名探偵願望

 茜の上で激しく動いていた牧人は、やがてひと声呻き、果てた。

 性交の最中、彼女の心は朝凪のように平静だった。愛し合う行為の中に愛はなく、かえって憎しみを募らせるだけだった。この男は「お前だけだよ」という囁きを、何人の女に繰り返したのだろう。軽く調べただけでも、両手の指では足りなかった。

 初めて本気で愛した男だった。それだけに許せなかった。裏切りに、執行猶予などという甘い判決はない。ただひとつ、死あるのみだ。

 牧人はあぐらをかき、だらりとしたペニスからコンドームを外している。セックスに応じたのは、色狂いの男に餞別をくれてやるためだった。いわば、最後の晩餐。感想を訊く気はないが、きっと満足してくれたことだろう。

 茜はベッドの下に腕を伸ばした。そして、隠していたナイフを手に取る。

 蓄積していた怒りが、躊躇を吹き飛ばしてくれた。茜は目を閉じ、両手を突き出した。

「ぐ……」

 さほどの手応えもなく、ナイフは深々と牧人の腹に吸いこまれた。すぐさま手を引く。血が吹き出し、飛沫が茜の身体を濡らした。

 飛ぶようにして、ベッドから離れた。両手で腹を押さえ、身体を丸めて牧人は苦しんでいる。とどめをさすべきかどうか茜は迷い、苦痛もまた、この男が受けるべき罰だと結論を出した。彼女は牧人を放っておき、バスルームに入った。

 シャワーで血を洗い流しながら、指紋について考える。本当に拭き取らなくて、大丈夫だろうか。いや、やっぱり問題ない。牧人の部屋には多くの女が出入りしているから、その中に茜の指紋があったところで決め手にはならない。ただ当然、警察の事情聴取は受けなければならないだろう。それは鬱陶しいな、と茜は物憂く思った。

入念に身体とナイフを洗い、シャワーの水栓をタオルで綺麗に拭いてから、茜はバスルームを出た。すでに牧人は、うつ伏せの姿勢で息絶えていた。枕に頭を乗せ、右手をその横に置いている。赤黒い染みが、ベッドの中央を汚して広がっていた。

その姿を見ても、茜の胸に罪悪感はなかった。ただ、少し感傷が湧いた。さよなら、私の愛した人。短い間だったけど、楽しかったわ。

血にまみれた右手が何かを掴むような形に膨らんでいる。不審に思い、覗いてみたが、何もなかった。安心してナイフを鞘に入れてハンドバッグにしまい、服を着る。ニットの帽子をかぶり、サングラスをかけた。あとは目立たないように、アパートを去るだけだ。

扉の前で一度振り返り、茜は死体に向かって語りかけた。

「あんたさ、セックスしか能がないんだから、もっとテクを磨くべきだったんじゃない? はっきりいって下手だったよ?」


 この後、茜はすぐに逮捕されます。それはなぜでしょう?


 プリントアウトされた短い問題文を読み終え、私は顔を上げた。向かい側の席では、カッツンが顎の無精髭を撫でながら、にやにやと笑っている。

「どう?」

「どうって……シャワーを浴びている間に、牧人がケータイで警察に電話したとか?」

「ぶーっ。ケータイは、茜が机の引き出しに入れとるで」

 ……あら、そう。だったら、それを書いておきなさいよ。

私は腹が立って唇を曲げる。カッツンの人を小馬鹿にするような笑顔を見ていると、さらに不愉快になった。夜中の二時過ぎにまだ編集部に残っているのは、あとは牧人だけだ。

本当なら、極力こいつとは口をききたくないんだけど。

 こうなったのには、わけがある。きっかけは、カッツンが「ミステリーなんてくだらない」などという暴言を吐いたことだった。怒りに燃えた私が噛みつき、議論は途中でなぜか、私とカッツンのどちらに謎解きの能力があるか、という方向に変わった。それでカッツンが問題文を作成し、私がそれを解くという流れになったのだった。

「じゃあ、コンドームに愛液が付着してるから、DNA鑑定したんじゃないですか?」

 誰でも思いつく指摘を私がすると、カッツンは「ん?」という表情になった。それから、彼は私から紙を取り上げ、ペンを走らせた。


 茜は枕元の箱からティッシュを二枚引き出し、牧人の手元に落ちていたコンドームを包んでハンドバッグにしまった。


 戻って来た紙には、こんな一文が矢印を使って挿入されていた。ちょっと。こんなふうに後から足していったら、茜さん、完全犯罪しちゃうじゃないの。

「ま、『すぐに逮捕』って書いてるわけやから、DNA鑑定とか、そんなややこしいことせんでも、はっきりした証拠があったわけやけどな」

 はっきりした証拠? それは何だ? 私はもう一度、文章を丁寧に読み返した。

でもやっぱり、わからない。カッツンは、ミステリーをほとんど手に取ったことがなく、知識は推理マンガから得ただけだという。そんな奴に負けたら、末代までの恥だ。私の肩には、嫌でも力が入った。

ただ、これだけの文章で、ちゃんと推理が可能かどうかは疑わしいわけだけれど。

 悩んでいると、横から牧人が近くまで顔を寄せてきた。

「おいおい、カッツン。なんで俺を登場させるんだよ」

「やかましい。女たらしのお前なんか、刺されてもうたらええんや」

「うえっ、ボロクソだなあ。大体俺、テクならあるよ」

牧人は不本意そうに訴える。そんな彼に私は、「この謎、解ける?」と訊いた。

「ああ、結構簡単だね」

 なに? 牧人には一目瞭然の謎なのか。となると、きちんと手がかりは書かれてあるわけだ。ミステリーは読まないくせに、創作能力はあるってこと? 私は、全然ミステリーが書けないというのに。

