第2章 黒い髪、赤い髪

第2章 黒い髪、赤い髪 1

 チョージたちと別れ、足の向くままこの世界を少しでも知ろうと街を散策。

 そう言うと聞こえは良いが、何のことはない、途方に暮れているだけだ。

 バーのマスターに案内してもらうつもりだった異世界。そこへ一人で放り込まれては、どこへ向かうべきなのか見当もつかない。


 庭園を出ると、道路は土に覆われていた。

 しばらく道なりに進んでみたが、幅の広い道路に突き当たってもやはり土。馬車が行き交うほどに賑わうこの道でさえ土なのだから、この世界ではこれが標準なのだろう。もちろん、自動車や路面電車は見当たらない。

 建物の外壁も木材やレンガばかり。コンクリートなど、どこにもない。

 日本も昔はこんな時代があった。そんな歴史の教科書に出てきそうな街の雰囲気。


 すれ違う人々も、日本人のような顔立ちの男女ばかり。リザードマンやエルフなんていうファンタジーさは欠片もない。

 チョージに魔法を見せられた後だというのに、やっぱりここは異世界ではなく、タイムスリップしただけの――それでも充分驚きだが――日本なんじゃないかとさえ思えてくる。


 しかし、それにしても暑い。太陽の高さからして、もう昼頃か。

 さっき物陰でTシャツに着替えたものの、この暑さに加えて重いリュックを背負っているせいで、汗が滝のようだ。

 失われた水分は補給しなければ。たまらず、何か飲み物でも買おうと店を探す。

 辺りを見渡してみたものの、コンビニもなければスーパーもない。もちろん自動販売機なんて、あるはずもない。あるのはこじんまりとした、個人経営の店ばかり。

 一軒ずつ眺めて行くと、店先の大きな木桶に水を張り、その中で瓶ジュースを冷やしている店を発見した。

 さっそく喉の渇きを潤そうと、無難なオレンジ色の瓶を取り上げて愕然とする。


 ――文字が読めない。


 瓶に貼られた紙ラベルに記されているのは、暗号のような記号。日本語とは似ても似つかない。そして、木桶に立て掛けられた値札のようなものも同様だ。

 一気に不安になり、慌てて周囲を見回す。だがやはり、どこを見てもこの記号ばかり。言葉は日本語なのに、使われている文字は違うというのか……。

 店の奥から愛想良く出てきた店員に、手に取った瓶をそのまま返却する。

 よくよく考えてみれば、この世界のお金も持っていなかった。


 店を背にして実感する。やはりここは異世界だ。

 そして急に心細くなる。この世界では無一文だ。

 非常食はリュックの中に少しならあるが、それを食べ尽くしたらどうしよう。

 寝泊まりはどうすればいいだろう。

 文字も読めないのに、仕事にはありつけるのか。

 収入もなしに、この世界で生きていけるのか……。


 滅入ってきた気分を変えようと、落ち着けそうな場所を探す。だが、さっきから視線がチクチクと痛い。きっとこの服のせいだろう。

 ついつい選ぶのは、人目を避けるように、賑わいのない道。

 そして暑さから避けるように、日陰になっている道。

 いつしか周囲は、大きな建物の立ち並ぶ倉庫街へと様変わりしていた。


 ここまで来れば人目も気にならないだろうと、手近な日陰に腰を下ろす。

 そして、ズボンのポケットから取り出す携帯電話。いつものように画面を確認……して気付く。ここは異世界だった。

 電波など届くはずもない。わかっていても、簡単には抜けないのが癖。

 誰に照れを隠すわけでもないが、頭を掻きながら携帯電話の電源を切り、そっとポケットにしまい込む。


「ふぅ……」


 リュックを肩から下ろすと、その解放感に思わず安堵のため息が漏れた。

 日陰で今は少しましだが、それでもこの暑さは黙っていても汗が頬を伝い、顎から滴り落ちる。水分の補給が急務。このままでは熱射病になってしまう。

 リュックから取り出したのは、非常用にと持ってきたミネラルウォーター。そしてそのままレンガ製の壁に寄りかかり、一気に飲み干す。

 そしてまた一つ吐き出す、大きなため息。


