log.3 契約


 ノアズアークジャパン株式会社。


 紙面の中で一際目立つその社名。

 本省との契約を証明する報告書の内容に目を通し終えた佐良さがら清志きよし政務官は、目の前で自分の反応を待つ諏訪部すわべただし補佐官の顔を見た。

 「契約の締結は滞りなく終了。本省は隊員及び物資の輸送契約を結び、有事の際は民間輸送船二隻を運用できます」

 「確かに契約自体は無事に終わった。だが、問題はここからだろう」

 「はい」

 防衛装備品などの関係で民間企業と契約を結ぶ事は、国家の安全保障を担う防衛省にとっても珍しい話ではないが、今回は今までのケースとはタイプが違った。

 佐良は政歴初の防衛大臣政務官に就任し、諏訪部補佐官と共に今回の防衛省の民間企業との契約に注力していた。無事にその契約を交わす事に成功したのだが、二人の仕事としてはまだ第一段階を越えただけに過ぎない。

 佐良の言う通り、本題は今後の推移であった。

 「防衛省が民間船舶を運用する――これを、”徴用”として反応する声が出るのは明白だ。如何に国民を納得させる説明責任を果たすか。国家国民のために働いてくれる自衛隊員の負担を最小限に留めるためにも、我々の仕事は重要だ」

 佐良の言葉に、諏訪部は何度も頷いた。


 防衛省が今回結んだ契約――それは、民間船の輸送契約である。


 契約相手は民間の海運業者などが出資して設立した特別目的会社である。本州と北海道を結ぶ定期航路にて運航している大型フェリー二隻を保有しており、一隻は『かしはら丸』という最新鋭の高速船であるが、この船の高い輸送能力は防衛省も認めていた。

 防衛省はこれまでも訓練などで、民間フェリーなどを一時的に利用してきた経緯があった。今回契約の二隻とも過去にチャーター実績があり、『かしはら丸』は、昨年の自衛隊統合演習で地対艦ミサイルを北海道から沖縄の宮古島まで運んでいる。今回の契約によって、契約期間中は優先的にこの二隻(『かしはら丸』、同型船の『いずも丸』)を利用できるようになった。

 だがこの契約を実現する以前は、民間船契約に対する作戦支障の心配が起きていた。

 この半年前、新年早々から北朝鮮にミサイル発射の予兆が確認された時、例に違わず自衛隊がミサイル落下に備え、自衛隊員と装備品を配置するために、契約した民間フェリーで部隊を沖縄本島から石垣島に輸送しようとした事があった。

 だが、その自衛隊の輸送を船員組合が拒否し、ミサイル発射に対応した自衛隊の任務が対処できない状況に陥った。

 急遽、ヘリや他の民間船で対応してその時はどうにか間に合ったが、代替したのが定期船だったので危うく展開に遅れる所であった。

 いざ有事が発生した際、自国内でさえ動きにくい自衛隊の――この国の現実が露呈した出来事でもあった。

 「先の九州で起こった震災の時も、海自だけでなく鉄道やバス、飛行機などを使って自衛隊員を被災地に送り込んだが、その際にも民間との手続きや苦労があった。米軍のように円滑に充実した輸送形態で隊員を輸送できたら良いのだが、我が国ではそれが難しいのが現実だ」

 勿論、その根本的な問題が『予算』であるので、これを解決すれば良いのだが事はそう簡単ではない。

 予算が足りないのはどこの省庁も似たようなものだが、本省に限っては特に悩みの種だ。

 「海自が現在保有する輸送艦の数から見ても、大部隊を移動させるのにはまだ足りません。輸送艦の新造に数百億円かかることを考えれば、民間フェリーを借りる方が遥かに安価で済みます」

 「そう、予算の面から見れば今回の契約は理想だ。だが、さっきも言ったように、我々にとって予算と同じくらいに大事な世論の声もある」

 「………………」

 今年一度目のミサイル落下対処に備えフェリーの利用を要請した際、フェリーの従業員の船員が加盟する組合側に拒否され作戦遅延の危機に陥った。

 ミサイルが発射された後も、部隊を戻すために再び要請を行ったが、やはり組合は拒否を示した。


 組合側は「戦時中は民間船が徴用され、7千隻の船が沈み、6万人を超える犠牲者が出た」とした上で、民間船を輸送に使う防衛省の施策についても「事実上の徴用に繋がる」と主張している。


 今回の契約で、防衛省は新たに『かしはら丸』など二隻の船の持ち主となった別会社と契約し、緊急時には非組合員の予備自衛官らに操船させる計画を立てているが、十分な数の人員を確保できる見通しは立てていない。

 「この人員が特に問題です。正直に申しますと、海自出身の予備自衛官だけでは民間船を運用する事はできません」

 諏訪部は佐良も抱いていた懸念を指摘する。

 「自衛艦と民間船は全くの別物です。 元海上自衛官が民間船のノウハウを習得し、その人員を増やすにも、それなりの時間と費用が掛かるでしょう」

 同じ船でも、軍艦と民間の船では、まるで別世界のように違う。

 防衛省が契約船を予備自衛官で運用しようとしているのは、民間人を戦場などに送るような事が起こらないため、組合側の言う「徴用」に繋がらないようにするためである。

 だが、予備自衛官自体の数がそもそも足りない。今から予備自衛官を増やすにも現行の法律では時間もかかる。

 「……ああ。もちろん、元海上自衛官だけじゃあ難しいってのはわかってる」

 「では、どうする気ですか?」

 答えを待つ諏訪部の瞳、その奥底には予感が渦巻いていた。きっと彼は想像しているのだろう。佐良の口から出る言葉を。


 「民間船員を予備自衛官にする」


 束の間の沈黙。

 「……やはり、それしかありませんよね」

 諏訪部の口許から、見えない溜息が漏れた。

 「当然、その際は予備自衛官になるルールを変える。一刻も早く人員を確保するためにも必要な事だ」

 予備自衛官は、普段は別の仕事に就き、有事の際に招集されて自衛官として活動する。志願制で、海自の予備自衛官の応募には、海自での一年以上の勤務経験が条件だ。

 だが、そんな時間はない。このルールを変え、民間船員に教育訓練を受けさせるだけに留め、早急に人員として配置する。

 「しかし、それこそ――」

 開きかけた口が、言葉を紡ぐのを止めて、ゆっくりと閉ざされる。

 代わりに、佐良がはっきりと言った。

 「ああ、徴用だな」

 明言した佐良に、諏訪部は一瞬動揺するように頭を掻いた。民間船員を予備自衛官にする。正に組合側の主張する「事実上の徴用」に他ならない。

 もちろん、実際の「徴用」とは異なるし、佐良たちも口では「徴用」と言っても本気でそうだとは思っていない。

 しかし国会の答弁でいくら大臣が説明しても、世論は「徴用」だと見るだろう。

 「民間による輸送支援は、我が国の海上輸送力不足を補う大きな要だ。防衛予算が限られている中で、新造艦の建造費等の負担を軽減する本省の苦肉の策でもある」

 民間の支援に頼るのは不甲斐ない気もするが、民間の支えがあってこそ自分達の大きな助けになっている所もあるのは現実的に明らかだ。もちろん、あらゆる問題が解決される事が理想的だが、この問題自体を量産しているのが後先考えない自分達自身であり、それこそ不甲斐ないと思い、支えてくれる民間の存在のために粉骨砕身の意志で働くべきだろう。

 「ここからが正念場だ。我々は自分の仕事をするだけだ」

 「はい」

 佐良は書類をまとめ、立ち上がった。彼は大臣に説明する文言をこれから練る所だった。

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