ゴミのような男より劣っている気がして、私は腹立たしさを覚えた。意固地になり、些細なヒントも見逃すまいと、目を皿のようにする。

「うーん。壁が薄くて、隣の住人に捨て台詞を聞かれていた、とかどう?」

「壁が薄いなんて、どこにも書いてないやろ?」

 カッツンはふんぞりかえって、いう。私の苛々の水位は、さらに上がっていった。なによ、後から適当に付け足してるくせに。偉そうにしないでよ。

 しかし、それでは……膨らんだ形を保った右手が、やはり重要なのだろう。ああ、もう。あと少しで、閃きが訪れそうな気がするんだけど。

私は頭を両手で押さえて、うんうん唸った。

「ぶーっ、時間切れや」

「ええっ」私は甲高い声を上げる。「そんな。早すぎますよっ」

「こんなん、すぐわからなアカンわ」

 もう一度、私は紙を取り上げられる。

「正解は牧人が精液を使って、シーツの上に茜の名前を書いた、でしたぁ」

「えっ」

「ダイイングメッセージを右手で隠しとったんや。血で判別できんようになったらアカンから、手のひらを浮かしとったわけやな」

「く……」

 そんなのありか、といおうとして、私は言葉を飲みこんだ。茜は「入念に」身体とナイフを洗っているから、そこそこ時間が経過しているだろう。精液なら薄く引き伸ばせば、ある程度は乾きそうだ。ちょっと覗いただけなら、わからないに違いない。けれど精液だなんて……そんなミステリーがあったら、私は脱力するか、本を壁に叩きつけるだろう。

「サトちゃんは口ほどにもないなあ」

「だって、手がかりが少ないし……」

「ティッシュ二枚でコンドームを包んだって書いてるやんか。普通、そんな枚数やったら、滲み出てまうやろ。精液が減ってるって描写やん」

 それって、後付けした部分でしょうがっ。

 勝手なことばかりいっちゃって。勝利を得て、子供みたいな得意顔をしているカッツンを私は睨みつけた。

「うー、一回だけで決めつけられたら堪りませんよ。次です次」

 プライドを砕かれ、不快感は頂点に達していた。このままでは到底終われない。けれど、カッツンは「またにしようや」と小指で鼻をほじり出す。ちくしょう、勝ち逃げか。

「ねえ、本当に牧人はわかってたの?」

「うん。でも、何を精液に浸して書いたのかって疑問はあるね。指は血で汚れているだろうから無理だし。まぁ、都合よく指先に血はついていなかったのかな」

 それを聞いたカッツンは、「なに?」と呟き、また紙に文章を書きはじめた。いや、今さら修正してどうすんの。もういいよ。

「しかし、この茜ちゃんも短絡的だね。浮気されたぐらいで、刺すとか」

「何いうてんねん、お前、めっちゃ怒られたんちゃうんか」

「ん?」

「ん?」

 カッツンと牧人は、しばらく無言で視線を交わした。

「お前、茜ちゃん、忘れたんか?」

「誰?」

「お前が付き合っとったイメヘルの茜ちゃんやないか」

「え……ああー」

 牧人はぽん、と右の拳で左の手のひらを叩いた。

「忘れとったんやな」

 カッツンが呆れたように首を振る。私も唖然として、牧人を見つめた。

こいつ、元カノの名前を忘れていたのか。この若さで、もう呆けているのだろうか。

いや……そういうわけではないだろう。カッツンが以前、牧人はデリヘルの女のコと付き合っていたといっていたし、彼は殺された姚明とも寝ていた。きっと女をとっかえひっかえしているから、憶えていられないのだ。

薄々は感じていたし、カッツンもはっきりといっていることだけれど、牧人はやっぱり女たらしのようだ。だったら……それは今でもつづいているのではないだろうか。

 急速に、あえて目を逸らしていた問題が、私の中で浮上した。牧人は、果たして私だけで満足しているのだろうか。初めの頃は、別に女がいてもいいなんて強がりをいっていたけれど、いつまでも自分をごまかすことはできない。第一、心穏やかでいられないのは困る。同棲しているし、牧人は愛しているといっているし、おそらく私は彼にとって一番ではあるのだろう。でも、二番以下はいらなかった。私は、唯一の存在でありたかった。

ひと言でいえば、浮気されるのは嫌だということだ。

 推理力を試していたのに、それはどうでもよくなってしまった。私は「もちろん憶えてましたよ」と誰も信じないいい訳をする牧人に、冷たい視線を送りつづけた。

 

 2


 二人で暮らすようになってから二ヵ月が過ぎたけれど、未だに私は牧人について、充分に理解しているとはいえないように思う。

見た目も中身もめちゃくちゃチャラいのだが、頭は抜群に切れる。女好きなのに私みたいな地味で、身体的魅力も乏しい女と同棲している。考えれば考えるほど、奇妙な男だ。彼なら、私に見せない裏の顔などいくらでもありそうだった。

私はふと、調べてみようか、と思った。仕事が殺人的に忙しいのだから、本来、私には余計なことに神経を割く暇などあるはずがないのだけれど、いったん根を下ろした疑惑は心を駆り立てて止まなかった。こうなると、私は俄然、活動的になる。エステ殺人事件の時に身に着いた探偵癖が、またもや胸の中でさかんに蠢いていた。

試しにカッツンと入道に牧人の現在の女関係について尋ねてみたところ、彼らは何も知らなかった。あまりしつこく訊くと、私と牧人の関係を疑われてしまうので、職場での情報収集はそもそも難しい。早々に、私は方針を変更した。とはいうものの、後に残されているのは、カッツンが教えてくれた茜という女のコだけだ。

茜が、今の牧人の情報を持っているはずはない。けれど、以前付き合っていたのなら、牧人について色々と私が把握していないことも知っているだろう。別れに至った経緯など、その辺の話が聞けるだけでも、かなり有益ではないかと思われた。

