log.8 招集
短くも濃い内容としか表現の仕様がない五日間は、最終日に至ってみれば本当にあっという間だった。
この日、十五名の船員が、正式に海上自衛隊の予備自衛官に任官した。
海上自衛隊が創設以来、初めて任用した船員の予備自衛官。彼らは有事の際、招集されればそのまま普段勤務している船を操船し、予備自衛官として任務を行う。
一般の予備自衛官補より一足も二足も早く予備自衛官の任官式を行った十五名が、横須賀教育隊司令から辞令を言い渡された。
「諸官は五日間の訓練を経て、ここに晴れて予備自衛官の任官となった。短い期間だったとは言え、自衛隊という未知の環境に飛び込み、厳しい訓練に耐えた事、まことに敬意を表する」
辞令を渡され、海自の制服に身を包んだ彼らは、一同直立し、真っ直ぐな視線を教育隊司令に向けていた。彼らは既に立派な予備自衛官であった。
そしてそんな彼らを後ろから、そして周囲から、多くのカメラが向けられている。海上自衛隊初の船員の予備自衛官という事で、マスコミが注目している証だった。
テレビ局のカメラもが向けられる中、壇上に立った司令が堂々とした佇まいで訓示を始めた。
「元来、予備自衛官の任務とは後方任務であり、後方での補給や警備が主な任務として認識されているのだが、諸官の場合は船舶による操船、すなわち、有事の際は輸送任務が課せられる事が想定されるが、この輸送任務に前線と後方の区別は無い。したがって、諸官は危険な前線へと向かわねばならない事も想定される」
司令の言葉は明らかに、これまでの予備自衛官とは一線を画す事を意味していた。
カメラのシャッター音が、一瞬、連続して鳴った。
「海洋国家である我が国が今日の平和と繁栄を享受できているのは、先の大戦に殉じた戦没船員と、戦後の復興を支えた海運水産業でその職に殉じられた船員の尊い犠牲の上にあるからである。今後もこの海の平和を守るためには、我々が全員で努力する事が必然であり、それが亡くなられた先達に報い、諸官の果たすべき道であると信ずる」
この光景が後にニュース映像として編集され、国民の目に触れる事になるだろう。
だがその前に、今ここには、既に様々な念が交叉している。
司令の言葉から如何に国民が喰い付くキーワードがあるかを狂ったように探す記者。
足早にその場から離れ、本社と連絡を取り始めた者もいる。
あるテレビ局では、既にどのように編集するか、どの映像を切り採用するか、もう考えている。
彼らの働き次第では、世間の声も変わるのだ。
だが、そのような俗の混沌とした思惑も、整列した当事者たる彼らには関係がなかった。
司令の発言は、もしかしたら揚げ足を取られる余地を与えてしまったのかもしれない。
だが、司令は後に問われるリスクも厭わず、目の前にいる彼らに己の想いを伝える事を優先していた。
それが、民間から志願してきた者たちへの報いであると確信していたからだった。
「諸官の活躍に、期待する」
司令の心遣いが、彼ら全員に伝わったのかはわからない。
だが、既に一自衛官である事を証明する彼らの整然たる敬礼が、確かに司令の目の前に広がっていた。
後日、三國たち初の船員予備自衛官が誕生した一方、世間ではこれに関連して一波乱起こった。
横須賀教育隊司令の訓示の一部がマスコミに取り上げられ、この発言を「不適切」と断ずる論調が目立つようになった。
各マスコミがこぞって防衛省や国に問い質す傍ら、国会でも野党が政府に追及を始めた。
しかし一方で現場に影響が生じるかと言えばそうでもなく、むしろ三國たちもまた他人事に近い意識の中でその成行きを眺めていた。
現場は粛々と、自分達の仕事をこなしていた。
そして――
「現地では雪が降っているようです。その隙間からは、火の手が上がっている光景も確認できます」
緊張感が感じられるアナウンサーの声がテレビから伝わる。
