転化する世界

 会社を無断欠勤して一週間も過ぎた頃、ぼくは朝焼けの中でいつになく興奮していた。

 今、目の前に死体があるからだ。

 殺されたばかりの死体だ。

 日も変わろうとする深夜、住宅街近くのコンビニで、頭の禿げたスーツ姿の男が、数人の若者のグループに人気のない駐車場に連れ込まれるのを目撃した。その時にこれは何かが起きるだろうと考えていたが、さすがに様子を窺うこともできず、ファミリー・レストランで充分に時間を潰してから様子を見に来たのだ。

 触りはしない。犯人だと疑われるような真似はしたくないからだ。

 では何故死んでいるのがわかるのか。

 それは簡単だ。仰向けに倒れた男の腹部が真っ赤に染まっているからだ。そこに一本の飛び出しナイフが突き刺さっているからだ。辺り一面が血の海だからだ。見開かれた目が一度として瞬きしないからだ。これで生きているような人間は人間ではない。

 ぼくは本物の死体を目の当たりにして興奮していた。

 その興奮は二重のものだった。

 ひとつはもちろんのこと、生の死体を見た興奮だ。

 もうひとつは、Genb@に関するものだった。

 しばらくの間、Genb@というアプリケーションを使用して変化があったのだ。Genb@の示す死亡現場を一〇〇カ所巡った時、まるでゲームのようにひとつの機能が付加された。それは作成機能だった。その機能を用いれば、自分が死亡現場の情報をアップロードすることができるのだ。

 その機能が初めて使える。そのことがぼくのふたつめの興奮の原因だった。

 ところが、だ。

 スマートフォンを取り出してGenb@を起動させると、いきなりその場所に十字架が浮かんでいるではないか。

 前にもここで事件を起こしていたのかと思って開いてみると、日付は今日、複数の未成年者に暴行を受けて死亡とあった。確認した画像は、ぼくの足元で血の海に浮かんでいるスーツ姿の男だった。名前もきちんと記されている。

 誰かに先を越されたのだ。

 怒りが湧いた。この事件現場はぼくのものになるはずだったのに、それを何者かに奪われたことに凄まじいまでの怒りが湧いた。

 誰が盗んだのだ、ぼくの現場を。

 誰がアップしたのだ、ぼくの死体を。

 目の前が赤く染まりそうなほどの怒りは、しかし、ぼくの思考を妨げはしなかった。

 こんなにもすぐに事件が他人に知れることなどあり得ない。もし知れたとしたら、そのすぐ後に警察が現れるはずだ。なのに警察は来ていない。パトカーのサイレンもまるで聞こえない。ならば、この現場をアップした人間は、被害者が死んで間もない時点でここにいたことになるはずだ。そして、警察にそのことを知らせなかった。

 そう思って、もう一度画像を見ると、明らかに暗い中で撮影したものであるとわかった。

 奴らだ。

 この男を殺害したグループの中にGenb@のアプリケーションを持っている奴がいるのだ。自分が事件に関わっているから警察を呼ばないのだ。

 そうだ。わかっていたことではないか。このアプリケーションで見ることのできる情報がひとりの手で集められる量ではないことに。ならば、ぼくと同じように偶然手に入れたアプリケーションを使いこなしている奴がいてもおかしくはない。

 こうしてはいられない。

 誰よりも先に、誰よりも早く、事件を探し出さなくては。

 いや。

 いいや。

 そうではない。

 闇雲に事件を探していても、事件を起こす仲間を近くに持つ奴に勝てるはずがない。

 ならば――手立てはひとつしかない。自ら事件を生み出すしか。

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