承順からのエスケープ

 サービス残業を終えたぼくは、ひとり、街を歩いていた。

 夜の繁華街だ。普段なら上司に無理矢理、飲みに誘われなければ来ることのないような場所だった。

 何故そのようなところに来ていたのかというと、その方が都合がよかったからだ。Genb@というアプリケーションを使用するには。

 このGenb@というアプリケーションを手に入れてから、数日が経過していた。

 ぼくはGenb@にのめり込んでいた。

 このアプリケーションにはそれだけの魅力があった。

 Genb@を起動し、スマートフォンを通して街を見る。

 ぼくの行くべき道は矢印が教えてくれる。

 何の飾り気もないシンプルな矢印に従って道を進んでゆく。

 それはまるでぼくの気持ちを代弁するかのように、酒と煙草と皮脂の臭いに塗れた、その場限りで意味のない会話が乱れ飛ぶ猥雑な大通りから逸れて細い路地へとぼくを導く。

 細い路地から、人も通わぬような裏道へ。

 街灯などない道。あるのは店の裏手から洩れるわずかな光だけだ。足元が覚束ず、時折、不気味な弾力を持つものを踏みつけたり、いやな感触の液体が靴底を滑らせる。饐えた臭いが鼻を刺激するが、それもぼくの期待を高める要因のひとつになっていた。

 そんな人っ子ひとりいない、都会の空隙をぼくは縫い進む。

 やがて、スマートフォンの画面の中に、この世に存在しないものが浮かび上がった。

 カメラの解像度では何ひとつ映し出すことのできない闇の中でさえはっきりとした姿の灰色の十字架は、AR技術によって現実の映像に重ね合わせられた仮想の映像だ。

 それをクリックして開く。


 二〇〇×年一二月二〇日

 職場仲間との忘年会からの帰り、肩がぶつかったことで口論となった後この場所に連れ込まれ、半時間に渡る暴行を受ける。お互いが泥酔しており酩酊状態であったため致命傷はなかったが、失神状態のまま放置され、未明に凍死する。▽


 ここで一旦、深呼吸をして心を静める。画面をスクロールさせて現れるはずの画像に備えるためだ。

 死体の画像にひどいショックを受けるから、というのは最初の数回だけのことだった。では今はどうなのかというと――それはひと言では言い表すことができない。

 もちろん、今もショックはある。それこそ直に心臓を摑まれるような感覚を覚えるほどに。後ろめたさも感じる。しかし、それらと同時に全身に電気が走るような、血液が沸騰するような感覚にもとらわれる。それは単調な日々の繰り返しを強要する会社勤めでは得られない、飛び抜けた快感であり、高揚感でもあり、あるいは生命の躍動感と言ったような、身体の内部から沸き上がってくる、底知れないもの凄いエネルギーであった。

 画像を見ると、呼吸が苦しくなる。

 今では何事もない都会の中のありふれた街の一角ながら、実はそこでは密かに事件が起きており、人が死んでいる。

 ほとんどが、不条理な死だ。不合理に、不平等に、不公平に与えられた死だ。

 それは当然だ。誰であったも、他人に殺される理由などありはしない。死亡事件とは押し並べて不条理なものなのだ。

 だが。

 だが、あってはいけないもの――非日常が日常の中に平然と存在し、それがいつ誰が何処でどのように行われ、そしてどんな姿であったのかという情報を手に入れられるという、あり得ない状況は、たとえようのないくらいに興奮を掻き立てるものだった。

 それはそうだろう。

 誰だってそのはずだ。

 携帯電話とインターネットの存在は、簡単に、あっという間に、必要とする情報を時間や空間を越えて入手できるものとした。しかし、そんな環境、そんな時代でも手に入れられない情報がある。

 個人情報の多くがそれだ。

 たとえばアイドルの私生活。

 ホームページやブログ、SNSなどで本人が発信しているように見えるが、所詮それは建前、表面的なものでしかない。本当の、本物の姿など身近にいる者にしかわからないし、腹の底に隠された考えや嗜好など本人にしか、いや、正真正銘の本性などともなれば本人ですらわからない。

 他にもある。

 たとえば一般公開前の興行内容がそれだ。

 たとえば新規開発品の性能がそれだ。

 たとえば未成年犯罪者の情報。

 たとえば非公開捜査の情報。

 株式、政策、人事、放送内容、漫画や小説の展開、試合における作戦……挙げればきりがない。どれだけ世の中が便利に情報を手に入れることができるようになろうとも、隠蔽され、一部の人間にしか知ることのできない物事が存在するのだ。

 それを、知る。

 この街に、この国に、この世界に、秘匿された情報を知るということ。

 その快感。

 その優越感。

 それが幾許のものか理解できるだろうか。権力でも、知力でも、金の力でも、顔の良さでも、人脈でも手に入れられないものを手に入れるということは、一介の会社員、会社というヒエラルキーの中で最下層に属する新入社員というぼくを至高の存在に変えてくれるものであった。

 もちろん、このGenb@が教えてくれる情報の大半は世間に開示されたものであることは知っている。考えればわかる。細かくニュースを見ていれば手に入れることのできる内容だ。だが、そこに示された画像のインパクトは計り知れないものがある。

 もちろん、それが本物だとは限らない。インターネットを検索すれば、死体の画像など案外簡単に見つかる。何なら画像ソフトでリアルに加工することも可能だし、腕に覚えがあれば一から描き上げることもできる。

 だが、ここに示された画像のリアルさは容易に反論できないものがあるのも確かだった。

 何故そう思うのか。

 それは別の時に気づいたことだ。

 昼間、通り魔殺人の現場を確認した時にわかった。

 被害者の容姿、服装、傷痍箇所、その状態、そして、死体の周りに映り込む実際の現場と同様の風景。

 これはその場にいた人間でしか撮影することのできないものだった。

 では、このGenb@の作成者が全ての犯人なのかというと、そんなはずはない。数日ながらも、これまで見た五〇を越える事件をひとりの人間が起こせようはずがない。

 もちろん、犯人の手によるものもあるかも知れない。だが、発見者であっても同様の画像は手に入れられる。そして、恐らくこれが可能性としては一番濃厚なのだが、警察関係者に情報提供者がいると思われる。だからこそ、リアルに、鮮明に、遠慮なく、無慈悲に、真正面からの画像が撮影されているのだろう。

 それがわかる。

 それがわかるからこそ、このアプリケーションにぼくはますますのめり込んだ。

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