log.9 救援
地震発生から三日目の朝、被災の中心地となった札幌市から15kmほど近い石狩湾新港には『かしはら丸』を始め、災害救援に駆け付けた船が何隻も集まっていた。
札幌圏に位置する石狩湾新港は、かねてより災害時の緊急物資輸送拠点として整備されていたため、今回の道央地震に際してもその役割を発揮していた。
救援物資を積んだ災害対策船が集結し、港から被災地へと人手と救援物資が届けられ、救援活動の基地として機能しつつある。
『かしはら丸』はその一隻として、石狩湾新港に早朝入港した。
今回の地震では大きな津波が発生しなかったため、耐震強度に優れた石狩湾新港には、地震による被害も殆ど見られなかった。石狩市から小樽へとまたがる石狩湾を地元のタグボートが、全国から来航する災害対策船を迎え、忙しく走り回っていた。
防衛省の要請を受け、招集が掛けられた『かしはら丸』の乗員は、予備自衛官として被災地に入港。寄港地で乗せた自衛隊員と救援物資を陸揚げした。
『かしはら丸』の他にも、姉妹船の『いずも丸』を始め続々と船が入港し、救援物資の陸揚げと被災者の受け入れを開始した。
被災地に向かう自衛隊員と救援物資を陸揚げした『かしはら丸』は、離岸せずにそのまま岸壁に繋ぎ、被災者の乗船受け入れを行っていた。地震で帰宅できなくなった被災者に、船室を臨時のホテルとして利用させるためだった。
元々、
『かしはら丸』が停泊する岸壁には、乗船を希望する被災者の長蛇の列が出来上がった。
余りの人数に、船員たちが対応に追われる中。
被災者への対応の最中にあった三國は、反対側の岸壁に近付く一隻の漁船に気付いた。
「おおーい、誰かロープ取ってくれぇ!」
「こっちです」
「ありがとう!」
漁船船員が舫いを放り投げ、三國がそれを受け取る。受け取った舫いをビットに繋げ、その光景を見ていた一般人の中からも動き出してくれた者が出てきて、その者たちが他の舫いを取ってくれていた。
「ありがとう、ありがとう!」
舫いを取ってくれた人達に漁船船員が感謝の言葉を口にしながら、漁船は無事に着岸する。三國たちの目には既に、船上に積まれた段ボール箱の山が見えていた。
そして船体には、『がんばろう北海道』と書かれた横断幕。
それは近年の震災において流行したフレーズだった。
三國は
「南相馬市から来られたのですか」
尋ねた三國に、陸揚げを始めていた漁船船員が答えた。
「ええ。北海道が大きな地震に見舞われたと聞いて、居ても立っても居られなくなって」
「どうしてわざわざ……」
思わず、三國はそんな言葉を口にしていた。
直後に失言だったと気付き、訂正しようとした三國だったが、漁船船員は笑顔で答えていた。
「あの震災で大変だった東北からの、恩返しです」
それを聞いて、三國は衝撃を打たれたような感覚を覚えた。
「震災の時、津波で何もかも失った私達に、北海道からも多くの漁船がやって来て、生きるのに必要な物資を届けてくれた。その恩返しをする時だと思ったのです」
そう言い残し、彼は陸揚げ作業に戻っていった。
船上に積まれていた段ボール箱の山が、船員たちの手によって次々と陸に揚げられていく。
その中身は、食糧や飲み物、生活用品などの救援物資だった。
漁協や港町の民間家庭から集めた物だと言う。
後に三國は知る。港には全国各地から救援物資を積んだ多くの民間船がやって来た事を。その船籍は東北だけではない。神戸や新潟、熊本、過去に大きな災害を経験した地名が特に多かった。
しかし感慨に耽る暇も、何を思う隙間もない。
三國にも、やるべき事があった。それも山積みに。
故に、三國は彼らの作業を見送ると、直ぐに自分の持ち場へと帰っていった。
その夜は、余震もない静かな夜だった。しかし被災者の不安は当分拭い切れないだろう。彼らに少しでも安寧の時を与えられたらと思い、『かしはら丸』は佇む。
その船内、三國は船橋にて当直に立っていた。桟橋の灯りがまるで灯篭流しのようだと、よりによってこの場にふさわしくない不謹慎な例えが頭に浮かぶ。
この地震で、既に多すぎる死傷者の数が報道されていた。地震発生と同時に重なった悪天候が不幸にも救助の手を遮り、膨大な数を生み出していたのだった。実際にこの石狩湾新港にも、チラチラと雪が降っていた。
「降ってきたな」
船橋に入ってきた声に、三國は振り返った。
先程まで会社に送る報告書を作成していたらしい佐久間船長がそこにいた。
三國は佐久間の心情を察して、告げる。
「機関部には暖房を付けて被災者の方々が快適に過ごせるよう言ってあります。毛布などもなんとか足りていますし、何かあればすぐに対処できるよう備えております」
「了解。頼んだよ」
「はい」
佐久間はそう言って、右舷から夜の桟橋を眺めた。三國はその横で、佐久間が何を考えているのかを想像した。
「まるで灯篭流しだな」
