log.11 開戦

 その時期から明らかに、朝鮮半島に暗雲が立ち込めた。

 亡命を企てた北朝鮮の工作船が大和灘で発見された後、その一ヶ月後には国際世論の反対にも関わらず、北朝鮮が長距離弾道ミサイルの発射実験を強行した。弾道ミサイルは日本列島の上空を通過し、あろう事か半島に最も近い米国領であるグアム近海に着弾した。

 この事態に、遂に米国が怒りを露にした。在日米軍の第七艦隊を基幹とした米海軍の空母部隊が日本海に進出。これに海上自衛隊のひゅうが型などの護衛艦が加わり、韓国軍も厳戒態勢に突入した。

 だが、まるで自ら追い詰めるかの如く、北朝鮮は続けて核実験を行った。しかしこれに反応したのは意外にも米国ではなく、中国だった。

 とうとう庇い切れなくなった中国が、今まで自制していた経済制裁を発動。中国からの制裁に、北朝鮮は遂にジリ貧と化した。


 結果的に、半島の導火線に決定的な着火を後押ししたのは、長い喧嘩相手だった米国ではなく、かつての最大の友好国であった中国だった。


 中国の経済制裁から半年後、ワシントンのホワイトハウスに韓国からもたらされた北朝鮮軍の動きが報告された。それは軍事境界線の北側に北朝鮮軍が集結し、その数は増える一方だと言う。更にその数日前には軍港から潜水艦数隻が姿を消し、中国も北朝鮮軍の活動を知ったのか中朝国境付近に軍を派遣し、難民などに警戒しているような動きを見せていた。

 米国はこの活発化した北朝鮮軍の動きを、軍事演習ではなく明確な南侵に備えた軍事行動の前触れだと分析。

 更に同時期、韓国の国防省地下にある北朝鮮警報室も南北非武装地帯DMZにて、一万の野戦火砲部隊に動きがある事を青瓦台に報告。これを受け、韓国政府は国家安全保障会議を招集した。

 軍事境界線から40km程度しか離れていないソウルは、北朝鮮の野戦砲の射程範囲内だった。地上軍が越境すれば、瞬く間にソウルへと押し寄せる。ソウルが火の海になるだけでなく、凄惨な戦場へと変貌する事は誰もが予想できた。

 朝鮮半島周辺が慌ただしくなる中、それは日本も例外ではなかった。



 北朝鮮軍の動きを察知したのは、日本も同様だった。在ソウル日本大使館から届いた報告に、外務省が血相を変えて政府に報告してきたのはまだ日も昇ったばかりの朝方だった。

 「総理、大変な事態となりました」

 大規模災害など緊急事態における情報の集約・分析・連絡とその体制整備を担う内閣情報調査室、その部内にある内閣情報集約センターが外務省から回ってきた朝鮮半島の情報を南雲首相に第一報を伝えた。

 「北朝鮮が……」

 ポツリと、かの国の名を呟いた南雲は、事態の深刻さに言葉が続かなかった。

 「総理、この案件は官邸対策室の立ち上げに値するものと考えます」

 「ああ。直ちに、内閣危機管理センターに官邸対策室を設置。事態の分析、検討、対処に当たってくれ」

 「わかりました」

 指示を受けた官房長官が退室した後、南雲は一人総理室の椅子に深く沈みこんだ。

 そしておもむろに外の光景に目を向ける。まだ、出勤ラッシュも始まる前の静かな東京の朝だった。

 「……覚悟を決める時か」

 まだ国民の誰も知らない、戦争の前兆。だが、これを伝えなければならない時は必ず訪れる。果たして、この国は、その事実を受け入れられる耐性があるのだろうか。



 内閣総理大臣である南雲の指示により、内閣危機管理センターに官邸対策室が立ち上げられた。早朝に駆け付けた内閣危機管理監と政府緊急参集チームが直ぐに事態の分析、検討に入った。

 その後、官邸には各大臣が招集され関係省庁大臣協議が開催された。早々に到着したのは外務大臣、そして東郷防衛大臣だった。

 最後に到着した財務大臣が席に着き、協議は始まった。まず、開口一番、外務大臣の要請が上がった。

 「此度の案件に伴い、朝鮮半島有事の危険性が高まった事で、韓国に在住する日本人が史上稀にない程の危険に晒されています。本省は現下の緊急事態に対し、韓国在住邦人の生命及び身体の保護のため、総理に、朝鮮半島からの邦人の避難・その際の警護を強く要請します」

