第19話 初相談Ⅲ

 しばらくしても先輩が応じないので――というか、おそらくノックの声が聞こえていないのだろう。一人のときは一体どうしてたんだ、この人――一番扉に近かった秋月が扉を開けた。

「ようこそ! どういったご相談でしょうか?」

 そういえば、俺と晴人が部室を訪ねたときもこんな感じで秋月が出たよな、確か。あのときどうして秋月が出たのか疑問だったが、こういうことだったのねー。

 開けた扉のむこうには、見覚えのある女子生徒が立っていた。……長い黒髪を一つに束ねたポニーテール……不揃いに伸びた前髪……少し勝気そうな顔立ち。えーと、確か――灰色の脳細胞たちに眠る記憶を呼び覚ます。

「あ! 昨日桜井先輩を探してる途中に出会った吹奏楽部員の子じゃないかな?」

 俺の脳細胞が自発的に目覚めることはなかった。

「確か、楽器は――」

 晴人が言い終わるのに先んじて、その女子生徒は言葉を発する。

「フルート。っていうか、私これでも先輩だよ、二年生。二年三組の秋雨ほのか。その子呼ばわりはないんじゃない、一年生くん」

 頬を膨らませ、両手を腰に当て、両足を少し広げて立つ秋雨先輩。……言葉とは対局して子供っぽい仕草である、とは思ったが、もちろん俺には火に油を注ぐ度胸などあるはずもなく、沈黙する。

「そうでしたか! 失礼しました! あまりにも先輩が若々しく見えたものですから」

 うまく言い逃れようと、うまい言葉を語ろうとする晴人。お前、そんな見え透いた手が通用するとでも思ってるのか、仮にも相手は先輩、俺たちより一年長く生きている人生の先輩だぞ。

 もじもじする先輩。

 ……まるで恥ずかしがっているように見えるのだが。

「若々しいだなんて、そんな」

 効果覿面でした、はい。先輩ちょろすぎます。しかも、晴人が言った、若々しいって言葉で高校一年生と二年生の勘違いを説明するのは無理があると思うのですが……。先輩、気づいてください。

 これ以上話が長引いて先輩が晴人の言い逃れに気づいてもなかなか面倒だろう。

「ところで、先輩はどういったご用件でこちらへ?」

 話を本筋に戻そうと秋雨先輩に話しかける。すると、そうだった、そうだったと言いながら、先輩はこちらへ体を向ける。

「実はこの前、新入生歓迎会として各楽器パートがそれぞれで演奏会を実施したんだ。毎年、新入生たちにそれを見てもらって、どの楽器をやりたいかとか決めてもらうんだけど、今年はちょっと困ったことになっちゃって……」

 先輩はがくりと首をうなだれた。……やっぱり子供っぽいな、仕草が。これだと、先輩自身が新入生と聞かされても驚かないな。そんな済んだ話を蒸し返すような思考を読み取ったのか、先輩は顔を上げこちらをぎろりと睨みつけた。

「今、なんか失礼なこと考えてなかった……」

 ……頭頂部にセンサーでもついてるのか。

「いえいえ、そんな滅相もない」

 俺はありったけのスマイルゲージを費やして、笑顔で答えた。……今日はこれ以上笑えそうにない。……もともと俺はめったに笑わないが。中学のとき、女子から「能面くん」と呼ばれたことがあるぐらいだ。そのときさらに辛かったのは、その言葉を発した女子が、しまったっていう顔をして、周りの女子に視線を送ってたことだ。陰でそんな風に言われているのかと、いくら能面の俺でも少しばかり表情を曇らせてしまったのではと思う。……救いは、その子が次の日に「ごめんね」って言いながら、ハーゲンダッツをくれたことかな! もうあれで全部帳消しってレベルで嬉しかったな、うん。女子から物をもらうなんて何年ぶりって感じだったし。おっと、俺の脳内が脱線してたな。先輩に言えたもんじゃない。

「それで、困ったことというのは?」

 まあ、そういうことにしといてあげる、とつぶやいた後、先輩は続きを話し始めた。

「その新入生歓迎会の後で、新入生たちにどの楽器をやりたいか、紙に書いてもらったの。その集計結果が問題というか、なんでこんなことになったのかよくわからないというか……。つまり、その、全員がフルート、私が担当した楽器を書いてたの」

 確かに奇妙な出来事ではある……。

「ちなみに、新入生は何人ですか」

「二十四人よ」

 その全員がフルートと書くのは、普通だったら確かに確率的には起こりにくいと考えられるな。でも現に起きたわけだ。

「先輩たちのフルートの演奏が上手で、聴いた一年生が感動したってことじゃないんですか」

 秋月の考えもありうるものだと思う。

「うーん、その可能性は低いと思うんだ。何せ、自分たちで言うのも認めてるみたいでいやなんだけど、いやまあ実際問題それが現実なんだけど……私たちのフルート、そんなに上手じゃないんだよね。あ、ちなみにフルートを演奏したのは私を含めて三人ね。外部からも、他の楽器なんかは評判がいいって聞いたりするけど、フルートはからっきし聞かなくて」

 上手さではないとすれば、他に考えられるのは――。

「何かフルートをしたら、一年生にとってメリットになるようなことを思いついたりしませんか? 例えば……後輩から人気のある上級生がフルートを吹いていて、フルートを選べば、仲良くなれるかも、とか」

 先輩は、あごに人差し指を当て、考えるようなそぶりを見せた。

「……思い当たる節がないんだよね。人気のある上級生、もいないと思うし、メリットっていうメリットも心当たりがなくて」

 フルートの上手さに惹かれたわけではない。フルートを選んでも特にメリットはない。

 にもかかわらず、一体全体どうして全員がフルートを選んだのか。

「そういえば、のだめが流行った年って、ピアノを習う人口が増えたって聞いたことある。フルートが活躍した番組とかあったのかな、今年。それで人気が出たとか?」

 秋月のふと思い出したかのような独り言に、即座に答えが返される。

「そういう番組なんかはなかったね。楽器に関しては僕もそこまで詳しくは知らないけれど、最近流行していそうな楽器と言えば、コントラバスじゃないかな。この前まで、コントラバスを演奏する主人公が活躍するアニメが流行っていたみたいだから」

 さすが歩くwiki、山内晴人だ。

 コントラバスが活躍……なんか重そうなアニメに聞こえるな。実際重いだけに、コントラバス。

 そんなどうでもよくてどうとでもなるような考えに頭を使いながら、もう少し今回の事件(?)について考えてみた。

 ふと気になることがあったので聞いてみることにした。

「そういえば、新入生には直接聞いてみたんですか? どうしてフルートって書いたのかって」

 そうだ、当の本人たちに直接聞けば済む話なんじゃないか。別にわざわざ相談部に着て相談しなくてもよさそうな内容に感じたのだ。

「ああ、私たちも新入生に聞いてみたんだ。そしたら、《フルートかっこよかったです!》《とても上手だと思いました》とか、そういうありきたりで肯定的な答えしか返ってこなくて。……何か別の理由があるのだとは思うんだけれど、あんまり深くは聞きづらいし」

 うーん、今すぐ解決というわけにはいかなさそうだな。もう少し調べてみる必要があるか、これは。

 秋雨先輩には、調査のための時間を頂くことを了承してもらい、ひとまずお引き取り願ってもらった。

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