log.6 政府

 本人が身構えていた割に、三國はあっさりと予備自衛官補の試験に合格し、無事に採用された。

 ここに至るまでの間に、三國は人生で初めて公務員試験を受験するに当たって、同期たちと久方ぶりに連絡を取り合っていた。

 学生時代の同期、そして社会に出て二十年の間に三國の下には豊富な人脈が根付いている。その中でも官庁船などに乗っている知人――海の公務員は案外多く、三國は海上自衛官の知人以外にも参考なまでに話を伺った。

 そして三國がここでようやく知ったのは海の公務員も陸と差ほど変わらない事だった。確かに特殊な船もあったが、公務員試験を受けるのはどこも共通した部分を併せ持っており、そこは特に三國も知りたい所であった。

 その中で三國が注目したのが、海上保安庁に入庁した知人の意見だった。

 彼曰く、「筆記試験は過去問をやる事だが、苦手な科目より得意な科目を、又、まだ改善できる余地がある科目を集中してやる。面接試験は自己の足りない部分を事前に見つけ、補う事」らしい。

 この意見を始め、様々な意見や話を参考にした三國は、予備自衛官補の試験に臨んだ。

 そして結果的に三國はあっけなく試験に通り、予備自衛官に至るための予備自衛官補に採用される運びとなった。


 私は、予備自衛官補たるの責務を自覚し、常に徳操を養い、心身を鍛え、教育訓練招集に応じては専心教育訓練に励む事を誓います。


 自衛隊法及び自衛隊法施行規則により定められた以上の宣誓文への署名捺印を済ませ、三國は正式に海上自衛隊の予備自衛官補となった。

 予備自衛官補はもともと陸自の特権であったが、平成28年より海自でも技能公募での採用がスタートし、今後は空自でも採用が検討され三自衛隊全てに三國のような予備自衛官補が採用される未来が期待されているが、それはまた別の話である。

 三國の場合はまた特別な例に当たるので、本来の予備自衛官補とはまた微妙に異なる教育訓練過程を経て、予備自衛官として任官する。


 だが、これが現実化に至る過程は当事者たちが思う以上に困難な道のりであった。





 東京 首相官邸


 官邸の五階にある、首相が他の閣僚と懇談などを行う閣僚応接室に、佐良政務官は一人待っていた。彼は本日、総理と防衛大臣の会談の席に同席する事になっていた。

 「政務官、大臣が到着されました」

 外に出ていた諏訪部補佐官が、室内に居た佐良に報告する。すると、間もないうちにヒールの音が先に室内に入ってくる。諏訪部が道を空けるように室内の隅へと移動すると、開いた扉の向こうからパリッとしたスーツを着こなした女性が現れた。

 せめてその黒縁眼鏡を外せば、特徴のない安っぽい美形も少しはマシになる、と言うひどい声をSNSで国民からつぶやかれている東郷加奈子とうごうかなこ防衛大臣のご登場だ。だが、その内面が至って真面目で、政治家として高尚な人物である事を佐良は政務官として側に就き熟知していた。先の内閣改造時に初めて閣僚に就任し、口頭にも細心の注意を払っているのか閣僚を初体験する大体の者が通る道も今の所は無かった。

 「おはよう、佐良政務官」

 「おはようございます、大臣」

 「総理は?」

 「総理は今、韓国大統領と電話会談中です」

 「ああ……」

 日本の近隣諸国・韓国では、先日行われた大統領選挙に当選した新大統領が就任していた。総理は新たに就任した韓国大統領に、祝電を送っている最中だった。

 「戦略的利益を共有する最も重要な隣国として、今後も両国の関係が更なる発展を遂げる事を期待しております。一日でも早く、実際にお会いしてお話できる日を楽しみにしています」

