log.4 志願


 帝国海運からノアズアークジャパンのフェリーに転船し、既に半年以上が経過していた。


 卒業以来、RORO船一辺倒だった三國にとっては初めてのフェリー勤務だったが、半年間という短い期間の間に、そのノウハウを学び、環境に慣熟したのは、会社が三國を選んだ所以にあるのかもしれない。

 乗客を運ぶというのもなかなか面白い仕事で、三國はRORO船とはまた違うやりがいを感じていた。

 後で知った話だが、この運航会社は幾つもの海運業者が共同で出資し生まれた会社のようで、三國が所属していた帝国海運もその一端に加わっていたらしい。

 なので、三國の立場は親会社から派遣された社員のようなものだった。

 フェリーは北海道と本州を結ぶ定期航路を走り、二隻の大型船で運航されていた。

 その内の一隻、『かしはら丸』に、三國は一等航海士として乗船した。


 ――『かしはら丸』。

 総トン数1万7千トン以上、全長199メートル、幅25m、航海速力29.4ノット。

 元は日本海の航路で敦賀、舞鶴から北海道内の各港を結んでいた旅客フェリーとして運航され、24時間以内で北海道と両港を往復可能なほどの高速性能を継承している。

 ノアスアークジャパンが元の所有会社から20億円で買い取り、運航を開始。

 船体は赤白のツートンで塗色されており、内面においても高速性能だけでなく、海自の輸送艦よりも高い積載能力を誇っている。

 同型船には『いずも丸』という船も同社の下で運航中。





 乗船して三ヶ月目だった。三國はこれまでに経験した事がないような光景を目にした。

 北海道の小樽から出航する時、陸上自衛隊の車両や隊員を沖縄まで輸送する事があった。一般客ではない、迷彩服を着た自衛隊員の集団がどやどやと船内に乗り込んでくる様は圧巻だった。

 南西への防衛力の充実を図る自衛隊による訓練の一環だった。

 普段から自衛隊が訓練地に向かうために民間フェリーを利用する事は珍しい話ではないが、会社が防衛省と専属的に契約を結んでいる話は三國も聞き及んでいた。

 このように、三國が乗るフェリー『かしはら丸』には、度々、自衛隊の輸送に出る事が多かった。

 三國にとっても当初は、自衛隊は一般客と変わらないただの乗客であったが、やがてその内に変化が見られるようになっていった。





 ある日、三國は港区にあるノアズアークジャパンの本社に訪れていた。

 そこで三國は、ノアズアークジャパンの社長と、防衛省関係者と名乗る人物と面談する機会を得る事となった。

 この会社が防衛省と関係を持っている事は以前から知っていたが、実際にその関係者から説明を受け、自分の目の前で書類を手渡された時はさすがの三國も驚きを隠せなかった。

 「これは、あくまで任意です。拒否してくれても構いません」

 最初に重大であるかのように言われた事が、それだった。

 三國は、目の前の紙面を眺める。

 そこには予備自衛官への志願を問う文面が書かれていた。

 「自衛官になれるんですか?」

 「正確には予備自衛官というものです。採用された場合、普段は本業の仕事に就いてもらいますが、有事の際は自衛官として働いて頂きます」

 有事の際には、防衛招集や災害招集などに応じて自衛官として任務に就く、という文があった。

 「有事って、戦争が起こった時とか?」

 「予備自衛官はあくまで予備役制度であり、第一線部隊が出動した際は主に後方支援等が任務になります。例えば記憶の新しい所では、震災後の被災地への災害派遣での捜索・救助活動などですね。三國さんの場合は、新設された船員枠での採用となりますので、フェリーによる人員及び物資の輸送支援に従事する事になります」

 「それじゃあ、仕事自体は普段とあまり変わらないな」

 三國の発言に、目の前にいた防衛省関係者や社長の顔が複雑なものになった。

 「……三國さん。こんな事言うのも、本来なら憚れるのですが」

 社長がチラリと防衛省関係者の方を見た。彼は、社長の言って良いものかと確認するような仕草に「構いませんよ」と答えた。

 「さっき、三國さんが仰ったように……もし、戦争や災害などが起きた時、危険な場所へ行く事になる可能性も十分にあります。もしかしたら命を危険に晒す事になるかもしれません」

