第68話 夏休み最終日Ⅶ
腹の痛みに耐えながらも、なんとか立ち上がり秋月の部屋の前に到着した俺は、弱々しくも扉をノックした。
扉を開けた秋月が驚いた顔をする。
「どうしてそんなにぐったりしてるの! 美蓮の部屋でなんかあったの!」
あたふたとするその姿をほほえましく思う。秋月が少しでも感情を表に出してくれたことをうれしく思う。
「いや、何でもない……それより、文化祭の出し物の話はどこまで進んだ?」
「決まったよ」
部屋の奥から晴人の声が飛んできた。
「我ら相談部は、なんと――相談部小説を販売します!」
相談部小説ってなんだよと聞けば、晴人は待ってましたとばかりに胸を張る。
「相談部の小説だよ。相談部の、相談部による、売り上げのための小説だよ。売り上げることが目的ってことはいいよね。売り上げが上位に入ってくれば、毎月の部費の支給額も多くなる。あわよくば、上位三位以内に入って、一般公開の人たちにも販売したいよね。そうしたら売り上げも上がるし」
部に支給されるお金が増えるって、俺たち普段からお金のかかる活動していないだろ。
俺の疑念を読み取ったのか、晴人は理由を述べる。
「部費があれば、例えば、学外にも活動範囲を広げられるじゃないか。いろいろな場所に行っていろいろと活動できる」
相談部の学外での部活動がそもそも認められるのか? 運動部が学外で練習試合に行くときは学校に申請書類を出さないといけないと聞いたことはあるが、それが相談部にも適用されるのだろうか。相談部が学外で活動するのは許されるのだろうか。たとえ、相談部の学外活動が認められたとしても、晴人の意見にはいただけないものがある。
「……いろんなところを訪ねてみたいだけなんじゃないか」
晴人は、昔から旅行好きで、時間を見つけてはいろいろなところを旅していた。俺も一度だけこいつの旅行に付き合ったことがあるが、次から次へと移動するので、体力的にも精神的にも参ってしまった。その後、こいつと一緒に旅行に行くのは俺の禁忌となっている。もう二度とあんなにしんどい思いはしたくない。
「というわけで、上位三組を目指して、相談部の小説を販売しようじゃないか!」
俺の話を右から左へと受け流した晴人は、右の拳を高く振り上げた。
「相談部小説って具体的にはどういう内容を考えているんだ?」
他の二人は、俺がいない間に内容を聞いているのだろうが、アクティブな俺はさっきまでボクシングを楽しんでいたので――殴られる側だったので、実際に感情的に楽しかったかと言われればそんなことはないのだが――そのあたりの話は聞いていなかった。
一人一つ小説を書くとかだったら、悲劇でしかない。国語の中間、期末テストともに平均点以下だった俺からすれば、世界の終わりが見えてくる。小説の終わりは全く見えてこないだろう。
そんな俺の心中を察してくれたのか、一人一つ小説を書くだなんてありふれたことはもちろんしないよ、と晴人は続ける。
僕たち三人で考えた結果――
今までの僕たちの活動を小説にするんだよ。共作でね。
嬉々とした調子で語る晴人に、俺は疑問をぶつける。
「共作って……結局みんなで小説を書くんだろ。一人一つ小説を書くのと大して変わらないんじゃないか? それに、去年までの相談部の活動内容の半分くらいの分量しか活動していないから、文集を出すのはやめておこうという話にさっきなったじゃないか」
秋月と冬川はその辺の話しをもちろん了承しているのか、特に何も言わず、晴人の話を聞いている。
「共作と、一人一つ作品を書くのは違うよ、春樹。両者は全員が物語を綴るという点では同じだけれど、共作の場合は綴り方が違ってくる。分かりやすく言えば、誰かがプロットを考えて、他の誰かが文章を書くという役割分担ができる。対して、一人一つ作品を書くともなれば、共作では分割されていたすべての役割を一人でこなさなくちゃならない。一つでも苦手な部分があれば、そこで頓挫してしまうかもしれない。でも共作だと、ある程度自分で果たす役割を決めることができる。自分が貢献できそうな役目を選ぶことができるんだ」
確かにそういう点で、共作のハードルは低いのかもしれない。あくまでも素人目線でだが。
「それと、分量の話だけど、去年までは文集だったんだ。この前、学校の図書館で偶然バックナンバーを見つけて中身を確かめたんだけど、書き方が事実の羅列だった。何月何日にこういう相談事があって、私たちはこういう形で相談事に取り組んだみたいな感じで。感情描写が書かれていなかったんだよね。だから、小説にすれば、描写をする分、分量も増えると思うんだ。半年分の活動内容でも十分“もの”になると思うんだ」