 短い時間帯の間に率直な祝電を済ませた総理は、海を越えた先にいる隣国との電話を置いた。

 「総理、防衛大臣一行が到着されました」

 「わかった。すぐ行く」

 待機していた秘書官の言葉を受け、総理――南雲武一なぐもたけいち総理大臣は総理室のイスから立ち上がった。

 日本国内閣総理大臣、南雲武一。自立党総裁として政権を奪還し現在は内閣が発足して五年目を迎える。最近、再び内閣改造を行ったばかりだが、政権は比較的安定を保っていた。

 本日顔を合せる東郷とは、以前より南雲が目を掛けていた人物だった。

 主要閣僚がほとんど留任した中で、初入閣組でも唯一の女性閣僚である東郷を防衛大臣の席に選抜したのは理由があった。

 若くして政治の道に進み、無所属から自立党へ入党してきた当時の若手議員だった東郷は、先輩議員に臆する事のない堂々とした佇まい、毅然とした行動、そして指導的立場に立った時の非常にテキパキと的確な指示を下す姿は見た事があったし、会っていない間も党内から風の噂でいつも聞いた事があった。

 特定の週刊誌では「自立党内で有能と評価された女性」などと載っていたが、閣僚に選ばれた時も以前より彼女に目を付けていた週刊誌以外は特に注目せず、就任後も良い意味でも悪い意味でも目立った事がないので、国民には印象の薄い存在だった。

 そんな彼女を防衛大臣の役職に任命したのは適材適所という判断の何物でもなかった。歴代二人目の女性防衛相と少しは注目を浴びるかと思ったが、特にそうでもなかったのは先に述べた通り。

 ともかく、南雲は彼女に期待していたのだった。

 「待たせてすまない」

 「総理、おはようございます」

 「おはよう。さぁ、掛けてくれ」

 まるで彫刻のように立っていた東郷を席に座らせ、同時に自分もまた席に着く。隣には優秀な政務官たちも同席していた。

 「韓国の大統領との電話は如何でしたか?」

 「親密に話せたよ。今回言葉を交わした限りでは、問題はなさそうに思えた」

 「そうですか。しかし、総理」

 東郷の目が、一瞬細くなったように見えた。

 「誰ふりかまわず愛嬌を振り舞くのがあの国の特徴です。十分にご注意を」

 「なんて事を言うんだね、君は」

 南雲は呆れるどころか笑ってしまった。本当なら首相として叱責する部分だとは思うが、昔から彼女の性格を知っている南雲だからこそそれで済んでいた。寧ろ、この性格が表に出ないのが幸いだと考えているぐらいだった。

 「一応、あの国は日本にとっても欠かせない隣国だ。あまり悪く言うのも控えてくれると助かるよ」

 「その言葉、そっくりそのままあの国に捧げてみては?」

 南雲は思わず苦笑した。対する東郷の顔はやはり冗談を言っているようには見えなかった。

 先程から隣で政務官たちも冷や冷やした顔をしているし、そろそろ本題に移った方が良さそうだった。

 「そんな話をしている余裕はもうないよ、防衛相。そろそろ利益のある話を始めよう」

 「そうですね。では、早速ですが……」

 やれやれ。この毒舌も党内の噂通りだ。

 先輩議員たちを何人も逆撫でさせた”女帝”は健在らしい。

 「佐良政務官」

 「はい」

 東郷の一声から、佐良がカバンから資料らしき書類を出した。机上に示される書面を前に、南雲は老眼鏡を手に覗き込む。

 「……あの国は、いや、あの半島を包んだ運命は、我々を一体どこへ誘おうとしているのだろうな」

 老眼鏡を掛けた南雲の目の前には、近隣諸国を含む朝鮮半島情勢に関する資料があった。

 韓国と北朝鮮の南北関係から端を発する朝鮮半島情勢は更に複雑の様相を醸し出していた。韓国では国内の混乱から政変が生じ、北朝鮮は韓国などの出方を見定めようとしているのか、最近はその行動がますます活発に、そして大胆になっている。

 このまま行けば、高い確率で悪い方向へと発展するのは目に見えていた。

 「北朝鮮の軍事的挑発を中心とした最近の行動は我が国にとっても目に余るものばかりです。我が国としては、今後も北朝鮮に強く自制を促すと共に、あらゆる方面での想定と対策を行うべきだと考えます」

