安芸の空 ~安国寺恵瓊の策謀~
結城藍人
第1話 恵瓊の戦場
「よい空ではないな……
朝方までの雨が上がった空を見上げながら、
その毛利家の舵取り、特に外交についての舵を握っているのが、この儂だ。この状況を作ったのは、ほかの誰でもない、この儂なのだ。
石田治部少輔三成殿や小西摂津守行長殿ら西軍首脳と共謀して、西軍の総大将、安芸中納言毛利輝元公を担ぎ出し、この戦を演出した張本人。そして、輝元公の代わりに毛利軍一万五千を率いる参議(宰相)毛利秀元殿を焚きつけ、内府殿の首を狙うに最適な場所に布陣させた男。
そう、それがこの儂、
ああ、ようやくここまで来たのだ。これで、すべてが終わる。幼き頃に誓った我が宿願が、ようやく果たされるのだ。
そう思い、ふと見上げた空は薄暗い雲に覆われて濁っていた。あの晴朗なる安芸の美しい空とは比ぶるべくもない。
まるで儂の心のようだ、と秘かに自嘲する。
もとより、僧の身でありながら兵を率い人を殺めるなど、罪深きことは承知の上。それでもなお我が所領六万石で常備できる千五百の兵に加え、さらに常日頃ため込んだ財にものを言わせて二千二百もの兵を臨時に雇い、合計三千七百、しかもうち七百が騎乗という精強な軍勢を引き連れて参陣したのだ。儂が本気で戦おうとしていると、誰もが見て取るだろう。
だから、儂は苛立って見せた。
「なぜ、吉川殿は攻めかからぬ!? 今こそ絶好の機会ではないか!」
石田治部殿、小西摂津殿のほか
我が三千七百の軍勢の目の前に布陣している毛利家の重臣、吉川広家殿の軍勢が内府の軍勢に突撃すれば、それに続けて毛利軍一万五千が全力で内府の軍勢を攻撃できる。それなのに、肝腎の先鋒である広家殿が動こうとしないのだ。
だが、広家殿に送った使番の返答は、また人を食ったものだった。
「吉川様は『今、弁当を使わせているので動けぬ』と……」
「馬鹿な!」
使番の返答を聞いて、一瞬笑いそうになってしまったのを、怒鳴って誤魔化す。そう来たか、広家殿。上手い手だ。下手に誤魔化そうとするよりは、馬鹿馬鹿しいくらいの理由の方がよい。
これでいい。これで、我が毛利家は、この天下分け目の戦で何もせずに終わるだろう。広家殿は、儂との打ち合わせ通りに上手くやっている。
この戦だけなら、西軍の勝ち目はいくらでもある。だが、それで勝ってどうなるのか。西軍の首謀者、石田治部殿の計数と法理に長けた内政能力の高さは認める。だが、あの男には致命的に人情に対する理解が欠けている。
あの男は万人が「上からの命に従う」「法に従う」ことを疑っていない。自分自身がそういう人種であるから、他人もまたそうだと思い込んでいる。あるいは、そうすべきだと思い、命令や法に従わない人間を悪と見なしている。そういう単純さがある。
そして、他人の気持ちに致命的に無関心だ。自分が何と思われようとも気にせず、自身が正義と信じる法と、太閤殿下の命令を守ることにしか気が回らない。そして「正しい」ことなら何を言ってもよいと思っており、「正しくない」ことは痛烈に批判する。言葉を飾らず、和らげもしないので、横柄に聞こえる。
どうにも、心の一部が欠けているのではないかと思われるような男なのだ。あの男の逸話としてよく知られているのが、太閤殿下と初めて会ったときに温度を変えた三杯の茶を出したというのがあるのだが、そういう心遣いをしそうな人間に思えないのだ。あれは「もてなしとして正しい方法」を教えられた通りにやっただけではないのか。
また、大谷刑部殿との友情を示す逸話として、病を患っている刑部殿が茶会で茶に膿を落としてしまったのを飲み干したという話も伝え聞くが、あれも実は刑部殿のことを
この戦に勝ってしまえば、あの男が天下の権を握るだろう。それで天下が回るか。上手く回るはずがない。あの男は、所詮は太閤殿下の命令を忠実に実行するだけの才しか無いのだ。自分が頂点に立てる男ではない。周囲の敵意を買いまくったあげくに殺されるのが落ちだ。
では、代わりに我が主君、輝元公が天下人になるのはどうか?
断言できる。無理だ。
あのお方は、人品はこの上もなくよい。だが、それだけだ。
決断力も、判断力もない。毛利両川と謳われた二人の伯父、小早川隆景公と吉川元春公に全てを委ね切ってしまっていたため、自分自身の考えというものを持たない癖がついてしまったのだ。
なるほど、部下の能力を活用することには長けている。ほかならぬ、この儂自身からして、毛利家の外交を任されているのは、その能力を認められ、有効に使われているからだ。それは天下人に必要な資質ではあろう。
だが、天下人に必要なことは、部下の献策の良否を判断し、決断を下すことだ。輝元公には、そこが致命的に足りないのだ。
まあ、それだからこそ、この儂が毛利家の外交を握り、表向きは西軍に
それに危機感を持ったのが、内府殿に近かった広家殿だ。もともと、西の大国である我が毛利家と、東の大国である徳川家は、別に敵対する関係ではなかった。一度たりとも戦を交えたことは無い。領土を争ったことも無い。太閤殿下の寵を競い合ったということも無い。そんな必要も無いほど、豊臣政権では東西における重要な外様大名だったのだ。
だから、本来は争う必要など無いのだ。たとえ内府殿が豊臣家の天下を簒奪しようとも、毛利家中興の祖である元就様のご遺訓「天下を争うことなかれ」を守り、ただ本領安堵さえ認めさせれば、それでよかったのだ。
そのことに気付いていた広家殿は、独自に内府殿に接触して、内応を約した。決戦において、毛利家は不戦を貫く代わりに、本領安堵を認めさせたのだ。
これには前例がある。前田利家公だ。太閤殿下と柴田勝家殿との天下分け目の決戦、賤ヶ岳の戦いにおいて、利家公は柴田勢を攻撃はしなかったが、最後まで戦うことをせず、退却してしまった。それが原因で柴田勢は大敗し、太閤殿下は天下を取ったのだ。
東軍と西軍の決戦において同じことをすれば、その勲功は大であろう。そう広家殿は考えたのだろう。内府殿もそれを認め、本領安堵を約束したのだ。
そのことを、儂は把握していた。
そして、その策を認めたのだ。あのときの広家殿の呆然とした顔は、今思い出しても笑い出しそうになる。
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