私は、こっそりカッツンに茜のことを訊いてみた。今から一年ほど前に牧人と付き合っていたという茜は、「いたずら子猫」というイメヘル店で働いているらしい。

ちなみに、イメヘルというのは、イメージヘルスの略だ。知らない人が聞けば、痴漢ごっこなどのイメージプレイを楽しむところだと勘違いするかもしれない。けれど、そうではない。イメヘルは、マンションをハコとして使うヘルスを指す。店舗以外にプレイルームを持つのはご法度なので、本来存在してはならない風俗店だ。だからマンヘルとは呼べず、イメージという曖昧な言葉でごまかしているのだろう。

「どうして、そんなことが気になるんだ」というカッツンに、「女の子はゴシップが好きですから」とごまかし、私はすぐさま「いたずら子猫」に茜の取材を依頼した。騙したことがバレたら大変だけれど、撮った写真は月刊誌の人にでも頼んで使ってもらえば、問題にはならないだろう。

 当日、私はダミーの店名をパソコンの予定表に入れておき、ヒラさんと「いたずら子猫」など多数のイメヘル店が入っているマンションに向かった。受付で部屋番号を教えてもらい、エレベーターで五階に上る。心臓が、普段より速い調子で脈打っているのがわかった。

ベルを鳴らすと、羨ましくなるほど肌を綺麗な小麦色に焼いた女のコが出て来た。

「Y出版です。よろしくお願いします」

 挨拶する私に、「どうもぉ」といって、茜は片手を挙げた。英語がプリントされたTシャツに、ホットパンツというカジュアルな格好がとても似合っている。牧人の元カノということで身構えていた私は、フレンドリーな雰囲気に肩すかしをくらった気分だった。

「お忙しいところ、すみません」

「えー、別に全然暇だよぉ」

 茜は屈託なく笑う。明るい性格みたいだけれど、悪くいえば軽そうなコだ。私と対極のタイプだった。もし、私と茜のどちらが牧人に相応しいか人に尋ねれば、誰もが彼女に軍配を上げるに違いない。……いやいや、私だって捨てたもんじゃないぞ。でも、私の取りえって、いったい何だろうな。

私たちは部屋に入れてもらい、撮影の準備をはじめた。用意が整うと、茜に服を脱いでもらう。ヌードグラビアだと嘘をついているので、下着姿で名鑑用の写真を撮った後、ブラも取ってもらった。本人いわく、Fカップという巨乳が重たげに揺れた。

見れば見るほど、素晴らしいボディラインだった。胸は大きいし、ウエストはちゃんと締まっている。敗北感が湧いてくるので、私は彼女からなるべく視線を外すようにした。なのに頭の中には、「わがままボディに視線釘付け!」などといった見出しが、次々と浮かんでくる。フェイクの撮影だというのに。すでに私は、骨の髄まで風俗編集者になってしまったようだ。

グラビア撮影だと信じているヒラさんは、プロとして確実に仕事をこなしていた。女のコを怒らせないようにどこまで可能かきちんと確かめつつ、できるだけエロい写真を撮ろうと試みている。パンツをずらさせて、お尻を撮影したりもしていた。そこまでしなくていいのに、と思ったけれど、もちろんそんなことはいえない。

撮影が終わると、私はまだ取材があるからといってヒラさんに帰ってもらった。そして、気合を入れてから茜の方に向き直る。すでに服を着終えた彼女は、ベッドに座っていた。

「なに?」

「あの……あなた、牧人と付き合ってたんでしょう?」

「ええ、そうよ」

 組んだ脚の膝に手を置き、茜はうなずく。

「あいつが浮気して、あなたが怒ったって訊いたんだけど、本当?」

「うん」

「それが原因で別れたの?」

「……なんだ、それが目的だったのか」

 突然、茜は背中を折って笑いはじめた。

「広告載せてないのにさぁ、撮影なんておかしいと思ったんだよね」

「あ、そうだったの?」

 すでにこの店は広告が落ちていたのか。しまった。そんなの、全然調べていなかった。

「なに? あいつと付き合ってんの、編集さん?」

「ええ」

「それで、あいつの女癖の悪さがどんなものか、知りたくなったのね?」

「まぁ、そんなとこ……ごめんなさい、でも写真は必ず使わせてもらうから」

 私が謝罪すると、茜はまた、ひとしきり笑った。それから、喋りはじめる。

「いいよ、教えてあげる。そう、別れたのはあいつの浮気が原因。浮気っていうのかなぁ。牧人の場合、文字通り桁が違うから、私のこともカノジョだなんて思ってなかったのかも」

 桁? それって、つまり二桁ってこと?

 いきなり強烈なパンチをくらい、私はふらつきそうになった。そういえば、カッツンの書いたミステリーもどきに「軽く調べただけでも、両手の指では足りなかった」という一文があったけれど……あれは事実に基づいていたってこと?。

「洗いざらい白状させたんだけどね。あいつ、モテるから調子に乗って、取材した女のコを片っ端から口説いて、ヤッてたみたい。それで、ホテル代に困るでしょう? だから女のコと使ったホテルの領収書を取っておいて、次に安いホテルで撮影を済ませて、領収書を取り替えて会社に提出してたみたいよ。そうやって、こつこつ差額を浮かしてたんだって。他にはホテルで撮影した後に、女のコを呼びつけたりね。この方法だと、ホテル代が丸々助かるわけ」

 そんな、さもしい手まで使っていたのか。なんて奴だ。聞いているうちに、私は力がどんどん抜けていくのを感じた。

「でもさ、一番いいのは、こういうイメヘル店なわけよ。ルームがあるから。だからあいつ、イメヘルのコをいっぱいセフレにして、取材中に抜け出してヤッてたの。私のところにも、しょっちゅう来てたよ。お客さんが来るっていってんのに、『四十秒で終わらせる』とかいって、実際に早撃ちして帰っていってた。お客さんとすれ違ったこともあったかな」

