log.13 出航
福岡 博多港
戦火が燻る朝鮮半島に最も近い福岡には、有事発生から十四時間が経過した今、半島から逃げてきた人々で溢れかえっていた。対馬を経由し、釜山と航路を結んでいる高速フェリーが休む暇もなく韓国から逃げ延びる乗客をピストン輸送し、港には戦火から逃れてきた日本人だけでなく他の外国人、そして韓国人まで居た。
ターミナルや埠頭などには近隣の病院や看護学校から駆け付けた医療従事者たちによる救急テントが設置され、体調不良者や怪我人の受け入れを行っていたが、特に韓国からの難民の利用者数が圧倒的に多かった。
そう、難民。遂に日本国内にも朝鮮半島からの難民が流入し始めていた。
日本の領海内でも、韓国・北朝鮮から渡ってきた難民を乗せた小型船が大量に侵入し、海上保安庁などが対応に追われていた。
この辺りから、日本は自国民の救出だけでなく、難民などの諸問題にも対応を迫られる事になる――
博多港には二隻の大型フェリーの姿もあった。しかし、今の彼女らに乗客は乗っていない。二隻はこれから、現在の博多に殺到している人々が逃げてきた海の向こうへと赴くのだ。
これより遥かに凌ぐ数の、助けを求めている人々のために。
「以上で、予定していた全ての積み込みが終了しました」
二等航海士が告げる。一等航海士と打ち合わせをしていた彼が、振り返る。
「何時頃に出航致しますか、三國船長」
『かしはら丸』船長――三國誠也。戦火の只中にある韓国へと向かうこの船を任された。これが彼にとって、初めての大きな任務だった。
「ちょっと待て。チョッサー、タグはいつ頃来る予定ですか?」
「15分後には来れると思いますが、こちらから連絡すればもっと早く来てくれると」
「機関部。エンジンは準備できたか?」
船内電話を手に取る。船底から直ぐに返事が来た。
「いつでも行けます」
「よし。ではタグが来次第、すぐに出航する。総員、スタンバイ。部署に就け」
三國の指示により、船内中に部署の発令が伝達される。その傍らで、船員たちとは一風変わった姿の人間が居た。
「そろそろお別れか」
名残惜しそうに呟くのは、海上自衛隊の三等海佐だった。三國たちと違い、正式な現役海上自衛官であり、防衛省の要請に基づき出航を前にする『かしはら丸』へと訪れていたのだった。
「必ずまた戻ってきますよ。我々は誰一人、死ぬつもりはありませんから」
「勿論だとも。 だが、君達だけ危険な任務へと往かせる事……、こちらが不甲斐ないばかりに、本当に申し訳ない」
「貴方が謝る事ではありません。それに我々は一応、この時は貴方と同じ自衛官です。仲間を信じてください」
「……ああ。君達は、海自だけではなく全自衛官の誇りだ」
差し伸べられる手。二人は固く握手を交わした。
この船の船員たちは民間出身とはいえ、確かに予備自衛官だ。
予備自衛官とは、単なる有事の際の補佐役などではない。
紛れもない自衛官の一人であり、防人の信頼に足る仲間である。
そしてこのような状況において、彼らの存在は正に必要不可欠だった。
博多港を出航する『かしはら丸』を、見送る人は少ない。港にいる誰もかれもが自分の事で精一杯であり、そんな人々を助けようと奔走する者たちもいる。
だが、その出航が少ない見送りであっても、たとえ赴く先が戦場であっても、彼らの行き脚は少しも遅くなる事はない。タグボートに押され、ゆっくりと離岸するその船は、普段と全く変わらない。
『かしはら丸』『いずも丸』――韓国で助けを待つ人々のために、二隻の船がこれまで進んだ事のない航海に出た。
港外へと向かう二隻の背中を、唯一見送る存在として彼はそこに居た。周りは避難してきた人々で溢れる中、彼はいつまでも、そこに立っていた。
「行ってしまわれましたね……」
「ああ」
付き添いの部下が語り掛ける。彼の声の節々にも悔しさが滲み出ていた。
「せめて、護衛を付けてやれれば……」
「………………」
韓国へと向かう二隻には、随伴の護衛艦すら許されなかった。集団的自衛権を容認した安保関連法に基づく「米艦防護」の任務を除き、韓国の同意無しに、韓国領海へと自衛隊の艦船が入る事はできない。
それはまるで、あの大戦の旧海軍の過ちと商船隊の悲劇。あの愚行を、自分達は再び繰り返してしまうかもしれない。
「……彼は言った。仲間である自分達を信じてくれと」
「三佐……」
「彼らを、信じるしかあるまい」
水平線に浮かぶ二つの黒点。それが遂に見えなくなった。
博多を出航した『かしはら丸』と『いずも丸』は、韓国の仁川へと向かった。
仁川は韓国内における重要な要港の一つであり、日本人が多く取り残されているソウルからも近い。
国際港でもある仁川港には、既に避難民を乗せるため、諸外国の船も集まっていた。
だが、時間は有限だ。
いつタイムリミットが来てもおかしくない。
現在、韓国軍と在韓米軍が北朝鮮軍の侵攻を食い止めており、ソウルへの侵入を阻止している。だが、既に北朝鮮の砲撃やミサイル攻撃でソウルだけでなく韓国内の各都市や地方、軍事施設に被害が及んでいる。
北朝鮮軍がソウルに押し寄せる前に、助けなければ――
「仁川までは、どんなに最短距離でも半島をぐるっと回り込む形になりますね」
「やっぱり、思ったよりも目的地は遠いですね」
韓国近海の海図を広げ、一等航海士と相談する三國。外洋、しかも韓国への航海はほとんどの者が初めてだ。
三國に至っては船長になってまだ半年も経っていない。明らかに経験不足なのは否めない。だが、前船長の佐久間が急病で下船してしまい、三國が船長を務めるのは適切な判断とも言えた。