「なんで、異世界なんて来ちゃったんだろうな……」


 自分で望んで来ておきながら、ひどい話だ。

 現実逃避でライトノベルのファンタジーな世界に触れ、異世界に来さえすれば自動的に魔法が使えるようになって、自分だけが特別扱いの英雄になれそうな気になっていた……。

 幻想も甚だしい。

 今まで使えなかった魔法が、異世界に来ただけで使えるようになる方がおかしいと考えるべきだった。

 空に向かって右手を突き上げてみる。

 そして、さっき魔力補充をしていた男を真似て、左手を添えて意識を集中させる。

 こういうときはやっぱり火だろう。燃え盛る炎をイメージして集中を高めていく。


「…………」


 やはり、何の変化も起きやしない。


「はぁ……。もう帰りたい……」


 まだ丸一日と経っていないのに、既にホームシック。

 いつでも帰れる状況なら、ギリギリまで頑張れる。だが物理的に帰れないとなると、逆に無性に帰りたくなってしまう。

 空を見上げながら頬張る、非常食のスナック菓子。

 この世界でも雲は流れていくんだな……と、突然芽生えたセンチメンタルな気分に浸りながら、先ほど庭園でチョージからもらった言葉を思い返す。


『この世界は、魔力が強い人が偉いんです。魔力のない君には厳しいかもしれませんが、頑張るんですよ』


 チョージの言葉を噛みしめ、そして自分に言い聞かせる。


(――魔法が使えなくても、きっと英雄になる道はあるさ……)


 せっかく叶った、念願の異世界転移。

 だったらこの勢いで、憧れに向かって突き進んだ方が良いに決まっている。

 異世界で魔法をぶっ放し、悪人をやっつけ、困ってる人を助ける英雄に憧れていた。本の中だけの話とはわかっていても、夢見ていた。

 まだ魔法をぶっ放せなくなっただけで、他の部分は実現可能じゃないか。

 この世界にも、困っている人は山ほどいるはず。

 その人たちを助けよう! そう心に誓った。


 そうと決まれば、やることがもう一つ。

 チョージの『困ったことがあったら、いつでも来なさい』という言葉に甘えよう。

 この世界で、一人で生きていけるわけがない。

 まずは、図々しいのは承知の上で、チョージのところに転がり込む。

 そしてこの世界で暮らしていけるようになったら、改めて恩返しをすればいい。


 ここでぼんやりしていたお陰で日も傾き始め、少しは気温も和らいだ。あまり遅くなって、暗くなってしまうと道もわからなくなってしまう。

 善は急げとリュックを背負い直し、チョージの事務所へと向かう――。



「…………何するのよ、やめなさいよ……」

「……やめてください……」


 意気込みに水を差すように、どこからか聞こえてくる、鬼気迫る女性の声。

 入り組んだ道をキョロキョロしながら、声の出所を探して回る。

 倉庫街のせいか、音が反響して方向が掴みにくい。そして、当然ながら土地勘もないので、さらに捜索は困難を極める。


「こっちの方っぽいんだけどな…………っと」


 角を曲がった途端、修羅場に出くわす。

 裕福そうな身なりの女性が二人。そして、それを取り囲む六人の体格のいい男。

 街角でナンパ……という軽い状況には到底見えない。


 最初に目を引いたのは、圧倒的な劣勢にもかかわらず、勇敢に粗暴な身なりの男たちに立ち向かう黒髪の女性。もう一人の女性をかばいながら、険しい表情で睨みつけてはいるが、やはり不安は隠しきれていない。

 かばわれている方は背が低く、穏やかそうな赤い髪で、豊満なバストが圧倒的だ。

 こんな状況下でもそんな目で見てしまう自分が、男の性とはいえ情けない。

 そしてこの女性も不安そうな表情はしているが、決して屈しないという強い意志が感じられる。

 なんてことだ、こうしてはいられない……。




(――これは、さっそくの人助けチャンスじゃないか!)

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