「……」

 無茶苦茶だ。想像を絶するすさまじさだ。チャラい奴だとは知っていたけれど、もはやそういうレベルではないだろう。これでは、ほとんど病気だ。

では、今でもあいつは多数の女のコと関係を持っているのではないだろうか。

 その疑惑を否定する根拠など、どこにもない。私は、背筋に悪寒を覚えた。

「びっくりした?」

 茜は私を楽しそうに見ている。ショックを与えて、喜びに浸っているのだろう。案外、意地の悪いコだ。だからといって何かいい返せるわけもなく、私は立ちつくしていた。

 と、茜は急に優しげな表情に変わった。

「あんたさ、はっきりいうけど、あいつは止めといた方がいいよ。ほら、セックス中毒ってあるじゃない? きっとあれなのよ」

「はあ……」

「別れる決心ついた?」

「考えてみます」

 すぐに結論など出るはずもない。しかし、茜の話を無視することもできなかった。異物が喉に詰まったように息が苦しい。

 私は覚束ない足取りで、その部屋を出ていった。


 3


 あんたのカレシはセックス中毒よ。そんなふうにいわれたら、いったいどうすればいいのだろうか。

知らない方が幸せだったのではないかと、私は考えるようになった。実際、茜から得た情報は、私を苦しめただけだ。思い余って牧人が風呂に入っている隙にケータイを盗み見てみたけれど、ロックがかかっていて無駄だった。そのことは、余計に妄想を膨らませる結果になった。

あいつは私に隠れて、女のコに手を出しまくっている。私を抱いた腕で他のコを愛撫し、私に愛を告げた唇で別のコに口づけをしている。

嫉妬の炎は強烈だった。こんな調子なら、別れた方がいいのではないかと思うまでになった。けれど現在、牧人が浮気をしているという証拠はない。なので、私は身動きが取れなかった。いっそ、疑惑を牧人にぶつけてみようかとも思う。でも、そんなことをしても牧人は否定するだけだろう。ほんの僅かな安心が手に入るだけだ。そんなものは数日で消えて、私はまた疑いの目を牧人に向けるに違いない。

もはや破局は避けられないのではないか。そんなふうに考えはじめた頃だった。牧人とは違う意味での女の敵が、職場で話しかけてきた。

「サトちゃん、第二弾、いけるで」

「は?」自席でポジのチェックをしていた私は、手を止めてカッツンを見つめた。

「何ですか、それ」

「ほら、ミステリーのつづきや」

 カッツンは長髪をかきあげながら、いう。なんでも、取材先の店でとびきりのネタを仕入れてきたそうだ。推理対決なんて正直いってすっかり忘れていたので、私は迷惑にしか感じなかった。

「『レインボーガール』の双子の風俗嬢は知ってるやろ?」

 カッツンに尋ねられ、私は仕方なくうなずいた。そんなこと、聞かれるまでもない。二ヵ月程前に業界デビューし、一大センセーションを巻き起こした一卵性双生児の二人だ。こんな例は空前絶後なので、新聞や月刊誌でも大きく取り上げた。話の種にしたいのか、客は双子との3Pコースで遊ぶケースが多いらしい。名前は確か、海ちゃんと空ちゃんだ。

「その双子がどうしたんですか? 殺されたんですか?」

「……サトちゃん、案外物騒なこというなあ」

 カッツンは、顔をしかめてみせた。「ミステリーって別に人が死なんでも、ええんやろ? 『日常の謎』とか、いうんやったっけ?」

 カッツンが『日常の謎』なんて言葉を知っているとは思わなかったので、私は驚いた。なんだかこいつがいうと、言葉自体が穢れそうで嫌だ。

「それで、何が謎なんですか?」

「そう、それや」

 嬉しそうにカッツンは手を打ち鳴らす。

「その双子、海ちゃんと空ちゃんやけどな。瓜二つであるにもかかわらず、人気は圧倒的に空ちゃんの方が上で、本指名数が海ちゃんの倍なんや」

「なんだ、そんな話ですか」興味を失った私は椅子を回転させて、彼に向けていた身体を戻した。「そんなの、空ちゃんが本番やらせてるに決まってるじゃないですか」

 本指名(一度遊んだ客が、その女のコを指名すること)を増やすためとか、あるいはただ単にフェラやサービスをするのが面倒、などの理由で客と本番をするヘルス嬢は多い。そういう反則をしていれば、ある程度人気が出るのは当然で、謎でも何でもなかった。

「ぶーっ、残念でした」

「やってないんですか?」

「いや、二人とも客と本番やっとる」

 そっちか。私はかくんと身体を傾かせた。

 しかし……そうなると、理由がわからない。

「何か、二人に違いがあるんでしょうね。カッツンは答えを知ってるんですか?」

「うん。店員が不思議がっとったからな。自腹で実際に二人と遊んでみた」

「あ、そうですか」

 それ以外に、返事のしようがない。

「あれやったら、そら空ちゃんの方にいくやろな」

「ふうん。でも無理ですよ、プレイしないとわからないんだったら」

「いや、取材するだけでも謎解きはできると思うで」

 本当だろうか。私は首をひねった。

「なるほどね、それが二問目ってことですか?」

「どや、やるか?」

「いいですよ、やりましょう」

 カッツンと関わりは持ちたくないけれど、謎解きの挑戦なら受けて立つしかない。それに丁度、牧人の件で暗くなっていたところだ。気分転換には良さそうだった。たとえそれが、問題から一時的に目を背ける行為でしかないとしても。