 三國は心配するような表情で自分を見詰める社長の皺だらけの顔を見た。この人の立場を見ても、自分の前で、そして隣にいる防衛省の人の前でその言葉を口にするのは大変難しかった事だろう。だが、三國は重たげに降りてきたその空気を意も介さない如く、目の前に問題など存在しないと表すように笑ってみせた。

 「いいじゃないですか」

 三國の言葉に、二人が明らかに驚いていた。

 「手当って、貰えるんですよね?」

 自分に対する質問だと一寸遅れて気付いたように、防衛省関係者の口が開く。

 「え、ええ。 予備自衛官として招集され任務に就く間は相応の手当が支給されます」

 「なら別に問題ありませんよ」

 「い、いや。でも、良いのかい? 危ないかもしれないんだよ?」

 動揺し過ぎて、三國に対する語り方が先程とは違うものになっていたが、三國はけろっとした表情で頷き返した。

 「仕事に危険が潜んでいるのは、普段も一緒ですよ」

 「いや、それとはまた違うような……」

 「一緒です。一緒」

 半ば無理矢理のように、三國は言う。

 「行けと言われたら、どこにでも行くのが船員ですし。自衛官になるのも全然問題はないと自分は判断しています。あ、正確には予備自衛官でしたっけ」

 二人の驚いたような呆けたような表情に、三國は笑いそうになる。

 向こうとしては志願してくれた方が助かるはずなのに、こんな反応をするなんて面白い。

 「しかし、どうして……」

 「この仕事もけっこう面白いなと思ってて、もう少し続けてみたいと思ってたんです。もちろん、会社にも言ってありますよ」

 軽く笑いながら三國はそう言ったが、実は他にも大きな理由があった。

 何度か目のあたりにした、船に乗ってくる自衛隊の姿を見ているうちに――自分にも、彼らに対する特別な意識が芽生えていた。それは仲間意識というのもちょっと変だけど、自分に何が出来るか、を考えるきっかけが生まれた。

 国民を守る自衛隊の手助けをしているフェリーが、彼らの支えになっている事は三國も実感し、既に知っていた。

 もともと船員は、自衛隊とはまた違う意味で日本にとっては欠かせない職業だし、国民の生活を支えている自負もある。

 人を運ぶ事が、船を動かす事が誰かの助けになる。あるいは広く、大きな助けになる。

 それは正に、自分が船員であるなら、船員冥利に尽きるというものではないか。

 自衛官になる事。

 これまで通り、一介の船員である事。

 そこに大した差はない。どちらも船乗りの誇りは変わりないから。

 「予備自衛官に志願します」






 ――こうして、三國は予備自衛官に志願する事を決めた。


 だが、予備自衛官になるにしても、まずは予備自衛官補というものに志願する必要がある。

 予備自衛官補とは、自衛隊未経験者が所定の教育訓練を経た後に予備自衛官として任用される制度の事である。

 三國が志願する予備自衛官には「技術公募」という枠で、様々な資格や技能を持った者が対象となる。防衛省関係者が発言した「新設された船員枠」というのはすなわち「海技資格」を加えたという意味で、三國は「海技資格を持った予備自衛官」として志願する事になる。

 この予備自衛官になるためには予備自衛官補として採用されなければならないのだが、予備自衛官補になるにも、もちろん試験に合格しなければならない。

 自衛隊も人が欲しいから志願すれば問答無用で雇ってくれるんじゃないの?と思われがちかもしれないが、そんな事は絶対にない。

 来るもの拒まずという精神ではない。

 自衛隊だって、人を選ぶ。

 試験を行い、その人物が適性と判断されなければ、採用する側も困る事になる。

 特に有事においては失敗などが許されない自衛隊なら尚更、「人」というものが如何に重視されるか。本気で自衛官になるつもりがない者、その仕事に取り組む気がない者、そんな人間の存在を置いておくのを自衛隊が許すはずがないからだ。