あえて感情描写を入れなかったんだろうな。どういう気持ちでそういうスタンスをとっていたのかは想像するしかないわけだが。桜川先輩も受験勉強で忙しいだろうし、わざわざ手間を掛けさせても悪いしな。
「俺たちが勝手に形式を変えても大丈夫なのか」
今まで文集という形式で事実の羅列に留めていたものを、急に小説として書いてしまってもいいのだろうか。俺は伝統云々にこだわる方ではないが、先輩方の意志に背くことになってはいろいろと面倒な気がする。
「ああ、そこはいいんじゃないかな。一旦僕たちの代でメンバーがリセットされたしね。冬川さんも桜川先輩から部長を引き継ぐときに、《あとは君たちの好きなようにしてくれ。好きでなければ物事は長続きしないからね》って言ってたみたいだしね」
冬川の方を見れば、軽くうなずいていた。
そうだ、一番大切なことを確認していなかった。これはとても大切で重大な確認事項だ。俺としたことが、事実の確認に目を奪われて、肝心なことを見失ってしまう所だった。
「役割分担はどうするんだ」
もちろん決めているよ。そう言って、こちらに一枚の紙を渡してくる。
そこにはこう記されていた。
秋月美空――表紙・裏表紙・挿絵
山内晴人――プロット
古川春樹――執筆
冬川凛――編集・統括
ちょーと待て。俺が書くだって。苦言を呈する俺に晴人がやけに活き活きと話しかけてくる。
「春樹が書くべきだという点で全員の意見が一致したからね。小説好きだろう」
確かに小説は好きだが、それはあくまでも読むのが好きなのであって、書くのは好きじゃない。というか、そもそも書いたことがない。
「春樹なら大丈夫さ。普段からの言動をそのまま小説で書けばいいさ。案外やってみると面白いかもしれないよ」
国語の成績が、と反論しようとしたところへ、秋月の声が割り込んできた。
体も割り込んできた。俺と晴人の間に差し込まれた。さながら本のしおりのごとくすんなりと。
「私も適任だと思う。……春樹が書く物語を読んでみたいし、私がどう見えているのかも」
語尾になるにつれ、もごもごと話す秋月。聞こえない、聞こえませんよ、秋月さん。
「そういえば、秋月が表紙とか担当するって書いているけど、絵描けたのか」
当然俺が秋月のことを知り尽くしているなど、そんな傲慢な考えはもちろん持ち合わせているつもりはないが、それにしたって秋月が絵を描くなんてことが信じられない。
「私、絵にはそこそこ自信があって。中学の全国コンテストで入賞も何度かしたし」
まじか……そんなに繊細な奴には到底見えないんだが。
「絵を描くのに繊細かどうかは関係ないよ。その人の絵がどれだけ魅力的かどうかが重要。見る人の心をどれだけ揺さぶることができるのかが求められるんだよ」
何やら芸術家らしいことをおっしゃていらっしゃる。俺の秋月のイメージが壊れていく。
「ちょっと、今まで私のことをどんなふうに見ていたのよ」
ぷりぷりとお怒りでいらっしゃる、秋月氏が。
「わ、わかったよ。秋月に絵を任せるのは大丈夫そうだな。冬川の役割は問題ないとして、晴人――お前がプロットを考えるんだな」
正直こいつがプロットを考えるだなんて意外だった。自分からは生み出すことをやめていたこいつが。まあ、あくまでも晴人の心中は本人にしかわからないのだが。もしくは本人でさえも理解していないのかもしれない。
「まあね、自分でも一歩を踏み出す必要があると感じていたんだ。中学の頃から後退し続けていた自分ももうそろそろ前を向いて足を踏み出していく必要があるんじゃないかってね、常日頃から考えていたんだ――桜川先輩に部室で再開し、この相談部で活動を始めるようになってからね」
桜川先輩――どうしてその人の名前がここで出てくるのか。このときの俺は晴人に問いただすことができなかった。もしこのとき晴人に話を聞くことができていれば、この先の事態はもう少しましな道のりをたどっていたのかもしれなかった。上り坂が下り坂にまではならずとも、せめて平たく勾配のない道のりに代わっていたのかもしれなかった。もしくは、傾斜の軽い上り坂に収まってくれていたかもしれない。
とにかく、俺たちの役割分担は決まった。
こうして、俺たちの夏休みの最終日は幕を閉じた。
そうして、明日から二学期が始まる。部活が始まる。文化祭に向けての活動が始まる。
さてさて、今日は明日に備えてゆっくりと寝させてもらうとしようか。
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