「ほな、せっかくやから、何か賭けよか」

「どうするんです?」

「もし自力で解けたら、五千円やるわ。その代わり解けんかったら、新製品のアナルパールの体験レポート、書いてもらうで」

 二センチほど、私の顎が下に落ちた。それは……圧倒的に私の条件の方が悪くないか? ただ金を出す方がよっぽど楽でしょうに。相変わらず、下種な発想をする男だ。

「どや?」

「……わかりました。それでいいです」

 私は気持ちを立て直し、にやりと笑って、不利な提案を受け入れた。なに、万が一解けなくて負けたら、レポートはでっちあげればいい。悩むほどのことではなかった。


 4


とりあえず、双子に会って推理の材料を得なければ、どうしようもない。『レインボーガール』はキタにあるホテルヘルスなので、担当者であるカッツンが双子の取材の約束を取りつけ、その日私が店に向かった。

 すでに潰れたヘルス店の薄汚れた電飾看板の下をくぐり抜け、私とヒラさんは狭い階段を上った。二階が受付で、店員に案内されて四階へ行くと、そこは待機室だった。ソファが三列に並べられ、あちこちに女のコが座っている。私は、奥の方に同じ顔を並べている二人を見つけた。

「こんにちは、今日はよろしくお願いします」

 店員に紹介された私は彼女らの前に立ち、頭を下げた。二人の顔を見るのは、これが初めてだ。メイクの仕方まで同じなので、私には全然見分けがつかなかった。単純に、すごいな、と感心する。海ちゃんは笑顔で「こんちは」といい、空ちゃんは静かに会釈した。

一応、今回は双子3Pコースの割引を記事にするということになっている。それはカッツンが枠を確保してくれているから、嘘ではなかった。私は店員に聞いて割引内容を確認してから、待機室の隅に布を張った。

ヒラさんが機材を組み立て終わると、撮影がはじまる。二人は目鼻がNGだ。下着だけになった海ちゃんと空ちゃんに、手で顔を隠してもらいながら、ヒラさんはシャッターを切っていく。私は、互いの腰に腕を回すなど色々なポーズをとる二人を、黙って眺めた。

撮影が終わり、海ちゃんと空ちゃんが服を着ると、私は手がかりを得るためにインタビューを装った質問をはじめた。ここからが、本番だ。

「あなたたちは、どうして風俗の世界に入ってきたの?」

 元のソファに戻った二人に、私は尋ねた。

「この業界に興味があったからでーす」

 すかさず、海ちゃんが答える。

「ええと、そういうんじゃなくて本音を聞かせてほしいの。まずいことは書かないから」

「え?」

 そうなの、と海ちゃんは不思議そうな表情になった。

「本音かあ、それ語り出したら長なるで?」

海ちゃんはおどけた口調でいう。私は笑いながら「そこを短くお願いします」と応じた。

「簡単にいうとな、ウチの親がめっちゃ厳しいねん。だから家を出たいんや。その引っ越しの費用を稼ぐためです」

 海ちゃんは、「な?」と空ちゃんに同意を求める。空ちゃんは微かに顎を引いた。

「そうなの。でも厳しいんだったら、風俗で働いてるのがバレると、まずいんじゃない? 双子って、ものすごーく珍しいんだから」

「うん、でもたぶん大丈夫やと思う。お父さんは風俗なんて、全然興味ないから。あんな真面目な顔して、隠れてソープ通いでもしとったら引っくり返るけどな」

 海ちゃんがそういうと、空ちゃんは短い笑い声を洩らした。

「まぁ、バレてもええよ。もうだいぶお金貯まったから、そろそろ辞めるつもりやし」

「ああ、そうなんだ」

 この業界から足を洗うのはいいことだと思う一方で、編集者としては惜しいと感じる。この仕事をしてしまったがゆえの、奇妙な心の働きだった。

「でも、お願いだから割引が終わるまでは辞めないでね。何のために記事にしたか、わからなくなるから」

 海ちゃんは大笑いし、わかったといった。

「で、この仕事してみて、どうだった?」

「本音でええの?」

「うん」

「そら嫌やわ。もう二度とやりたくない」

 海ちゃんは唇を曲げ、空ちゃんは同意をしめすために激しく首を縦に振った。

「何が一番嫌?」

「ううん、フェラとかは別にええんやけど……」

「つまり、本番ってこと?」

 二人は同時にうなずく。私は納得した。そりゃあ、ただ客だというだけでセックスしなければならないなんて、私だって肌が粟立つぐらい嫌だ。

「でも本番した方が本指つくし、その方が手っ取り早く稼げるって店長にいわれたから」

「そうね。短い期間で稼ぐなら、そういう選択もあるかもね。でも、生は駄目よ」

「うん、わかってる。病気は怖いもんな」

 海ちゃんの言葉に、「だよね」と、やっと空ちゃんが喋ってくれた。

 その後、さらに質問を重ねたが、決め手になる情報はなかった。帰る準備をしながら、私は首をひねった。話をするのはすべて海ちゃんで、空ちゃんはほとんど喋らない。二人の違いが人気の差になっているのは間違いないのだが、海ちゃんは明るくてトーク力もあるから、むしろ彼女の方が人気が出そうだった。なのに、無口な空ちゃんに客が集まるという。どうしてなのだろう。おとなしい女のコを好む客が多いということだろうか。

 いや、そんな理由では、本指名数がダブルスコアになることはないだろう。空ちゃんに熱烈なファンがいて、毎日のように通っているとか? いやいや、カッツンが、「店員が不思議がっていた」といっていたのだから、それも違うはずだ。同じ理由で、海ちゃんが客に対してNGを出しまくっているということもあり得ない。

 結局、手応えが得られないまま、私は店を出るはめになった。

 

