寝転んだ風景

アオイ

1. crème brûlée




 嘘をついたら殺す、と言い、男は本当に首を絞めてきた。


 恐怖とは、必ず、予測から生まれる。


 だから、ピンポイントで、今自分の中を通り過ぎようとしているこの束の間だけに集中したらいい。


「君、本当は何歳なんだ」


 十八。


「十八にしては、肌がなめらかすぎる」


 二十八。


「二十八にしては、肌がなめらかすぎる」


 十八のときも、この肌は同じ色をして、同じ感触をしていた。焦げてささくれ立った表面をスプーンで突き破ったときに初めて見つける、クレム・ブリュレの内側と同じ色、それが舌に乗ったときと同じ感触だ。二十八になっても、この肌はそのクレム・ブリュレの湿った部分の色と、感触を保つだろう。こうして、毛穴が他人の体液を吸収することにくたびれないうちは。


 男の二本の親指が、喉頭の両脇辺りを圧迫する。身体が捩れる。激痛もあった。痛みと恐怖は違う。痛みは耐えられる。快感とも似ている。射精する。


 男の両手がすぐに頸を離れた。男は言う。明日も来れるか?


 天井から、無造作に紙幣が舞い降りる。十五枚だ。それぞれが、それぞれに、時間のつまりすぎたインクのにおいをしている。一枚は右腕の上に、一枚は下唇の上に、一枚は左のみぞおちの上に落ち、残りは辺りのカーペットの上に落ちた。


 マンハッタンのどこかでこのにおいを嗅いだことがある、と思う。春先に暖かくなると、美術館の前の階段で昼寝をする。あのにおいかも知れない。違うかも知れない。友人の顔をひとつ、思い浮かべる。昼寝に誘おう。


 唇の先から吸い込まれたにおいが奥の粘膜に絡み、煙草を吸いたいと思う。しかしそれはにおいのせいではなく、自分が今、生命力が残っているのかどうかも疑わしいような弱々しい精液を放った後で、素っ裸のまま床に倒れて汗をかいているからだ。衝動ではなく、習慣だ。


 カーペットに食い込んだ左目の視界の下から、平面はまっすぐに伸び、部屋が終わる場所で直角に途切れる。この角度から見る世界は、理屈が通らないように思えて、一番好きだ。ずっとこのままがいい、と思う。


 男は繰り返す。


「明日も、来れるのか」


 わからない。


 ピンポイントで、今この束の間だけに集中する。ほんの少しでも予測が絡む事柄は、何も知らない。たとえば、明日の予定。恐怖。希望。将来。


 両手を使って、十五枚の紙幣を掻き集める。ポケットに先にしまってから、ジーンズに脚を通す。


「明日も来てくれ」


 札束の耳を揃えて待っていてくれたら、多分、来る。





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