地震、しかも現地では雪が降っていた。天候が天候のため、ヘリも飛ばせず、吹雪に見舞われた現地の全体像がなかなか把握し切れないもどかしさが報道側からも伝わるようだった。
「最悪だ」
その言葉は、確かに当たっていた。
「きっとこんな天候じゃあ、空港も使えない可能性があるぞ。直ちに本社と連絡を取って、防衛省からの要請を確認次第、すぐにでも向こうに行けるように準備を始めよう」
テレビを見ていた佐久間船長の判断に、三國は頷いた。丁度、気象庁からは津波の心配はない事が発表されていた。
だが、現場は十分に危機的状況にあった。ライブ映像は街の次に被害が心配されている近隣の原子力発電所に切り替わった。
本社から、防衛省の要請を含んだ連絡が届いたのは、地震発生から五分も経たない間だった。
「船長より総員に達す! 先程、0758時に北海道で発生した災害に対し、本社から防衛省の要請に基づく災害支援の招集が掛かった。本船はこれより本社の指示に従い、神戸港にて救援物資を積載した後、石狩湾新港へと向かう!」
地震発生一日目
北海道 札幌市
午前8時24分
朝から降雪に見舞われていた札幌市には、市民が見た事がないような地獄絵図が広がっていた。震度7を観測した札幌市内では倒壊した家屋が多く、崩れた建物や人々が分厚い雪を被っていた。
「火災指令、中央区南九条西三丁目一番二十五目標田所付近一般住宅出火、建物火災第一出動」
消防局内に鳴り響く警報と指令の放送。市の中心地にある消防局から消防車が次々と出て行く。
ウウウウウウウウウ。
やがて街中に消防車のサイレンが鳴り響き、緊急出動した消防士たちが雪道に抗いながら現場へと急ぐ。
「くそ、雪で前が見えづらい。除雪もちゃんとやっとけよ!」
「なんでこんな天気に、地震なんか起こるんだ……」
消防車の車内で、消防士たちが口々にたまらず悪態をつく。それ程、現場は切羽詰まっていた。
夜中から降り始めた大雪は、元から除雪がギリギリだった市内の道路を更に狭めていた。昨日は歩道側に盛り上がっていた雪山が、道路の片道分を覆い尽くしているように見える。
平時の時から最悪の事態を想定し訓練に励んではいたが、防災訓練でもここまで酷い状況は考えられていなかった。災厄というのは常に人の想像を遥かに越える事を、彼らはこの時身を以て体感する事となった。
北海道庁
知事執務室
知事室の席に座った北海道知事の高宮知事は、電話を取って被害の確認や関係各所への指示の再確認を行っていた。
本日午前7時58分、札幌市を震源域とするM7.0の地震発生(最終的に7.8まで訂正)。
道庁は直ちに関係各所に通達を行うと共に、被害状況の確認を含めた情報収集、危機管理対策室を設置して対策に当たった。
高宮知事の耳には、続々と地震の被害が報告されてきた。
建物の倒壊、火災、降雪により救助作業に遅延が生じている事、悪天候によりヘリコプターが飛ばせないために上空からの市の現状が確認できない状況。
「知事!」
危機管理対策室から戻ってきた副知事の鈴木が、顔色を変えながら高宮に迫った。
「建物の全壊・半壊がそれぞれ確認され、建物・死傷者共に数が増えています。しかし今回の地震によって過半数の救急指定病院の機能が喪失し、救急車の搬送先が足りていない状況です」
「なんですって?」
これは過去の防災訓練でも想定されていた事態だった。だが、その規模は予想以上に急速に拡大しており、対処が追い付いていない状況にあった。
「各避難所に設置した診療室だけでは対処し切れません。ヘリで重傷者を区外の医療施設に搬送したい所ですが、雪のためにそれも不可能になっています」
「なんて事なの……!」
高宮は唇を噛み、憎らしげに机を叩いた。
「それと、この事態に対し、北部総監部からです。災害出動に先立ち、負傷者を同施設内にある医療施設にて受け入れを行うと言っています。自衛隊は知事の要請を心待ちにしておりました」