 5


 帰社してから、カッツンに双子の印象を伝えると、彼は「そうそう、それがミソなんや」と、あからさまに上から目線を感じさせる態度でいった。

 二人の性格の違い。それが、重要な手がかりだという。しかし、どういう方程式に当てはめれば答えを導き出せるのか。まだ私は茫漠とした霧の中だった。

 カッツンは二人のプロフィールにヒントがあると教えてくれた。それで、私は仕事を終え、同僚のほとんどを見送ってから、双子のデータ紙を打ち出して机に並べた。

 一卵性双生児だから当然年齢も星座も血液型も同じ、十八歳のおとめ座でB型だった。よく見たら、身長とスリーサイズもぴったり一緒の数字だ。まぁ、これは嘘かもしれない。双子なら、まったく同じ方が面白いと考えるだろうから。それから、二人とも前職は「学生」だし、業界入りした理由は判で押したように「興味があったから」で、好きな体位も「なし」で同じだった。得意技はどちらも「愛情フェラ」だ。これはいい換えれば、特にないということだろう。つまりテクニックに天地の差がある、という理由では決してない。

同じ記述がつづく中で、趣味だけは違って海ちゃんがスノボで、空ちゃんが読書だった。この辺には、二人の性格の差があらわれている。うーん、何だろ。もしかしたら、空ちゃんのサービスが至れり尽くせりで、途轍もなく素晴らしいのだろうか。でも、プロフィールにヒントがあるというのなら、それは違うだろう。

「苦労しとるみたいやな」

 とっかかりが見つからず悩んでいると、いつの間にか、カッツンが背後に立っていた。

「どや、わかりそうか?」

「いえ、まだですけど」

 余裕綽々のカッツンの顔に怒りを覚え、私の返事はつい無愛想になった。別にこいつが謎を考え出したわけでもないのに、なぜこんなに偉そうにしているのだろうか。

「そうかぁ、ミステリーが好きいうても、やっぱ素人やもんなぁ。しゃあないわなぁ」

 ここぞとばかりに、カッツンはからんでくる。私はぎりっと歯を噛みしめた。何か私に恨みでもあるのか。普通、それは逆だろう。恨みが骨髄に徹しているのは、こちらの方だ。

「良かったら、もっとヒントやろか?」

「いえ、結構です」

 顎を上げて、私は横を向く。

「おー立派立派。でも、ダラダラつづけててもアレやし、期限決めよか」

「どうするんです?」

「今日から五日以内でどや?」

「……ええ、いいですよ」

 不安だったけれど、私は虚勢を張って応じた。弱みを見せてこれ以上、カッツンを喜ばせたくはない。こいつが小躍りでもしようものなら、後ろから頭をかち割ってしまいそうだ。私は、自分を抑えられる自信がなかった。

「楽しみやなぁ、アカンかったら、アナルパールやからな?」

「わかってますよ」

「嘘書かれたら困るから、証人の前でやってや?」

「はあっ?」

 待て待て。そんなの、聞いてないぞ。私は思わず椅子の上で飛び跳ねた。

「だ、誰の前でやれっていうんですか?」

「女の子やったら、ええやろ? 求人誌班の子に頼んでもええし」

 私は、身じろぎも出来なくなった。まさか。同僚の前で大人の玩具を使えというのか。そんな馬鹿な。

 頑張ってや、といい残し、カッツンは悠々と去っていく。いつの間にか巧みに追いつめられていたことを悟り、私は寒気を覚えた。

 どうしよう。こうなったら、牧人に相談しようか。彼に客として双子とプレイしてもらえば、簡単に答えはわかるはず……。

 いや、と私は首を振った。牧人には絶対に頼りたくない。茜にあんな話を聞かされて以来、私の態度がギクシャクしてしまい、会話が減っているところだ。そんな時に、彼に風俗嬢と遊んでもらう? 浮気を疑っているのに? 冗談ではなかった。

 なんとかして、自力で解かなくては。私は焦って、二枚並べた目の前の紙を見つめた。


 6


明日が期限の五日目という晩、私はアパートで本来の用途には使われていない壊れた炬燵の前に座り、まだデータ紙を睨みつけていた。

 ひとつ気になるのは、カッツンの台詞だった。彼は「あれやったら、そら空ちゃんの方に行くやろな」といっていた。これは、海ちゃんの方に問題があることを示唆しているのだろう。しかし、それは何だ。接客態度が悪いのか。取材で観察した限りでは、若者らしいけれど、礼儀を知らないということはなかった。短期間でお金を貯めるために頑張っているから、彼女だって色々と気をつけているだろう。だから、違うと思うのだけれど。でももし、そんなくだらない答えだったら、私は断固として勝負の無効を訴えてやる。

 双子であるなら、当然思いつく入れ替わりの可能性も考えてみた。しかし、たとえば空ちゃんが海ちゃんのふりをして接客したとして、それに何の意味があるというのか。それより、おとなしい空ちゃんをかばって海ちゃんが一人で頑張っているなんて話の方がありそうだ。けれど、それはないだろう。「二度とやりたくない」という海ちゃんに、空ちゃんは激しく同意していたから、彼女も頑張って風俗嬢をやっているに違いない。

 くそ、本当にこれだけの手がかりで正解に辿り着けるのか。カッツンはいい加減なことをいっているのではないか。それでも適当に難癖をつけたら、私にレポートを書かせられると踏んでいるのではないだろうか。

 あいつならありそうだ、と腹を立て、もういっそネットの掲示板を見て、双子の書き込みを探してやろうかと考えていると、テレビのバラエティ番組を観て笑っていた牧人が、ふいに振り返った。

「まだ悩んでいるの?」

 牧人の目は、笑みを含んでいた。「なんなら答え、教えてあげようか?」

「え?」

 私は、全身を凝固させて彼を見つめた。この件に関しては、牧人には何も説明していない。それなのに、なぜ知っているのだろうか。

「……カッツンから聞いたの?」

「うん、双子の本指名数に差があるって話でしょ? 二人については、カッツンに教えてもらったし、あとはそのプロフィールを見ればわかったよ」

 硬直から解けた私は深い落胆を味わった。まさか、牧人にはもう答えがわかっているなんて……どう逆立ちしたって、この人には勝てないのかと思った。

「つまりね」

「いやっ、いわないで!」

 自分でも驚くほど大きな声が出て、慌てて口を閉じた。もう牧人に頼りたくないという思いが、咄嗟に溢れ出してしまったのだ。追いつめられて、私はかなり余裕をなくしているみたいだ。