 東郷の言う事は南雲も全面的に同意できた。北朝鮮の行動は日本としても見逃す事のできない許せない行為であるし、国際社会も総じて批難の声を上げている。

 「米国も堪忍袋の緒が切れかねない状態にまで陥っています。同盟国である日本としては、米国と行動を共にすべき所ではありますが、全体の危機意識が足りていないのも事実です」

 緊迫化する周辺地域の情勢にも関わらず、国内と言えば公民問わず事態の深刻さが今一伝わっていないと言わざるを得ないのが実情だった。

 実際に野党、果ては与党内にさえ、事が起こらない限りは行動に移さないと言わんばかりの態度が見え隠れしている部分がある。

 危機意識が足りない、と言う東郷の意見も尤もだった。

 南雲自身も変貌を遂げる周辺地域の情勢に対応しようと、戦後の歴史の中でもかつてない程の変化を日本にもたらした。そういう意味では、違憲の存在とされてきた自衛隊が完全に認められる日も近いだろう。

 そしてそれは日本の未来と、国民の生命と財産を守る結果に繋がる。

 南雲はそう信じている。

 だが、現行ではまだまだ足りないのが実情だ。真に国家国民を守るには十分な態勢とは言えない。

 「総理は先程、この問題の当事者でもある韓国を重要な隣国と仰いました。その言葉は間違いではありません。ですが、当の韓国とは、残念ながら我が国と理想の関係を築くには現状困難であると言わざるを得ません」

 はっきりと再び言い切る東郷の言葉を、南雲は、今度は何も言えなかった。

 先程、南雲も電話越しに話した相手は、日本にとって難しい相手になる人物である事は事前の調べからわかっている事だった。

 「新大統領は親北、反日色の強い人物です。あの国が反日でなかった時期などほとんどありませんでしたが……その点は今、どうでも良い事です。とにかく、あの大統領と”親密”な関係を築くのは想像する以上に難しくなるでしょう」

 「………………」

 「しかしあの国と親密な関係を築けなければ、ある事態になった時に困るのは我が国です。普段から口にしている総理ご自身が一番よく理解されていると思いますが、あえて申し上げます」

 東郷の目には、一切の恐れも見えなかった。

 そしてその口が、自然と、言葉を紡ぐ。


 「朝鮮半島に戦端が開かれれば、韓国にいる日本人を見殺しにする事になります」


 それは最も忌むするべき未来であった。

 そしてそんな事態は、南雲の、そしてこれまでの日本の政治家たちの苦労が無に帰す意味を持っていた。

 朝鮮半島で北朝鮮と韓国の間で軍事的な衝突があった場合、韓国に居る日本人が戦火に曝される事は容易に想像できた。韓国内には在韓邦人、旅行者も含めて多くの日本人が居るのだ。

 そんな日本人を一刻でも早く救い出すには、政府が如何に迅速な行動を取れるか。そしてそのためには韓国との調整も重要だ。

 政府の使い手として、自衛隊などが動くのが適切だろう。しかし現状、自衛隊どころか日本政府の働きかけが韓国で通用するかどうかも怪しいのが現実だ。

 同席していた佐良たちからも緊張した空気が増す。

 南雲は、ジッと視線を真っ直ぐに見詰めてくる東郷の目を見返した。

 「あらゆる事態を想定し、対処する事が我々の仕事、いえ、使命です。その使命の一端として、我々は韓国との協議に早急に乗り出さねばなりません」

 「わかっている。そんな事は……」

 だからこそ早期の首脳会談の実現を、南雲自身も望んでいる。

 その希望を、韓国の大統領にも伝えた。

 その真意が、向こうに伝わっているのかは不明だが……。

 「しかし、当の韓国はまた真逆の事をしようとしている。同盟国同士が足並みを揃わなければいけない時に、同じ過ちを繰り返そうとしています。私はそれによって将来救えるはずの同胞を見捨てる事になるかもしれない可能性に焦燥と苛立ちを感じます。私は、韓国との協議、そして我が国の現行法の改善を、強く希望します」

