第3話 ファースト・オーダー

 空が黎明れいめいに開けていく。地平線から静かに立ち上る太陽の輝き。

 敏感に異変を察してリカオンの意識が覚醒した。

 まぶたを開くと、すぐ目の前にはキンシコウの胸があった。

 状況がつかめずに気が動転する。慌てて視線をあちこちに飛ばすと、どうやら自分はいつの間にかここで寝てしまったようだ。

 さらに体を重ねるように、となりで寝落ちしたとおぼしきキンシコウ。これが現在の状況である。

 落ち着いて事態を把握したところで、さらなる悪寒が体中を駆け抜けた。

 何かとんでもないことが起きる。

 急いで上半身を起こし周囲を確かめる。木々で羽を休めていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。


「キ、キンシコウさん、起きてください! なにか変です!」


 警戒態勢を取りながらハンターを起こそうとする。

 キンシコウが自分を呼ぶ声に反応して、まぶたを開いた。さすがは経験豊富な強者である。ただならぬ予感を察知して、すぐに立ち上がった。

 さらに、群れの周辺でも異常を感知した仲間たちが次々と起き上がる。


「ヒグマさん! 早く、起きてください」


 そんな中、ただひとりいつまでも寝息を立てていたのがヒグマである。


「むにゃ……。キンシコウ、もう食べられない……」


 ベタな寝言を口にしつつ、安定のボケをかます。

 この大胆不敵さが、いわゆるひとつのさいきょーってやつの証なのだろう。

 あきれてキンシコウが体を揺さぶろうとした時、大地が激しく揺れた。


「な、なんだあ!」


 さすがのヒグマも一発で目を覚ました。

 周りを見れば、みながバランスを失わないよう、両手をついて片膝立ちになっている。

 揺れはしばらく断続的に起こり、いつしか静かになった。


「山の方を!」


 誰かが叫び、全員の視線がその方向へ集中する。

 火口からは多くのサンドスターが空に向かって放出されていた。


「いまのはサンドスター放出の予兆だったのか……」


 リーダーが全員の無事を確かめたのち、小さくつぶやいた。

 とにかく、ひとりの犠牲者も出さなかったことに安堵している。


「念のためにパトロールと周辺の監視をしておいたほうがいいか」


 人員に目星をつけようとした時、群れの中から突然、大きな声が上がった。


「ダメです! みんな、まだ動かないで!」


 叫んだのはリカオンだった。あまりもの唐突な指示。けげんそうなまなざしが一斉に突き刺さる。


「来ます……」


 そう言って右手で示したのは遠くに見える森の奥。曙にわずかな光を受けた木々の間。そこから黒いセルリアンがいきなり出現した。

 敵の存在を確認すると、すぐさまヒグマが臨戦態勢を整える。得物を両腕に構え、視界の中心にセルリアンを捉えた。


「いくぞ、キンシコウ!」

 

 わずかに腰をかがめ、いまにも飛び出さんと両足に力を込める。


「みなさんは下がってください! わたしたちが対処します」


 続けてキンシコウが後方への退避を誘導する。それからヒグマの後を追うようにセルリアンめがけていまにも駆け出そうとした。


「ダ、ダメです! まだ動かないで!」


 ハンターたちの初動を再度、リカオンが制した。

 またか、と誰もが恨めしげに考える。


「いい加減にしろ! 臆病風に吹かれたのなら黙って避難すればいい。彼女たちの邪魔をするな」


 リーダーの声がさばんなに響き渡る。だが、リカオンの目はなおも森の奥へ注がれていた。すべてを見通す鋭利なまなざし。


「リカオン。何が見えている?」


 前に出たヒグマが短く問いかける。その呼びかけに応じて、今度こそ確信を持って彼女は答えた。


「まだ来ます……。数は三、いや四です」


 リカオンはさらに多くのセルリアンの襲来を予告した。

 言葉通りに、ほどなく暗がりから複数の敵が姿を見せる。

 これまで決して表立ってフレンズを襲おうとはしなかった、なぞのセルリアン。だが、突如としてやつらは集団で押し寄せてきた。


「みんな、下がれ! 絶対に囲まれるな! 戦えるメンバーは協力しあって対抗するんだ、いいな!」


 リーダーの激が全員に飛ぶ。大型の黒いセルリアンが相手では容易に倒すことはできない。戦闘はハンターのふたりに委ね、味方はできる限る被害を出さないように心がける。それが最善の策であった。


