暴言訪問者
ピンポーン。
薄暗いリビングに、乾いたチャイム音が鳴り響いた。
「チッ、誰だこんな時間に」
床に直置きしたテレビと向かい合い、床に直接あぐらをかいてカップラーメンをすすっていた男が、舌打ちしながら面倒くさそうに立ち上がった。
流し台にカップを置き、キッチンのすぐ横にあるドアを開ける。
姿を現したのは、灰色の作業服を着た男。
キャップの下の顔は無表情で、棒立ちのままジッと男を見据えている。
「なんだオマエ? 配達……じゃねーな」
謎の訪問者の両手は何も持っておらず、体の両脇にだらりと下がっているだけ。
「イタズラか? いい加減にしろよ──」
男が言いかけたその時。
「なに考えてんだオマエ!! 遊びでやってんじゃねーんだぞ!! やる気がねーなら辞めちまえ!! すぐ辞めろ!! 死ね!!」
訪問者が無表情のまま、いきなり男に向かって暴言を吐いた。
あまりの出来事に男は呆気にとられ、しばらく体の動きと思考が停止した。
その間も容赦なく、訪問者は男に罵声を浴びせ続ける。
「言いたいことがあるなら何か言え! 言い返す事も出来ないのかこのクズが! 消えろ! 今すぐ消えろ! 一生消えとけ!」
そう言うと、作業服を着た訪問者は無表情のまま体を90度回転させ、アパートの廊下をゆっくり歩き出した。
「……お、おい! ちょっとまてコラッ!」
思い出したように声をかける男。
しかし、謎の訪問者の姿はあっという間に消えてしまった。
男は追いかけようか悩んだ挙げ句、ラーメンが食べかけだった事もあってギリギリ思いとどまった。
バタンッ!!
男は、これ見よがしに勢いよくドアを閉め、ラーメンを持って「クソがっ!」と怒りを吐き捨てると、部屋の隅に置いてあったダンボールを思いきり蹴った。
──翌日。
男は仕事から帰って来ると水の入ったヤカンを火にかけ、スーツを脱いでシャワーを浴び、タオルで髪を乾かしながらカップラーメンに湯を注ぎ、テレビを付ける。
それは、毎晩繰り返されるルーティーン。
もうすぐ不惑を迎えるにしては、少々みすぼらしくもあるが、彼が勤めているのは誰もが知る大手企業。
相応の給料を貰ってはいるものの、ギャンブルが元で作った借金と、別れた妻子への慰謝料・養育費が重くのしかかっていた。
いや、それでも普通に外食できるぐらいの余裕はあるはずなのだが、それを共にする同僚や友人が居ないという根本的な原因が……。
ピンポーン。
またもや、昨日とほぼ同じようなタイミングでチャイムが鳴った。
「なんだこんな時間に……って、まさか!?」
男は湯を注いだばかりのカップラーメンを流し台に置いたまま、キッチン横の玄関ドアを開けた。
するとそこに居たのは、案の定昨日と同じ作業服の男だった。
「オマエ、昨日はよくも──」
「オレの財布取ったのオマエか! この泥棒が! 恥を知れ! 死ね! 死んで詫びろ!」
相変わらず無表情で吐き出し続ける訪問者の暴言が、男の言葉を遮った。
「オ、オマエ、だから一体なんなんだ──」
「オマエんちの工場なんか、オレがオヤジに頼めばすぐ潰せるんだからな! 忘れるんじゃねーぞこのクソ罪人が!!」
そう言うと、作業服を着た訪問者は無表情のまま体を90度回転させ、アパートの廊下をゆっくり歩き出した。
「……お、おい! ちょっとまてコラッ!」
男が呼び止めようとするが、昨日と同じように作業服の背中はあっという間にどこかえ消えてしまった。
男は怒りに体を震わせつつ、喉に刺さった魚の骨のように訪問者の言葉が脳裏に張り付き、さらにそれがどんどん膨らんで行くような感覚に陥っていた。
財布……?