 だから、本当に予備自衛官に本人がなりたいと思っているのか、自衛隊側はその部分をちゃんと見極め、採用の有無を決めるので、徴用などという事は絶対にあり得ない。

 「自衛隊は軍隊ではありませんし、徴兵や徴用という概念は一切ありません。志願者の意志を尊重し、然るべき手順を取って採用とさせて頂く点は民間企業と変わりません」

 予備自衛官の志願書類を提出した三國に、防衛省の人が律儀に説明する。

 話を聞いていた三國は、やけにある点を強調する事に気が付いて、思わず質問してしまった。

 「なにか難しい問題でも含んでるんですか?」

 三國の質問に、防衛省側がぴくっと眉を上げた。

 「さっきから徴兵だの徴用とか。ちょっと気になってしまって」

 一度、防衛省関係者が社長と目を見合わせた。その表情が苦笑に近いものに変わり、「そうですね」と言う言葉が返ってきた。

 「実を言いますと、この新制度に反対する声が確かにあります。なので、本省としてはキチンと説明をしなければならないのです」

 その言葉から、三國はある程度の事情を察した。



 この「船員枠の予備自衛官」が導入された時、例によってある所から反対の声が上がった――



 「民間船員を予備自衛官補とする事に断固反対する」



 ある意味、予想通りの反応とも言えた。佐良たちなどの防衛省側が予測していた通りの世論の声。特に安全保障関連の法改正や新たな法律の施行など様々な変化が起こっていた時期もあって、これもまた関連付けて異議を唱える輩が出てくる事は確かに予想できた。

 彼らのように船員を自衛隊に加える事に反対している側は、おそらく、「事実上の徴用」あるいは「徴兵」を心配しているのかもしれない。

 彼らの言い分の一部には、

 「会社や国から見えない圧力がかかるのは容易に予想される」

 というものがある。

 船はチームプレーで一人欠けても運航できない。他の船員が予備自衛官になったのに、自らの意思で断れるのか。防衛省は、できるだけ多くの船員が予備自衛官になるようフェリー会社に求めている。

 そのような意見も出ている。

 「要は会社でね、上司から、『会社が自衛隊に協力するから、社員は予備自衛官に応募してね。みんながそうしてるのに君だけ拒否するわけないよね?君にも家族がいるでしょ?拒否するなら別に構わないけど、ここで会社を辞めても経済的に困るんじゃないの?』と言われて、『嫌でも予備自衛官になるしかないじゃん』となるって事だね」

 そうなるのが恐い。

 三國のように予備自衛官になるのも吝かではない者などもいるだろう。だが、そんな人間ばかりではないのもそうだ。

 嫌だけど、会社の命令だし、家族のためを考えると……等々、仕方なく予備自衛官に志願する、いや、させられる事態になる事もあるんじゃないか、そういう心配の声もあるのはおかしくないだろう。

 そんな会社があれば元よりそのような会社はいわゆるブラック企業だが、このような事態は絶対に避けなければならない。


 だが、先にも記したように「自衛隊も人を選ぶ」という事実が、ある。


 はっきり言って予備自衛官になりたくない者を、自衛隊側も採用したくない。自衛隊はそういった人を見極め、もし「なりたくない」と意思表示してくれれば、必ず「不採用」にする用意もある。

 「だから本省としては、そのような心配はないと言いたいんですけどね。実際にそう説明しているのですが、やはり納得しない意見もあります。私達はそのような意見がある事も踏まえ、今後もキッチリと粘り強く説明を続け、国民に理解を広める事に努めなければなりません」

 「そちらさんも大変ですねぇ……」

 「お役所ですから。こういう仕事なんです」

 国の決めた事や制度に不満や反対を主張する事自体はおかしくないし、それに対して国も理解されるように説明していくのは正しい行為だ。

 だが、三國は素直に疑問を抱いた。

 この国でこういった類の批判がある時、たいていそれは、現実的よりも感情的に近いものがある上に別の言葉を利用して煽っているだけのようにも思える。

 この制度に対する反対の意見として特に上げられる「徴用」「徴兵」といったものも、その前に「事実上の」などと付けている。

 それはすなわち、反対する人自身もそれが「本当の徴用」だと思っていない証拠にもなる。

 まるで本当にそれが「本物」であるかのように見せかけ、人々の不安を煽るのは、また違うのではないか?

 正しく指摘するのではなく、ただ自分の主義主張を通したいだけの声など、本来なら聞く耳を持たなくても良いはずなのに。

 それが出来ないのが、彼らの立場なのだろう。

 我ながら生意気にも気の毒な事を思っていると、そんな三國に防衛省関係者が良い笑顔で言い切った。

 「だからね、不合格という事も十分にあり得ますから。試験頑張ってください」

 他人の心配をしている場合ではなかった。

 真面目に試験勉強に勤しもうと、三國は意を決した。

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