第2話 夜につつまれて

 ふたりを引き連れて群れへと帰ったとき、日は完全に暮れていた。

 足元を照らすのは少しづつ高く登る大きな月と満点の星空。


 「無事だったか、リカオン? 戻るのが遅かったから、何か有ったと思って…………おい、そいつらはなんだ?」

 

 帰還早々、耳に届いたのはリーダーの詰問であった。


「ご、ごめんなさい……。途中で、この人たちに会ったんです。こちらはハンターのヒグマさんとキンシコウさんです」


 リカオンがふたりを紹介する。キンシコウは丁寧にお辞儀をして、ヒグマは笑顔を浮かべながら軽く手をあげた。


「ハンターだと?」


 告げられた名前に聞き覚えはある。問題は、そのような連中がなぜ自分たちのナワバリに足を踏み入れてきたのかだ。


「すまないな。ここ最近、なぞのセルリアンが出没しているという連絡があってね。わたしたちがやってきた、という次第さ……。まあ、よろしく頼むよ」


 大自然の掟が生きるジャパリパーク。ここでは部外者が他人のナワバリに分け入ることは決して容易ではない。その数少ない例外がハンターなのである。

 彼女たちは図書館の要請を受け、強い権限でパーク内を巡回する。

 もちろん、行く先々で常に大歓迎を受けるわけではない。特に大きな群れを形成しているグループ内のナワバリでは、様々な軋轢あつれきが生じるケースも多かった。


「リカオン。どうして、こんなやつらをわたしに無断で連れてきた? お前の仕事はナワバリの異変をすぐにでもわたしに伝えることではないのか」


 リーダーが手厳しくリカオンを叱る。原因となった手前、慌ててヒグマが弁明に動いた。


「まってくれ。その子が遅れたのは、わたしたちと接触して逃げられなかったからだ。なにもあなたに断りもなく勝ってに決めたわけじゃない」


 ヒグマはありのままの事実を伝え、相手の誤解をほぐそうとした。

 だが、結果は最悪だった。ハンターの指摘に群れのおさの表情は一層、険しくなる。


「囚われただと? どういうことだ。まさか、自分の手柄が欲しくて不用意に近づいたわけじゃないんだろうな? 自信過剰なふるまいは、いたずらに犠牲者の数を増やす。少しは自重しろ」


「そ、そんなつもりじゃないです。あの、でも、ごめんなさい……」


 リカオンは一方的に責められて謝ることしかできない。捕まったのは事実である。そして、リーダーは群れ全体を心配して厳しい言葉を選んでいるのだ。

 他のメンバーも思いは一緒。なので、どこからも異論の声は上がらなかった。


「ダメよ、ヒグマさん……」


 放っておけば、いまにも食ってかからんとしているヒグマの様子。

 キンシコウはその手を取って静かに彼女をいさめた。

 部外者が安易に口を挟めば、逆にリカオンがグループ全体から孤立する。

 かわいそうだが、いまは黙っていることしかできない。


「もういい。ふたりの世話は連れてきたお前に任せる。それとハンターの方々に言っておく。セルリアン退治に関しては自由にやってくれて構わない。ただし、群れの問題に口に挟むのはお断りする……。以上だ」


 冷めた態度で言い残し、仲間の輪の中心に戻っていく。

 みながピリピリと張り詰めた空気を感じていた。

 それも仕方がない。セルリアンの脅威がすぐ間近に迫っているのだ。





 あてがわれた樹の下で休憩を取るハンターのふたり。

 ヒグマはふてくされたように早々と寝入ってしまった。

 先程のやり取りが随分と腹に据えかねている様子だ。

 キンシコウは、その背中を母親みたいに眺めている。


「あの……。もう、おやすみでしょうか?」


 どこからか声がした。視線を向けると暗闇からリカオンが姿を現す。


「いいえ、いまはわたしが見張りをしている時間よ。どうかしたの?」


「ごめんなさい。ちょっとだけ、お話がしたくて……。よろしいですか?」


 リカオンの言葉にキンシコウは自分のとなりを示す。そこへ腰を落としてから、彼女は小さく問いかけた。


「あの……。キンシコウさんは、どうしてハンターになったんですか?」


 これまで行く先々で様々な質問を受けてきた。どのような敵と戦ったのか。あるいはセルリアンは怖くないのか……等々。だが、ハンターとなった起源を問われたのはこれが初めてだ。


「どうしてかって、そうですね……。元々、わたしは修行のために各地でセルリアンと戦っていたのですけど」


 これまでのことを振り返りながら思い出をつむいでいく。


「突然でしたね。そこにいるヒグマさんから、『どうせなら、ふたりでセルリアンを退治しよう。もっと強いやつらと戦えるから』と誘われたのが始まりでした。結構、強引でしたよ。それまで一言も話してくれなかったのに、最初に声をかけられたのが勧誘でしたから……。本当、自分勝手なんだから」