「あ、ごめん」

「ううん、いいよ」

 と、牧人は静かに立ち上がり、近づいてきた。そして、私の髪にそっと手を添える。電流に触れたように、身体に震えが走った。

仰ぎ見ると、彼は穏やかな目で私を見下ろしていた。

「自力で解きたいんだよね。サトちゃんらしいよ」

「……」

 私は、うつむいて視線を落とした。たったこれだけのことなのに、胸がぐっと押さえつけられ、涙腺が刺激される。ずっと一人で意地を張っていたので、優しくされることに脆くなっているのだろう。私は指先で、さっと目の横を拭った。

「じゃあヒントをひとつだけ。違いに注目するのも重要だけど、同じ点について見るのも大事だよ?」

 大きく包みこんでくれるような声だった。私に思考の方向性をしめしてから、牧人は元の場所に戻り、またテレビに目を向けた。

 同じ点? どういうこと? 年齢とか星座が同じなのは、双子なんだから当たり前だし。

 私はもう一度、二人のプロフィールを見つめ、一つひとつの項目をチェックした。そして、途中で違和感に気づき、はっとする。急いでノートパソコンを引き寄せ、あるキーワードで検索してみた。

 そして私は、答えを見つけた。

 

 7


 翌日、私は昼礼がはじまる前に、パーティションで区切られたブースでカッツンと向かい合った。私たちの間には、海ちゃんと空ちゃんのデータ紙が置かれている。

「ホンマに、わかったん?」

 カッツンは半信半疑という顔つきだった。そんな彼に、私はとびきりの笑みで応じた。

「ええ、もちろん」

「ほな、聞かせてや」

 カッツンもまた、余裕を見せて笑った。たぶん「どうせ間違えているに違いない」と高を括っているのだろう。

「注目すべきは、ここです」

 私は両手を使って、二人のプロフィール用紙の好きな体位の欄を指さした。

「好きな体位は二人とも、『なし』と答えています。でも、変なんです。私が取材した時、本音で喋ってほしいというと、海ちゃんは戸惑っていました。私たちのインタビューには、客受けがいいような答え方をすべきだと、ちゃんとわかってるんです。それならば、『好きな体位はバックです❤』とか、答えそうなものでしょう? にもかかわらず『なし』と答えるってことは、そういいたくなる理由があるってことです。そこだけは、嘘をつきたくなかったんですよ」

 ふむふむ、とカッツンは大人しく聞いている。

「『この仕事はどう?』という質問に、二人は本番が嫌だ、といっていました。私はそれを、好きでもない客とセックスするのが嫌だ、という意味に捉えました。でも、先に述べた疑問と併せて考えると、おのずと違う答えが導き出されます。つまり、二人ともセックスそのものが嫌なんです」

「それで?」

「双子が二人とも、セックスが嫌い。となると、その原因を身体的な問題に求めたくなるのが普通でしょう? たとえば……女性の中には、たまに膣が短い人がいます。こういう人は性交の時、ペニスが奥に当たって痛いそうです。本来気持ちがいいはずのセックスで痛みを覚えたら……何の意味もないですよね? セックスが嫌いになるでしょう?」

 カッツンは沈黙している。

「もし、二人の膣が短かったら、痛みがあるのだったら、海ちゃんの場合、性格的に素直に『痛い』といいそうです。セックスの相手が『痛い、痛い』ばかりいっていたら、男は萎えますよね? 可哀想に思って、本番がしたければ次は別のコを選ぶはずです。逆に、おとなしい空ちゃんは何もいわず、我慢するでしょう。となれば……結果は自明です」

 用意していた言葉をすべて整然と並べ終えてから、私はカッツンの反応を待った。

 茶々を入れることもなく耳を傾けていた彼は、やがて両手を上げ、拍手をはじめた。

「すごい。近いところまでいったら許したろ思てたけど、完璧やわ。その通りや」

 正解だったか。牧人と答え合わせをすることもなく、今日に臨んだから正直、不安だった。私は、深い安堵の思いに包まれた。

 細く息を吐き出していると、カッツンは意地悪い笑みに変わった。

「もしかして、マッキーから何か聞いたんか?」

「ヒントだけ貰いました。『違いに注目するのも重要だけど、同じ点について見るのも大事だ』って。それで、やっと体位の欄の答えが奇妙なことに気づいたんです」

「ふうむ。それだけやったら、反則とはいえへんな。でも膣の話とか、よう知っとったな」

「『性の悩み』で、検索してみたんです。そうしたら、運よく見つけました」

「ちぇ、そういうことか」

 カッツンが悔しそうな声を出すので、私は笑いを堪えるのに苦労した。

彼は財布を取り出し、隅が折れた五千円札を差し出して来る。私は遠慮なく受け取った。

「ありがとうございます」

「やれやれ、とんだ出費やわ。やっぱり、ミステリーは嫌いや」

 その台詞に、私は肩をすくめる。

「あ、そうだ。双子ちゃんの記事、よろしくお願いしますね。こんなお遊びのために取材させてもらったから、申し訳ないんですよ」

 私は椅子から腰を上げながら、いった。しかし、カッツンの表情は微妙だった。

「それなんやけどなあ」

 彼は唇をへの字に曲げている。

「どうしたんですか?」

「昨日連絡があって、あの双子、辞めてもうたそうや。だから、記事はキャンセルやねん」

私は、驚いて目を見開いた。

 辞めた? 割引が終わるまで待つって、約束してたのに……でも……。

「そっか。もうつづけられないぐらい、嫌になったのね。だったら、辞めて良かった」

 笑みが自然と零れ出る。なんだか、とても晴れやかな気分だった。編集者としての私は、この時たぶん、まだ眠っていたのだろう。


 8

 