「ヒグマさん。この数が相手では……」


 キンシコウが緊張した面持ちで不安を伝える。両者とも作戦がかなり困難であると、すでに予想はしていた。問題は敵の数よりも庇うべき味方の多さである。これでは互いに連携しての攻撃は望むべくもない。それぞれが近くの敵と対峙して、群れの人員に被害が出ないようフォローをするしかなかった。

 セルリアンがこちらに向かって、さらに足を早めている。バラバラに逃げ出せば確実に弱いものが犠牲者となる。それ以上に、ここから後退を余儀なくされれば、大切なナワバリを失うことになる。

 戦うしかない。それが大自然に生きるフレンズの掟であるのだ。


「リーダー、お願いがあります。わたしを偵察に行かせてください」


 すべてのメンバーが悲壮な覚悟を固める中、唐突にリカオンが願い出た。


「お前は……。どこまで身勝手に振る舞うつもりだ。いま、ここにいる全員が力を合わせて戦おうとしているのだぞ?」


 その述懐には怒りよりも先に混乱が作用していた。

 それでも彼女はみずからの発言を決して撤回しない。


「リカオン、何故なぜそう思った?」


 呆然としているリーダーに代わり、ヒグマがたずねた。


「まて。群れの問題には口を出すなと言っただろう……」


 慌てたように質問をさえぎる。だが、ハンターの対処は努めて冷静だった。


「悪いが、対セルリアンの戦闘であれば、わたしのほうが優先だ。話せ、リカオン。時間が惜しい」


 大挙して押し寄せてくるセルリアンの影。せまる脅威を遠目に見ながら、さらに返答をうながした。

 彼女には理由がある。それは経験を超えて才能と本能がもたらすものだ。

 いまこそ真価を確かめるときである。リカオンが視界のさらに先、情報と想像を手がかりに隠された真実の扉を明らかにして見せる。


「敵は森の向こうからのみ姿を見せています。もし、大量に同時発生しているなら、やってくる方向はバラバラのはず。それなのに、みな同じ方向から列を作るようにやってきています。だとしたら、あの森の奥に何かがあります。多くのセルリアンを生み出している、なぞの存在が……」


 リカオンの推理は単純明快であった。現在の状況を速やかに整理し、あるべき可能性を提示する。見えない部分を補うのは合理性と必然性……。人であることの優位性を確かに示している。


「そんなものは、お前の勝手な想像に過ぎない。群れを守る戦いに参加しないのなら、わたしはお前を追放しなければならない。それでもいいのか?」


 リーダーは厳しい判断でリカオンの行動を掣肘せいちゅうする。

 群れで協力して生きることをむねとする、『オオカミ連盟』。

 その中では、個人の思惑に従って勝手な行動を取ることは決して許されない。

 掟とは暗に理不尽さを正当化するための残酷な道具である。

 集団を守るためには、あえて不都合な現実から目を背けなければならない。

 それが生きるという選択であるのだ。


「リーダー、わたしは群れのみんなを守りたい……。だから自分にいまできることをやりたいんです。お願いします、わたしを信じて!」

「そんなもの……」


 ひとりの独断を許せば集団の秩序は維持できない。たとえ結果的に判断と行動が正しかったとしてもだ。最後には群れの中に彼女の居場所はなくなる。それをリーダーは懸念していた。


「よし、わかった……。いけ、リカオン」


 すべての葛藤を飛び越して、ヒグマが命令を下す。

 これがハンターとしてリカオンが受けた最初のファースト・オーダーであった。

 目的は敵の正体を明らかにすること。そして、生きて情報を味方に伝えること。


「ハンターとして、わたしが命じる。走れ、リカオン! お前の目と足で、このセルリアンの秘密を暴け!」 


「オ、オーダー! 了解しました」


「情報を持って戻ってくるまでは、わたしとキンシコウでここを支える。お前の帰還をまって反撃を開始するぞ! いいな、キンシコウ?」


 問いかけに、すぐとなりにいたキンシコウが大きくうなずいた。


「では、戦闘開始だ! かかれ!」


 合図とともにハンターの二人が飛び出す。遅れて数名のメンバーがセルリアンに向かって駆け出した。

 戦いが始まる。生きることの真価を懸けた、決して負けられない戦闘である。勝利のカギは『情報』であった。それを求めてリカオンがいま走り出す。




                               つづく

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