2. Times Square @ 45th
絶望する。とにかく絶望するのだ。
しばらく両目を開けたままでいたせいか、処理しきれない情報量に目が眩み、すかさず頭上に一眼レフのレンズを掲げる。片目を閉じると、世界が途端に鮮明さを帯びて、安心した。
そびえ立つ広告塔に、コカコーラの電飾。その背後から伸びる夜空の濁り具合。よく見える。
この網膜に直接刷り込まれるその画像は常に完璧だというのに、同じ理屈がカメラには通用しないのはなぜか。
シャッターを切る。そしてこれから家に帰り、バスルームに閉じこもり、フィルムを現像する。そのとき、現像液に浸した印画紙に、そのコカコーラの電飾と淀んだ夜空しか浮き出てこなかったら、絶望する。耐えられない。
カメラにこの脳みそを移植するというのは、願望。もしくは、この頭にカメラを埋め込むという、理想。あと何年生き続けたら可能になるだろう、と真剣に考える。
二十一世紀の幕が開けて二年。この世界は、子供の頃思い描いていた「未来」とは、程遠い。
「よくわからんな」
ファインダーを覗いたまま、声の方向へとカメラを向ける。フレームに収まりきらないほどの巨大な時計の文字盤が現れ、その針は潔いほどに八時ちょうどを指している。
黒い縁取りの中、こちらに背を向けたシャンペンブロンドの男娼は、ネオンで真っ赤に滲むヴァージンメガストアのロゴの上を眺めたまま、右手をジーンズの尻のポケットにやり、短く掻き毟る。その男がどんな病気を抱えているのか、考えるのは恐ろしく、同時に限りなく無駄な話だ。
これから、この男と寝る自分には。
「空を撮ったら、空が写る。当たり前だろ。何悩んでんだ、おまえ」
だが、それは俺にとって当たり前のことじゃない。俺にとって、それは脅迫でしかない。今すぐそのカメラを質屋に入れ、自称写真家などという肩書きを捨て、ニューヨークからフロリダへ帰るための片道切符を買えという、それは脅迫だ、わかるか? そこにある「何か」を写し出す才能、それが欠如している可能性を知り得る恐怖。わかるか?
「集中しろよ、ロバート。怖いものなんか何もなくなるぜ」
男娼は言う。尻を掻く。まだこちらに背を向けたまま、店の中から洩れ聴こえてくるポップソングに耳を傾けている。テクノをやるマドンナは嫌いだ。こいつも嫌いなはずだ。だが、自分たちがこの店の前で足を止めてから、もう三十分になる。この男は、時間の経過を無視するのが得意だ。俺には、こいつのような器用さが足りない、それが敗因だ、と思う。
ましてや俺は、努力というものが嫌いだ。だから俺は、己の能力に果てしなく失望することしか知らない。
自覚するのは簡単だ。自覚との共存は、ありえない。
いい自殺方法を教えてくれ。
「転職して、うちに来るか。おまえなら、多分一晩で死ねる」
フレームの中央で、シャンペンブロンドのうなじの生え際が捩れる。
「しかも、セックスの最中だ」
こちらを向いた男娼は、猫に似た笑い顔をする。シャッターは切られた。
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