 外務大臣の要請に対し、各大臣から声が上がった。

 「避難って、具体的にはどうするんだ」

 「それはやはり、飛行機や船を使うしか……」

 「民間の航空会社などに協力を呼びかけるという事ですか」

 「呼びかけるとか、そんな悠長な。要請、命令、何でも良いから輸送する手段を行使して、全ての日本人を避難させるしかない」

 「だが、全てを避難させるって言ったって……」

 彼らの頭には、韓国にいる日本人の数が明確に出てきていない者がほとんどだった。

 そんな彼らの疑問や懸念を補足するように、外務省が持ち込んだデータが配られる。

 ――20XX年現在の在韓邦人数。

 そこに記されていたのは、大臣たちが驚きと動揺を隠せない数字だった。

 「大使館が把握する在韓邦人数は約二万四千名。今月現時点の韓国旅行者数は千二百名。他、釜山などの領事館が把握している人数だけでも約五千から六千」

 「およそ三万人の日本人を、全て避難させなくてはならなくなる」

 それは余りにも膨大な数だった。戦後の復員輸送以来となる、史上空前の大規模な輸送計画となる事は目に見えていた。

 「これだけの日本人を、本当に避難させる事ができるのか?」

 そんな呟きに、毅然と答える声があった。

 「我が自衛隊が、邦人の避難に必要な輸送及び、その際の警護を担う事が最善かと考えます」

 大臣たちの様々な表情、そして視線がその声の発した持ち主――東郷防衛大臣に向けられる。

 「自衛隊は、動けるのか?」

 経済産業大臣の疑問だった。自衛隊に関する法律は詳しくないが、ただでさえ法律的に複雑な立場に居る自衛隊だ。有事と平時の狭間で、自衛隊がどれだけ動けるのか未知数だった。

 「自衛隊法第84条に基づき、自衛隊機及び艦船による在外邦人輸送の実施は可能です。その際は、自衛隊などが、派遣先国の空港・港湾などで、在外公館から在外邦人等を引き継ぎ、航空機・船舶まで安全に誘導する事になります」

 そう、輸送自体は可能である。だが、問題なのは――

 「そのためには、派遣先国――つまり、韓国の同意が必要です。韓国政府の同意の取り付けには、外務省の皆様にお任せするしかありません」

 「………………」

 東郷の視線を受け止めた外務大臣が、深刻そうな顔つきで頷いた。

 「その通りです。つきまして、本省は自衛隊を韓国に入国させられるよう韓国政府との協議に移りたいと考えています。避難を進めるためには、自衛隊を直接韓国国内に入れるしかありません」

 「しかし……そんな事が出来るのか?」

 その疑問は尤もだった。当事国が当事国なだけに、難しい問題が孕んでいる。

 「出来るか出来ないかじゃない。必ずやり遂げるんだ」

 懸念が渦巻く空気を払拭したのは、南雲だった。南雲は有無も言わさない調子で外務大臣と防衛大臣に指示を与えた。

 「外務省は自衛隊の韓国入国が叶えられるよう韓国との協議に入ってくれ。そして自衛隊はいつでも動けるように準備を。韓国にいる日本人は全員、避難させなくてはならない」

 この南雲の指示により、外務省は直ちに在外邦人輸送に必要な自衛隊の派遣を韓国に認めてもらうよう、韓国との協議・調整に移った。そして東郷は密かに防衛大臣命令として自衛隊に派遣準備命令を下した。




 北朝鮮危機が高まる傍ら、周辺各国が来る事態に対し水面下で動いているであろう最中、日本もまた韓国政府とコンタクトを取り、在韓邦人などの避難に向けた準備を始めようとしていた。

 だが、その道のりは想像以上に困難を極めた。

 「大韓民国の立場としては、現時点における自衛隊の入国は認められない」

 それが日本に対する韓国側の返答だった。

 交渉のテーブルに着いた在韓日本大使は、目の前で粛々と口答する韓国外交部の高官の言葉を聞いた。

 「我が国の態勢は万全です。現状において、この地域での治安維持及び警察権は我が国が持っている。貴国の自衛隊が来られる必要性は全く無い」

 ある意味、予想できていた。韓国側が自衛隊の入国をそう簡単に認めるとも思わなかった。

 だが、その意志は更に強固なものだった。

 「我々は万が一の場合に起こり得る自国民の安全が脅かされる事態を危惧しています。それを未然に防ぐためにも、自衛隊による邦人避難を実施したいのです」

 韓国側高官の表情に微かな変化が見られた。大使の発言に、どこか気になる部分があったようだった。

 「貴国の国民に関しては、我が国の警察などが責任を持ってその安全を保障し、そのような事態にはさせない事をお約束します。改めて申し上げますが、現状において、この地域での治安維持と警察権は我が国にあります」