 南雲は目の前で見せる東郷の表情に驚きを隠せなかった。

 彼女は本当に憂いていた。この国の現状を。

 彼女自身が言った危機意識の無さ。それを表すかのように、彼女自身が対極的となっている。

 彼女は防衛大臣として、自衛隊への現地視察などで自衛官たちに言葉を贈る時、これ程まで自身の思いを吐露した事はなかった。

 だが、それは違う。彼女は常に、自身の言葉に、己の思いを隠してはいない。

 防衛大臣東郷加奈子の全てが、そこにあった。

 「……それと、総理へもう一つご報告する事があります」

 「それは?」

 差し出してきた別の書類。その字面は南雲にも見覚えがあった。

 「海上自衛隊初となる船員の予備自衛官補が採用されました。今後は教育訓練を経て、彼らが予備自衛官として新たに海自に加わります」

 それは過去に防衛省の検討から始まり、最近実現させたばかりの民間船員を予備自衛官として採用する制度に関するものだった。南雲もこれに関する質問書を目に通し、国会で答弁した事があった。

 背景には海自の予算や船、人材共に不足している現状からの脱却を目指した新制度だと当初は南雲も聞いていた。実際、民間船員が予備自衛官として採用されれば、海自にとっても大きな力になるだろう。

 野党や組合からは「事実上の徴用だ」と批難されたが、この新制度は日本の将来にも大いに貢献できるものだと確信している。

 「本省と契約を締結した二隻の輸送船フェリーとその船に乗る船員を有事の際に予備自衛官として招集できる用意が整えば、我が国の不足している海上輸送力の大きな助力になります」

 先程と打って変わって、こちらの説明をする東郷の顔はどこか晴れやかだった。

 「もし災害などが発生した場合、現地への隊員・装備品・救援物資等の輸送に大いに役立つ事が期待できます。人に限っては隊員だけでなく、避難民の輸送にも貢献できましょう」

 「避難民……」

 「そうです。例えば、災害だけでなく、もし特定の地域に政治的、軍事的緊張が生じた場合でも、その地域に居住する日本人を安全地帯我が国まで運ぶ事も可能です」

 南雲の中で、先程の話と繋がる。東郷の表情は、南雲の考えを肯定していた。

 「しかし、それは……元は民間人である船員を、危険に晒す事になる」

 「総理、彼らがいなければもっと多くの日本人を危険に晒す事になるのです」

 そう、それは南雲自身もわかっている事だった。

 だが、それでも口から出てしまう。

 それは南雲の、人としての感情だった。

 「彼らは覚悟を決めて、その任務に加わろうとしてくれているのです。ならば、今度は私達が、更に彼らを守れるように、為すべき事を為すのです。それこそが私達にしかできない事、それは『法』を変える事です」

 「東郷くん……」

 「『法律を変えるな』『それは改悪だ』……野党からは火が噴き出るようにまた言われるでしょう。党内からも反対の声は上がります。ですが、こういう時に一番大切なものが何なのか」

 一拍、誰もが東郷の次の言葉を待っていた。

 「それは、私は『心』だと思っています」

 「心……」

 「一人でも多くの同胞を救いたいという願い。想い。それは決して理想論では終わらせないと思う、人としての心です」

 「……君は」

 真剣な顔を最後まで途切れさせない東郷を、その意志を、南雲は不適切な対応とわかっていてもつい笑みを零してしまった。

 「私より、総理に向いているんじゃないのか?」

 その南雲の言葉を、最も衝撃を受けているのは佐良たちだった。

 だが、当の東郷本人は、微塵もその表情を変えなかった。

 唯一、反応が表れたのは――

 「今は貴方が日本の首相ですよ、南雲総理」

 その含みのある口許から、南雲が何を読み取ったのかは本人にしか知り得ない事だった。


 

 

 

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