 内容とは裏腹に話す声の調子はどこか嬉しげである。

 キンシコウの経験談に質問をしたリカオンは少し悲しげな様子で感想を述べた。


「やっぱり強くないとハンターは務まらないんですね……。わたしなんて群れの中でもパトロールや監視役しかやらせてもらえない。でも本当は、それすら満足にやれてないんです……」


 膝を抱えて悔しそうに述懐する。若者はいつもそうだ。理想と現実の間で迷い、とまどう。


「ハンターは常に危険と隣り合わせの生活よ。あなたは群れのメンバーとして、しっかり役割を担っている。それこそフレンズにとって一番、大切なことだわ」


 キンシコウがそう言うと、リカオンは少しだけ安堵したような表情を浮かべる。

 だが、本当はわかっていた。これが慰めに過ぎないと。

 同情は人の心をときに激しく傷つける。無辜むこの精神は鋭利な刃物のように病んだ傷口を深くえぐっていく。

 心はどんなに痛くても叫び声にはならない。ただ泣きたくなるだけだ。


「だけど、今日もリーダーに叱られてしまいました。それにこの間も……。セルリアンに仲間が襲われた時、山の方で何か変化があったと思ったけど、みんなからはただの思い違いだって言われて……」

「——おい、それって本当なのか?」


 背中を向けて眠っているはずのヒグマ。それなのにリカオンの声に反応して訊き返した。


「あら、起きていたのですか?」


 どこか、そらぞらしいキンシコウの声。


「お前たちが耳元で話すから目が覚めたんだよ……。いや、もういいんだ。それよりもさっきの話だ。セルリアンが出たときに山の方で何かあったのか?」


 半身を起こし、相手と対峙するよう姿勢をあらためる。

 だが、ヒグマの質問に答えるリカオンはいかにも自信なさげだった。


「で、でも、本当にわたしの勘違いなんです。実際、二人目や今日は特別なことを感じなかった……」


 悔しさや悲しみに慣れてくると、いつか自分自身が信じられなくなる。

 間違っているのは自分だと最初に決めつけてしまえば誰も傷つかない。

 そうしているうちに、すべてがわからなくなっていく。

 たとえそれが、本当の自分自身であったとしても……。


「なあ、リカオン。わたしが知りたいのは、お前が何を感じたかなんだ……。他の連中の意見なんてどうでもいい。わたしにとって必要なのは、お前自身の答えだ。自信を持て。お前の偵察能力はハンターであるわたし以上なんだからな」


 歴戦の勇者が自分に意見を求めている。

 信頼の厚さに思わずうつむいた。うれしいと同時に胸の内側から想いがあふれてくる。

 気がつけば涙が止まらなくなっていた。

 声にはならない叫びを上げてリカオンが地に伏せる。

 やさしも厳しさも、すべてを受け入れるには彼女はまだ若すぎた。





「日が昇ったら山の方に行くよ。変わったことがないか調べてみようと思うんだ」


 ヒグマがキンシコウの方を向いて明日の予定を提案をした。

 彼女の両膝には泣きつかれて眠ったリカオンの姿がある。

 はた目にはまるで親子だ。


「それにしても、びっくりしたよ……」


 子供のような寝顔を浮かべているリカオン。その様子を遠くから眺め、ふとつぶやく。


「何がですか?」

「いや、急に泣き出すから、てっきり傷つけちゃったのかなと……」


 どこまでも無自覚なヒグマの行為。キンシコウがあきれたような表情を浮かべる。


「な、なんだよ。その顔は」

「いえ、別に……。ヒグマさんだなーって、思っただけです」


 リカオンの頭をなでながら冷めた態度で突き放す。


「この子もいっしょに連れて行くよ」


 落ち着いた声でヒグマがそう告げた。

 視線を山の方に動かし、壮大な景色を瞳に収める。

 山のふもとに広がる森。いまは不気味なほどの静寂を見せていた。


「え? でも……。群れのおさには」

「わたしが掛け合う。セルリアン退治に必要といえば、嫌とは言わないさ」

「そうですね」


 結局のところは、いつものヒグマだった。無鉄砲なふりをしてキチンと自分がどうすればいいのかを考えている。その判断だけは決して間違わない。


「それじゃあ、もう寝よう。お前はどうする?」

「もう少しだけ、この子を見ています。先に休んでいてください」


 キンシコウの返事を受け、ヒグマがふたたび体を横にする。

 ほどなく静かな寝息を立て始めた。

 必要なときに十分な休息を取れるのが真の一流である。

 さばんなの夜がふけていく。さざめく虫の声が子守唄となって、ケモノたちの眠りを誘っていた。




                               つづく

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