「もちろん、直ちに自衛隊へ災害派遣要請を下します。すぐに公安委員会に連絡を取ってください」
「わかりました。すぐに」
副知事が部屋を立ち去った後、一人残された高宮は、今回の地震によって露呈した普段の想定の甘さを悔いた。
北海道の歴史において、札幌周辺が大きな災害に見舞われた事はほとんどなかった。
小さな地震なら何度もあったが、日本各地で起こった過去の震災のような例の大きい被害は経験がなかった。地震大国である日本では、いつどこに大きな地震が起きてもおかしくないのだが、この北国では事情がまた違った。
同じ冬に起きた阪神淡路大震災でも、気温は零度付近になる事もなく、雪も降らなかった。
その違いが、決定的な被害の差となる。
例えば倒壊した建物の下敷きになった人間を救助する場合。阪神淡路大震災でも、多くの人が倒壊した建物から救助された。救助に多少時間がかかっても体力の低下がそれほどでもなかったため、24時間たった後も生存者が発見され易かった。
しかし北海道の場合では、そうはいかないだろう。まず、零度以下の寒い気温の中、数時間も放置されていれば凍傷になり、体力は瞬く間に削られてしまう。
電気やガスがストップした事で暖房が使えなくなり、り災者数は更に膨大。
そして雪による被害の拡大。
道路が破壊され、そこに雪が積もった場合。たとえ無事だったとしても、積雪によって道が阻まれる事で、除雪作業が行われない限り、救急車両などが通れなくなる可能性が出る。
火災が発生した現場でも、焼失するはずだった棟数の内、雪によって消火が困難なものが生じてくる。その建物から飛び火し、多くの建物に燃え広がる。
地震によって外に追いやられた被災者が、雪や寒さに凍える事態になる。おそらくこの影響は、予想以上の被害を市民にもたらすだろう。
「とにかく対策を急がないと……」
机の上にあった災害マニュアルを手に取ろうとして、止めた。本当の災害は、マニュアルに頼っても役に立たない。全ては人間の意志と判断だ。そしてこの場で最もそれを求められているのは、他ならぬ自分なのだ。
「落ち着きなさい。私の使命は、道民の生命と財産を守る事よ……」
平時の愚かさを悔いている暇はない。今は目の前にある事柄に対処するだけだった。
意を決した高宮は、電話を手に取った。
今治ドックでの定期整備を終え、神戸に向かっていた『かしはら丸』に第一報が入ったのは地震発生から一分弱だった。
「北海道で地震発生。念のため、付近を航行中の船舶は津波に注意してください」
地震速報だった。震源は北海道の道央――札幌市の中心地だった。テレビを点けると、画面上には札幌を中心に、石狩、後志、空知、胆振など、北海道の半分以上が震度を示す色と数字で埋め尽くされている。
地震発生から、続々と情報が入ってくる。
最大震度は、札幌市で7を観測していた。
「これは……大事になりそうだ」
地震の災害情報を伝えるテレビの映像を見詰めながら呟いたのは、
佐久間の懸念を証明するかのように、テレビの映像が現地へと切り替わった。右上に札幌テレビと表示された映像には、視聴者の息を呑ませる光景が映し出されていた。
ビルの屋上に据えられたテレビ局のカメラから撮影されたものと思しき映像には、降り注ぐ雪に覆われた地震後の札幌市の姿が映し出されていた。雪で白く霞んだ札幌の街並みから、うっすらと垣間見える黒煙と、赤々と光る炎が見えた。
船員たちが息を呑む中、船に派遣命令が下ったのは直ぐだった。
『かしはら丸』は直ちに神戸に寄港し、そこで救援物資と災害出動に応じた自衛隊の部隊を乗せると、急いで北海道に向けて出航した。
早急に他地方の自衛隊を向かわせなければならない程、現地の状況は切迫していた。
これが、船員予備自衛官である彼らにとって初の
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