゃないの! ほら、行くわよ」
冗談に素直に反応してくれるところも、たまらなく可愛い。
そしてやはり初めて出会った時のこの服は、カズラの高貴な美しさをさらに高めている。素直じゃない口調も、いつも以上にしっくりくる。
アザミの手を取り、カズラが屋敷に向かって歩き出す。
明日からは、怒鳴られることもなくなる。きっと、せいせいするはずだ。
静かな日常が訪れることだろう。余計な気を使う必要もなくなる。
だが、涙が頬を伝った……。
その角を曲がれば、屋敷の前の通りに出る。
そこから先は門番の視界に入ってしまうので、僕とケンゴの見送りはここまでだ。
だが、せっかくここまできたのだからと、屋敷の中に入るまでは見届けることに。
門に近づく、カズラとアザミ。
二人に気付く門番。
温かく迎えられて門をくぐり、邸内へと入っていく二人。
「やっぱりあいつ、王女様だったんだな」
ケンゴの言葉に大きく頷く。
甘味屋での青年や、服屋での誘拐犯、どちらも王女だと言っていた。そしてカズラ本人も、そう名乗っていた。だが、心のどこかで疑っていたのも確かだ。
しかしこうして、すんなりと門番が屋敷に迎え入れるところを目の当たりにしては、やはり彼女は王女様だったのだと認めるしかない。
いよいよ、本当にお別れとなってしまった。
二人がこちらを振り返りもしないのは少し寂しい。だが、こっそり見送る貧相な不審者二名を、門番に気付かせないようにとの配慮なのだろう。
大団円でいよいよ二人が屋敷内へ姿を消すと思われた時に、それは起きた――。
屋敷のドアが開くと、二人を連れていた門番が突然、膝を折るように崩れ落ちる。
そこへ邸内から現れた、右手を突き出した体勢の男。
ただ事でない気配に、僕とケンゴは正門に向かって全速力で駆け出す。
門番は立ち上がろうとする姿勢のまま、その場でピクリともしない。きっと、あの男の魔法のせいだろう。
このままでは、カズラとアザミも危ない。気持ちは焦るが、門まではまだ遠い。
魔法を放っている男は、カズラとアザミに何やら話し掛けている。よくよくみれば、彼には見覚えがある。そう、甘味屋で王女を連れ戻しに来た青年だ。
やっとの思いで、門までたどり着く。
だが、二人のいる屋敷の玄関までは、まだ結構な距離。これからが本番だと言うのに、息切れが激しい。
余力のありそうなケンゴに先に行ってもらおうと、目で合図を送った矢先――。
賑やかさを増す邸内。
青年は、その騒がしい屋敷の方に向かって右手を突き出し、必死に抵抗している。
その姿は、カズラとアザミをドアの中の何者かから、かばっている様子。その証拠に、二人は青ざめた顔で息を切らしながら、こちらへ向かって逃げてくる。
そして、青年もこちらへ向かって叫ぶ。
「――王女様を連れて、逃げてくださーい!」
返せと言ったり、連れて行けと言ったり、忙しい奴だ。
だが、彼の魂のこもった必死な叫び声が、心に響かないはずがない。
先ほどの全速力で既に膝が笑いかけているというのに、再び今来た道を足をもつれさせながら走る。ゲークスから逃げたときのように、ひたすら走る。
耳に今なお残る青年の叫びに後押しされ、さらに走る。
後ろを振り返る余裕はないが、追手が近づいてくる気配は感じられない。
きっと青年が、時間稼ぎをしてくれているのだろう。
やっとのことで角を曲がり、万が一のためにと待たせておいた馬車に再び乗る。
そして大急ぎで馬車を出させ、そのままケンゴの家まで行くよう、御者に指示。
息切れと馬車の揺れで気分は最悪な中、ケンゴが珍しく不安げな声で呟く。
「――馬車代金、俺の全財産で足りっかな……」
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