 大使は既に気付いていた。韓国側高官の顔は明らかに不満げだった。

 「そちらの発言を聞いていますと、まるで戦争が起こる事が決定事項のように聞こえます。正直に言いますと、そのような言い分は大変遺憾に思います」

 やはりだった。

 まだ有事にも至っていない今の段階で、他国の軍隊が――それも武装した日本の軍隊が韓国の領内で活発に動き回るなど冗談ではないという事なのだろう。

 日本、それに日本の軍隊に拒絶的な国民性を持つ韓国においては、それは更に厳しい。

 「何かあってからでは遅いのです。我々は自国の国民を恐ろしい苦難に巻き込みたくないだけなのです」

 「ですから……、まるでもうすぐ戦争が起こるような事を言わないで頂きたい」

 それは更に明白な拒絶反応であった。

 「我が国政府はこの緊迫化する情勢の中で、平和的に事を収めようと動いています。それなのに、貴国は此方側の努力も顧みず無責任な発言を繰り返す。大変遺憾です」

 高官は明らかに大使の発言に不満を抱き、自衛隊の派遣を悉く認めない姿勢を貫いていた。

 その拒絶は鋼のように固く、そして厄介な事に触ると火傷してしまいそうな程に熱を帯びていた。

 だが、たとえそれが触れて火傷をしてしまうものだとしても、自分達は手に取らなければならない。

 「有事が起きた際の対抗策を講じて何が悪いと仰るのか。それを平時である今から取らずして、いつ取ると言いますか」

 また高官の表情に変化が生じた。

 それは驚きの色だった。

 「万が一の場合に備える事は何もおかしな事ではありません。それに、この話に関しては以前よりこちらから協議を要請していたものと思われますが」

 「………………」

 半島有事における邦人避難などに関して、日本政府が韓国政府との協議を望んでいたのは今に始まった話ではなかった。だが、韓国側はあれこれと理由を付け、協議に応じなかった経緯があった。

 それでも粘り強く調整を進めようと試みたが、結局、この事態に至るまで具体的な対応も見出せず、こうして今でも手を拱いている。

 「有事の際は貴国に情報を共有する。日本国民の退避は誠実に履行する事を約束する」

 「それでは何も変わらないと言っているのです」

 これではいつまで経っても、領事レベルから抜け出せない。

 大事なのは具体的な方法を実現させる事、そして『開戦』するまでに、どれだけ在韓邦人を減らせるか。そこが勝負であり、今の段階に至っている。

 海外で軍事衝突が起こった際、現地の日本人は基本的に自主退避が原則だ。現状のままでは韓国の場合でも同じだ。故に民間の航空機や船舶などだけではなく、自衛隊による確実かつ多くの手段が必要になる。

 「改めて、自衛隊の貴国領空・領海の通過及び領土への入国、その許可を頂きたい」

 長くなりそうな戦いだった。だが、それを如何に短縮できるかが勝負の鍵であった。



 韓国の許可がなかなか下りず、外交が忙殺される中でも、自衛隊は既に動き出していた。

 日本政府の方針により、在韓邦人避難作戦を主導する統合任務部隊の編成が行われた。統合任務部隊は現地派遣部隊の編成を急ぎ、それぞれの派遣部隊が決定した。

 陸自からは国際平和協力活動等の先遣部隊としても名高い中央即応連隊。同じく中央即応集団の隷下にある第一ヘリコプター団。

 海自からはひゅうが型、おおすみ型などの護衛艦・輸送艦が加わり、陸自部隊の輸送と同時に避難する邦人を乗せる。いずも型は米海軍との共同任務が想定されるので、輸送はひゅうが型が主導する事になった。

 空自からは政府専用機とC-1、C-130などの輸送機が投入される。

 以上の編成で統合任務部隊現地派遣部隊が決まり、準備が進む中、日本政府は閣議を招集。北朝鮮危機の情報を収集し、その情報と照らし合わせて提示された防衛省の対処基本方針の承認に向けた検討が行われた。

 そして派遣部隊に対しては韓国からの許可が取れ次第、いつでも行動を開始できるように厳命された。


 こうして派遣部隊の準備が完了した頃、遂に外務省も韓国の同意を取り付ける目途が立った。

 自衛隊の準備が完了し、政治の方もいよいよ決着しようとした時――



 事態は無情にも、彼らの努力を嘲笑うかのように突然襲い掛かった。





 ――北朝鮮、韓国に攻撃開始――




 新聞の一面を飾ったのは、開戦を報せる隣国の悲劇だった。

 

 

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