 カッツンから得た五千円は、有意義な形で使わせてもらった。ビールを大量に買い、アパートで牧人と酒盛りをしたのだ。彼はお酒が大好きなので、とても喜んでいた。

 心地よい酔いは、再び勝利の余韻に浸らせてくれた。エステでの殺人事件の時は、牧人に完全に敗北したし、今回も重要なヒントを貰ったけれど、それでも最終的には独力で謎を解いた。それが、なによりも私は嬉しかった。

「でもさ、普通『日常の謎』っていったら、人情の機微を描いて、ほっこりさせるとかさ、人の心の闇を切り取ってみせて、読者をはっとさせるとかさ、そういう話だと思うのよ。でも双子の風俗嬢って……どうなの?」

「えー、別にいいんじゃない」

 牧人は笑ってから、ビール缶を呷った。

「そうかな。でも次はセックスとか、下ネタがらみじゃない謎が解きたい」

「謎解きじゃなくて、仕事をしなさい」

牧人は拳を振り上げた。私は大仰な声を上げて、身体を縮める。酔っぱらったバカップルのじゃれあいだ。人様にはとても見せられるものではなかった。

「にしても、ここまでサトちゃんがミステリー好きだとは思わなかったな」

 そういって、牧人は柿の種を口に放りこみ、がりがりと噛み砕いた。

私は笑みを消して、真顔になった。牧人は言外に、私が変わっているといいたいのだろうか。まぁ、その点に関しては否定できない。いくらミステリーが好きでも、女の子で私ほどこだわる人はそういないだろう。

何と返すべきか思考をまとめてから、私は口を開いた。

「簡単に謎が解けちゃう人にはわからないだろうけどね。名探偵っていうのは、私にとってヒーローなの」

「……」

「でね、普通、女の子の場合、ヒーローに憧れて、ヒーローに助けられるヒロインになりたくなるんだろうけど、私は少し違うの。なるんだったら、ヒーローになりたいの。ワトスンじゃなくて、ホームズになりたいのよ」

 酔っているせいか、普段なら恥ずかしくて絶対にいえない気持ちを、私は堂々と口に出していた。それは小学生の頃、学校の図書室でホームズに出会った時から、ずっと変わらない。なんというか、白馬の王子様を欲しないわけではないけれど、一方で、颯爽とした王子様になりたいと願っているみたいな。そんなふうに、私は分裂しているのだった。

 黙って聞いていた牧人は、やがてふっと息を吐いた。

「ああ、なるほどね。サトちゃんだったら、そう考えるだろうね」

 どういう意味かなと思っていたら、牧人は目を細めて微笑んだ。

「サトちゃんの第一印象ってさ、どんなだったかわかる?」

「え? うーん、たぶん最悪だったんじゃない?」

「そうだね、つんけんしてたしね」

あっさり肯定されて、私は目を見張る。

「でも、仕事をはじめたら、カッツンに簡単に騙されたりするような抜けたところがあるし、その一方で編集になる夢を叶えるために一生懸命だし、なんか柔らかい中に、ものすごく芯の固い、強い意志を持っている子なんだよ、サトちゃんって。そういうところが、他の女の子と違うんだよな」

「……」

「だから俺、サトちゃんが好きなんだ」

 真面目な表情で「好きだ」といわれ、私はびっくりした。「愛している」という言葉は何度も聞かされたけれど、いつも半分冗談みたいな感じだった。でも、こんなふうに理由を告げられたら、さすがに本気であることがわかる。

「もう、やめてよ」

 顔が熱くなり、私はついおばちゃんみたいな声でいってしまった。照れ隠しに、眼鏡の位置を直したりする。

「そう? 私は特別?」

「うん」

「じゃあ、牧人は浮気とか、してない?」

 この話題を出すなら今だと思ったので、私は尋ねた。酔いも手伝ったのか、躊躇うこともなく、言葉はスムーズに口から出て来た。

少し驚いた様子の牧人は、苦笑を洩らしてから、いう。

「してないよ。以前はセフレとか、いたんだけどさ、こんな生活してちゃ駄目だと反省して、もう誰とも連絡取ってないんだ」

「……そうなの」

 私はいったんうつむき、それからゆっくりと笑みを広げた。今なら、牧人を素直に信じられそうだ。私は、茜に会って以来の鬱屈が、きれいに消えていくのを感じた。

「そうだ」私はぱちっと両手を合わせた。「ヒントくれたお礼にさ、何かしてほしいこといってよ。要望にはできる限り応えるから」

「えー、そんな。悪いよ」

「いいから、何でもいって」

 私は、声に媚びを滲ませていった。今日はとても気分がいい。普段はあまりやらないフェラでも、今晩はやってあげてもいいと思った。

牧人は、天井を見上げて考えこんでいる。やがて思いついたのか、立ち上がった。

「だったらさ」彼は部屋の隅に置いてあった鞄を取って来て、中を探りはじめた。

 取り出したのは……小さめの箱だった。表には、脚を広げた女性のあられもない姿が印刷されている。

「これ、媚薬なんだよ。一度試して、体験レポートを書いてくれないかな。新製品なんだけど、大事なクライアントだから大きく取り扱いたいんだよね」

 それから、牧人は長々と薬の効能を語った。それは、とてもとても素晴らしい媚薬で、使えば女性はイチコロだそうだ。なんでそんなに詳しいのよ。お前は営業マンか。

私は、開いた口が塞がらなかった。

 なんだ。結局、レポート書くはめになるのか。

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