「朝鮮半島南西端を沿って、仁川へと向かいましょう。このあたりの水深は目だった暗礁もなく、今後の気象データから見ても波高・視界共に問題なさそうです」
外航航路に経験があり、韓国への寄港経験もある一等航海士のアドバイスを受け、今後の航路が設定された。三國は『いずも丸』とも連絡を取り、航路の提案・打ち合わせを行い、正式に仁川までの予定航路が決まった。
「急がないといけませんからね。ただし、焦って海難事故を起こしては元も子もない」
「その通りです。俺達を待っている人達のためにも、安全な航海を心がけましょう」
そして、出航の見送りに来ていた彼らのためにも――
「――船長!」
舵を握っていた二等航海士が呼びかけた。「こっちに来てください」と、レーダー画面の前に向かう。レーダーには、二隻の右前方から接近する船があった。
「これ……、海自です」
船の示す光点にカーソルを合わせる。すると、AISが示す船の情報が映し出された。そこには「TAKANAMI Military Ops」と書かれていた。
海上自衛隊の護衛艦だった。護衛艦は二隻の傍に近付くと、ぴたりと並走する向きを取った。
「護衛艦『たかなみ』からです。『境界線まで貴船の護衛を行う』と」
「無線くれ」
船舶無線を手に取り、三島が自ら護衛艦との連絡を取った。
「『かしはら丸』です。貴艦の護衛に、心より感謝致します」
この護衛艦の登場は、船員たちを大いに驚かせた。と共に、彼らの気遣いに船員たちは感謝した。
おそらく、『たかなみ』側もどうにかできないかと悩んだ末の行動だったのだろう。向こうへ行けない自分達の代わりに、危険な戦地へと赴かんとする仲間に対する餞別。その思いが感じられた。
こうして二隻は、途中で護衛艦『たかなみ』と合流し、領海の境界線まで同行した。
日韓の領海をまたぐ境界線付近――別れる間際、護衛艦『たかなみ』からメッセージが掲げられた。
「船長。『たかなみ』のマストを見てください」
船橋にいる誰もが、離れようとする『たかなみ』のマストに目を向ける。そのマストには、二つの旗が風に吹かれて靡いていた。
UW旗。航海の安全を願う意味を表した国際信号旗だった。
『たかなみ』の艦橋ウイングには直立する人の姿も見えた。艦長が、二隻に向かって敬礼していた。
「汽笛、鳴らせ」
その声は、もしかしたら震えていたかもしれない。三國は素直に嬉しかった。更に震えるような大きな汽笛が、三隻の間に響き渡った。
同時刻 日本海上
日本海には半島有事勃発以降、『かしはら丸』『いずも丸』に随伴した『たかなみ』を含め海上自衛隊の艦艇が多数活動しており、特にイージス艦と称された護衛艦の担う任務は真に重要であった。
「――目標情報、入りました!」
イージス艦『こんごう』。彼女はその神話に登場する盾の名を由来とする高性能の性能を駆使し、迫りくる脅威をはっきりと認識した。
「ムスダンリ基地より、二発の弾道ミサイルの発射を確認。以後、目標をアルファ、ベータと呼称」
以前より明確な脅威として懸念されてきた北朝鮮の弾道ミサイルは、当然、この朝鮮半島有事においてはその脅威が現実のものとなった。
開戦や否や、米軍は米本土に対する唯一の攻撃手段であるICBMの発射場などをいち早く叩く決意を下し、有事の初期段階において北朝鮮の主要な発射基地などはそのほとんどが殲滅された。
しかし韓国領内に砲弾や短距離ミサイルの雨が止んでいないように、ミサイルの発射機能を備えた移動車両などは全て叩けておらず、発見次第破壊する措置がまだ続いていた。そして全てのミサイルを駆除できていない以上、その矛先が日本国内にも向けられる事は時間の問題だった。
「まだ生きている発射場があったのか」
「おそらく発射場周辺の地下に隠れていたトラックなどから発射されたものでしょう。発射場自体は既に米軍が更地にしているはずです」
「それでも尚、周辺国への攻撃も諦めないか。システムをBMDモードへ!」
イージス艦の中枢を担うCICでは、既に各乗員がミサイルの迎撃準備に入っていた。追尾システムが大気圏に突入する目標を捉え、捕捉を続けている。
追尾情報から、発射されたミサイルはノドンと推定された。在日米軍基地か、原子力施設か、ともかく日本国内への攻撃である事は明白だった。
「CIC指示の目標! SM-3発射用意!」
「発射用意良し!」
「
「
艦首付近のVLSから爆炎が上がり、迎撃ミサイルSM-3が発射される。SM-3は白い噴煙を残しながら、大気圏の遥か上空へと飛翔していった。
「インターセプト10秒前。 9、8、7、6……」
着弾までの秒読みが開始される。乗員たちが固唾を呑んで見守る中、目標を示す画面の赤い表示に、右上端の方から別の点が飛び出す。
「3、2、1……
「おおっ!」
画面の赤い表示が弾けて消えた。CICから乗員たちの安堵に近い一瞬の歓声が沸いた。
「
「まだいつ次が来るかわからない。引き続き、気を引き締めてかかろう」
「各員、警戒を怠るな」
日本海ではこのように、日米のイージス艦が北朝鮮から撃ち上がるミサイルに対する警戒を続けていた。日本に対するミサイルだけではなく、米本土へのICBMも米軍との共同で自衛隊が破壊措置に動く事が決まっていた。
そしてこのような行動が思わぬ所で作用する事を、この時誰も予想だにしなかったのである。
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