三國は自分の耳を疑った。自分が思った事と全く同じ事を佐久間が口にした事に驚きを隠せなかった。
桟橋にポツポツと続く灯り。その儚くもはっきりと主張する光を見て、そのような想像を浮かべるごくわずかな人間は、きっと今、ここに居る二人だけだ。
「何を言っているんだこのオヤジは、と思っただろう?」
余りに衝撃的な事が重なり過ぎて、三國は直ぐに返事を返せなかった。
「自衛隊にいた頃、復興の只中だった被災地で見た事があってな。それを思い出したんだ」
佐久間は民間出身が大半を占めるこの会社で、数少ない元自衛官だった。海自時代は艦長を務めていた事もある佐久間でさえ苦労した商船との違い。その差をすぐに克服してしまった佐久間と言う男は、三國から見ても今までに出会った事のない船乗りだった。
何せ、三國と発想が似ているのだ。そんな船乗り、他にもいる方がおかしいと、嫁は言うだろう。
「このような場所で、言う事ではないがな」
「………………」
自分も同じ想像をしたので、何も言えない。
そんな三國の心境を知ってか知らずか、佐久間は一方的に近い流れで話を続けた。
「今回ここへ来て、どうだった?」
「どう、とは?」
「被災地にこのような形で訪れるなんて、なかなか無い経験だろう」
確かに、今日見た東北からやって来た漁船のように善意で来ない限り、仕事以外で、それも船に乗って災害現場へと向かう事はないだろう。
「大変……ですね」
「確かに、大変だな」
「今までにない経験でしたが、本当の意味で息つく暇もない。そしてそれを忘れてしまう程、動いていた……いや、動けていた自分に驚いてもいます」
「このような状況に置かれれば、誰もかれもが必ず通る道だよ」
その言葉は、元自衛官である佐久間の口から聞くと、真に事実だと思えた。
何もかもが初めての事のはずなのに、今振り返れば倒れそうな程の疲労感を思い出してしまうのに、最後まで動けていた自分自身が居た。
何故、自分でもそこまで出来たのかわからない。ただ、必死だった。そして、それだけでは説明できない。あるいはそれだけで説明できるような、未知の感覚がそこにあった。
「船長」
「……ふふ。未だに慣れないな、その呼ばれ方は」
「では、艦長」
「それはそれで止してくれ。俺はもう自衛官じゃないんだ」
「予備自衛官じゃないですか」
「そうなんだが……俺からすると、違うんだよ。昔と、今は」
「じゃあ、やっぱり船長」
結局、一周まわる。
こういう面倒臭い所も、自分と似ている。
「今日、東北からやって来た民間の漁船と会ったんですが……」
三國は今日の漁船船員との出来事を佐久間に話した。
何だか、話したかったのだ。
「仕事でここに来た自分と、本当の善意でやって来た彼らとの違いって、何でしょうね……」
それは「恩返し」だと言った漁船船員と言葉を交わした時から、三國の内に引っかかっていた魚の骨の正体。
自分の意志で危険な現場に駆け付けた彼らを見て、三國は「どうしてわざわざこんな所に」という言葉を口に出しかけた。
いや、殆ど出ていた。しかも本人の前で。
しかし彼は、笑顔で答えたのだ。
その後、三國は己の職務を行うために、内心に生じた引っ掛かりを放置した。
一日が終わりに近付き、考える時間が生まれ、三國は考える。
そして、己の未熟さに、愚かさに恥ずかしくなった。
どうして自分はあの時――
だが、答えは出ない。
己の愚かさを暴露し、船長に訊ねる自分に更なる恥を覚えながら。
ここにいる意味を、求める。
「そんなもの、ねえよ」
三國は驚いて、佐久間の顔を見た。
いつの間にか煙草を口に咥えながら、佐久間は三國の問いに答えていた。
「今、この現場に居るのは被災した大勢の人間と、その人間を助けたいと願う人間しかいない。誰もかれもが自分にしか出来ないと決めつけている。ここには、そういう人間しか来れない。仕方なく来た人間なんて一人もいないんだ」
「………………」
「違い? そんなもの、考え出したらキリないぞ。現場には自衛隊や俺達だけじゃなく、様々な機関や組織、民間、多種多様な人間が集まってるんだ。そして全ての者がここで行動に移している。大事なのは一人でも多くの人間が集まって、一人でも多くの人間を助ける事だ」
だろ?と、佐久間は煙草の煙を噴かしながら聞き返す。三國は、ゆっくりと頷いた。
まるで会話の苦手な中学生のような反応をした三國を前にしても、佐久間はひどく優しげに笑った。
「お前、面白い奴だな。良いぞ、思う存分悩め。悩めば悩む程、人は成長するんだ」
「……すみません。下らない事、聞いてしまって」
「これが老兵の役割よ。遠慮するな」
自分に似ているだなんて、失礼な事を考えたものだ。
こうなりたいものだと、三國は思った。
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