第2章 黒い髪、赤い髪 4

 助っ人として登場した男は、五十代前半といったところか。

 髪は短髪、やせ型で頬もこけ気味、それなりに筋肉質だが、いかんせん相手が悪い。体格のいい男六人を同時に相手できるようには、とても見えない。

 だが、この状況に名乗りを上げたのだ、きっと腕には自信があるのだろう。人は外見で判断しちゃいけない。この緊急事態を打開するには、この男にすがるしかないのだから。

 だが、人間性に不安を感じるのも確かだ。

 登場のセリフもさる事ながら、その背にはさっき僕が投げつけたリュックを、さも自分の物のように背負っているのも見逃せなかった。


「また、変なのが現れやがった。なんだてめえは、邪魔すんな」


 ゲークスは相手にするのも面倒だと言わんばかりに、一瞥しただけでまたこちらに向き直る。なんてことだ、時間稼ぎにすらならなかった。

 だが、登場から三秒でほったらかされた中年男も黙っていない。


「このケンゴ様にそんな態度で良いのか……な! っと」


 やや腰を落とし、両手の親指と人差し指でダイヤを形作ったまま突き出す。

 そして表情はにやけているものの、目の据わり具合とその眼力には底知れなさを感じさせる。長年修行した格闘技の型が隙なく美しいように、このケンゴと名乗った男の構えも型だけでその年季が伺えるようだ。

 これが本当の魔法の構えか。さっきのカズラとは雲泥の差だ。

 その構えに威圧されたのか手下は後ずさり、ゲークスと背中合わせになる。背中に感触を受けたゲークスは振り返ると、その構えを見て表情を少しこわばらせた。


「ちっ、おめえも魔法かよ。撃てるもんなら撃ってみやがれってんだ!」


 ゲークスは無視を決め込むわけにもいかなくなったようで、身体の向きを反転してケンゴと対峙する。


「ほう、撃っていいのか? 悪いが俺のは手加減できねえんだ。間違いなく死ぬぜ?」

「魔法で人を殺したらお前も死刑だぜ。命の交換をする覚悟はあるんだろうな」

「それは証拠が残ればの話だろ? あいにく俺の魔法、ブレイクダウンは塵も残らねえぞ? 試してみるかい?」


 ブレイクダウンというネーミングに痛々しさを感じつつも、目の前で繰り広げられる駆け引き。思わず固唾を呑む。

 この状況は救ってもらいたいが、できれば人が死ぬのは勘弁願いたい。

 だが一瞬で塵も残らないのであれば、グロテスクなシーンは見ずに済むだろうか。

 緊張感のあまり、時が止まっているような錯覚に陥る。もうどれぐらい睨み合いが続いているのかわからないが、実際はまだせいぜい一分程度だろう。

 ゲークスには徐々に焦りの表情が見えてきたが、ケンゴは相変わらず不敵な笑みを浮かべている。形勢はややケンゴが有利と言ったところか。


「ど、どうした? 撃たねえのか?」

「俺もできることなら人は殺したくねえからな。アスファルトに口づけして命乞いするっていうなら、助けてやってもいいぜ」

「はあ? 何の話だ」


 少し顔を引きつらせながら、ゲークスが探りを入れる。

 そしてケンゴもニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら、時折こちらへチラチラと視線を向ける。


 ――僕は確信した。


 ゲークスとケンゴの睨み合いは続いている。

 手下は青ざめた顔で今にも逃げ出したそうだが、逃げるにはケンゴの方へ逃げるしかない。しかも下手な動きをすれば、一瞬で塵にされかねない。

 ここだけ時が遅く流れているような錯覚を覚える中、僕は軽く深呼吸して息を整えると、覚悟を決めた――。


 歯を食いしばり、低い体勢から突き上げるように渾身の力を込めて、背後からゲークスに体当たりを食らわす。

 睨み合いで疲弊しているところに、無防備な方向からのタックルは効果覿面こうかてきめん。堪え切れずに土ぼこりを巻き上げながら、前のめりで倒れる巨体。

 その横をこっそり打ち合わせた通り、アザミとカズラと共に風を切るように猛烈な勢いで走り抜ける。


 男たちは何が起きたのかわからず、狐につままれたように呆けていたが、我に返った時には後の祭り。既にそこに人影はなく、人数分の足跡と一抹の土煙が残るだけだった。


 ケンゴに道の選択を任せ、一目散にひた走る。

 後ろも振り返らず、一心不乱に走る。

 こんなに走ったのは高校の体育の授業以来。だがそのときも、力を極限まで出し尽くす程には走らなかった。ここまで真剣に走ったのは生れて初めてだ。

 これ以上走れないなんて弱音を吐く段階は、もうとっくに過ぎている。

 今は限界を超え、足を前に出している原動力は気力という状態。どうしてそこまでできるかと言えば、命が懸かっているからに他ならない。

 それでも真の限界はやって来る。足がもつれ、もう走れない。気持ちは前へ行こうとするが、足が前へ出せず、つんのめるように上半身から倒れ込む。

 これが出し尽くしたという奴か。もう立ち上がるのも無理だ。


 アスファルトに比べると土は温かみがあるなと、道路の隅に横たわったまま、しばらくその感触に身を預ける。

 すると突然、首のあたりを持ち上げられ、そのまま極上の感触の上に着地する。


「――ここに居たんですね。大丈夫ですか」


 目を開くと、覗き込んでいるのはさっきまで一緒に逃げていたアザミだ。そしてこの心地よい感触は太ももの上。どうやら、膝枕をされているらしい。

 下から見上げると、たわわな二つの胸の膨らみが目に入り、ドキリとさせられる。

 もちろんこのまま眺めていたいところだが、この体制ではどこを見ているのかバレバレ。残念だが、慌てて横を向いて視線を外す。

 しかし、この夢心地はしばらく味わっていたい。僕はわざと弱気な言葉を返す。


「いや……ちょっとダメかもしれません……」

「ちょっと走っただけでこのざまは何なの? 情けないわね」


 期待したアザミの優しい言葉の代わりに、耳に飛び込んできたのは罵声。

 驚いて見上げた視界に映ったのは、腕組みをしながら蔑んだ目で僕を見下ろすカズラだった。

 さらにやや遅れて、ケンゴからも声がかかる。


「すまんすまん。振り返ったら誰もいねえから、びっくりしたぜ」


 そう言いながら、僕のリュックを背負ったままのケンゴも視界に加わる。

 ケンゴはもちろん、アザミとカズラもまだまだ余力十分という感じだ。僕だけが体力のなさを露呈して、惨めに横たわる。

 いつまでもこうしているわけにもいかないが、自力で身体を起こす体力が残っていない。それを察したのか、笑顔で手を差し伸べながらケンゴが呟く。




「――今日はお前さんがMVPだぜ」

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