第2章 黒い髪、赤い髪 2
(――でもここは、退却の一手だな……)
もちろん、困っている女性は助けてあげたいと思うのが人情。声の出どころを探していたのだって、そのつもりだったからだ。
だが現場に到着してみれば、相手は屈強な男が六人。まして未だ勝手もわからない、来て間もない異世界の地。そして、ここは魔法が日常的に存在している世界。
なのに、僕には魔法が使えないとくれば、勝算などあるはずもない。
(すぐに誰か呼んでくるから、悪く思わないでくれよ……)
ここは二人には申し訳ないが、今はこの場を立ち去るに限る。幸いこちらには誰も気付いていない。
だが、大きい動作で目立っては気付かれてしまうだろう。ここはゆっくりと背を向けて、今来た道を戻るようにソロリ、ソロリと……。
「――兄さま!」
予期せぬ叫び声。
その驚きに、身体中に電気が走ったように、一瞬で直立不動の体勢。そして硬直。
気付かれたことに観念し、恐る恐る後ろを振り返る。
「良かった! 兄さま、探しました」
「え? ……え?」
最初の呼びかけは聞き違いだと思った。
だが、改めて赤い髪の女性に『兄さま』と呼ばれ、間違いではなかったと確信する。もちろん身に覚えはないので、後ろに別な人物でも立っているのかと振り返るが、やはり誰もいない。
赤い髪の女性に、自分の鼻先を自分自身で指差して見せ、再度確認。
大きく頷く彼女。やはり、自分に対する呼びかけで間違いはない。
面識の全くない女性に『兄さま』と呼ばれ、動揺は隠せない。頭の中を色々な考えが駆け巡り、真っ白になる。
「ちょっと、な……アザミ、本当なの?」
「間違いないわ、カズラ。兄さまよ」
かばっていた黒い髪の女性の問いかけに、赤い髪の女性がハッキリと答える。
なるほど、二人の名前は黒い髪の方がカズラで、赤い髪の方がアザミか。
いやいや、二人の名前に気を留めている場合ではない。六人の男たちも眼光鋭く、熱い視線をこちらへ向けている。
「兄貴だと?」
「い、いや……何のことか……。知りません、知りませんて、人違いですよ……」
否定はしたものの、思いも寄らない状況に気が動転して、どうにも挙動不審だ。
しかし咄嗟に、相手を納得させられるような上手い言葉が見つかるはずもなく、下手な言い訳をしているようにしか聞こえない。
そして、アザミの『兄さま』という言葉を信じたのか、ひと際身体の大きい先頭の男がじわりじわりと、その巨体で地面を沈ませるかのように、こちらに歩み寄る。
「無関係ですって! だから、あなた方には何もしませんて。すぐに立ち去りますから、見逃してくださいよ」
「そう言って、油断させるつもりなんだろ。そうはいかねえぞ」
完全にアザミの言葉を信じて、関係者だと思い込んでいる。
こんな大男ににじり寄られて、ますますもって思考は停止。
そもそも、油断させたところでこの体格差。僕に魔法が使えるならともかく、腕力勝負で勝てるはずがない。
男たちの興味は、今や完全にこっちに注がれている。
一目散に背走すれば、逃げ切れるだろうか。幸い背後には誰もいない。しかし、魔法があるなら逃げたところで無駄かもしれない。呼べるものなら助けを呼びたい。
この世界にはおまわりさんはいるんだろうか? そもそも、おまわりさんで通じるのだろうか?
「――あっ」
視界に入ったのは、隙に乗じてこっそりと立ち去ろうとしている二人の姿だった。
アザミとカズラを指差しながら、思わず声が漏れる。男たちの注目は再びアザミとカズラに集まり、すかさず手下が再び捕らえた。
「あーっ、もう! せっかく逃げられそうだったのに、このバカ!」
カズラが罵声を浴びせる。
勝手に巻き込んでおいて、それはひどくないか?
だが、男たちがこっちに注目しているうちに逃走して、上手く引き付けてもらえば、全員が魔の手から逃れられたかもしれない。
さらに女が捕まるのと男が捕まるのでは、どちらがひどい目に遭うかも明白。そう考えると、僕の方が迂闊すぎた。再び捕まってしまった彼女たちに、申し訳ない気持ちも湧く。
ここまで巻き込まれてしまった以上、このまま一人で逃げ出しても夢見が悪い。痛いのは嫌だが、勇気を振り絞って抗おうと決意した。
背負っていた大きなリュックを肩から下ろし、力任せに勢いよく振り回す。
ふらつきながらも上手い具合に命中したのは、リーダーらしき巨漢の側頭部。
バランスを崩す巨体。
体勢を立て直そうとしているが、そんな猶予は与えない。間髪いれずにリュックを両手で大きく振りかぶり、今度は思い切り投げつける。
結構な重量があるリュックの威力はなかなかだったらしい。まともに命中して意識が朦朧としたのか、地面に膝を突いたまま、大きく首を振るリーダー。
そこに心配そうに慌てて駆け寄る子分たち。
カズラとアザミを捕えていた子分も、リーダーに気が向く。
その油断したところに体当たりを食らわせたのは、黒い髪のカズラ。警戒していなかった方向からの攻撃に、なすすべなく手下はすっ飛ばされ、アザミとカズラも拘束から解放された。
「逃げるぞ」
オロオロしているアザミの手を掴み、一目散に走り出す。
そしてカズラも何やら叫びながら、後を追いかけて来る。
「ちょっと待ちなさい! そっちはダメよ! このおたんこなす!」
本当に口の悪いお嬢さんだと思ったが、その指摘は正しかった。
一本道の行き先は、見事なまでの行き止まりだった。
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