泥棒……??
工場……???
そのどれもが全くもってピンと来ない。
財布を盗んだ覚えも無いし、いま携わっている仕事に工場が登場する場面など無い。
なのになぜ、アイツはオレにそんな事を言うのか……キツネにつままれたような顔を横に振りながら、男はドアを閉めて流し台に置きっぱなしのカップラーメンを持ってリビングへと移動した。
全く興味の無いスポーツ中継を観ながら麺をすする。
「……クソッ! 伸びきってるじゃねーか!! アイツのせいだクソッ! もしまた来やがったら殺してや……いや、警察だ。あんなヤツのせいでオレがムショに入ってどうする。すぐに警察呼んで人生終わらせてやる!」
男は薄暗いリビングで独り息巻きながら、歯ごたえの全く無い伸びた麺をズルズルと口の中へと流し込んだ。
──翌日。
男は仕事から帰って来ると水の入ったヤカンを火にかけ、スーツを脱いでシャワーを浴び、タオルで髪を乾かしながらカップラーメン──もといカップ焼きそばに湯を注ぎ、テレビを付けた。
そして、3分経つのを待つ間、携帯を手にとって警察に電話をかける。
「……そうそう、全然知らない男が家に突然やってきて暴言吐かれてんの。いや、全く知らないヤツだって言ってるだろ! とにかく『死ね』とか言われてんだから早く誰か寄越してくれ!」
そう言って、乱暴に通話を切った。
アイツはやたら逃げ足が速い。
だから、今のうちに警察を呼んでおくという算段だった。
まあ、もしいつもと同じ時間に来なかったとしても、警察が来たら「入れ違いで逃げられた」とでも言っておけば良いだろう……男はそんなことを考えながら時計を見ると、ちょうど3分経過したところだった……と、その時。
ピンポーン。
「……来た来た! バッチリじゃねーか」
男は湯を捨てるのも忘れてそのままのカップ焼きそばを流し台に置き、喜び勇んで玄関のドアを開けた。
そこに居たのはもちろん、作業服を着た男。
「やっぱりオマエか。よし。今日は一体どんな──」
「本当にオマエは使えねーな! 簡単な仕事ひとつ出来ねーじゃねーか! 出来た試しがねーじゃねーか! ゴミだよゴミ! ゴミと一緒! しかも燃えないゴミだ! リサイクルもできないゴミの中のゴミ! いや、埋め立てることすら出来ねーんだからゴミ以下か。ほら、そこにゴミ箱あるだろ。オマエの家だろ。そん中入っとけ! ほら、どうした! 早く入れ早く!!」
棒立ちのまま、無表情のまま、訪問者は男に向かって暴言をまくし立てた。
「なんだと!? オマエ、オレのこと何も知らねークセに──」
と言いながら、男は拳を強く握りしめた。
他はともかく、こと仕事に関しては全身全霊を注いできたと自負しており、思わず手が出そうになった……が、何とか思いとどまる。
なぜなら、もうすぐ──。
ピーポー、ピーポー。
……よしっ!
男は心の中でガッツポーズしながら、
「ヘッヘッヘ。残念だったな。まさか、そう来るとは思わなかっただろ?」
と、ドヤ顔で言い放った。
しかし、それでも作業服を着た謎の男の表情が変わる気配は全く無い。
それどころか、さらに暴言を続けた。
「誰の金で生活できてると思ってるんだコラッ!? こっちは死ぬ気で働いてるんだぞ! 食わせて貰ってる分際で文句言うんじゃねえ! オマエは黙ってミズキを育ててりゃ良いんだよ!!」
「……えっ? ミズキって──」
男が聞きなじみのあり過ぎる名前に戸惑いかけたタイミングで、パトカーがアパートの前に到着。
ひとりの若い警察官が廊下を走って玄関前までやってきた。
「大丈夫ですか? って、どちらがどちらを……」
警察官は男と訪問者の顔を交互に何度も見比べた。
通報内容からすれば、被害者はアパート住人のはずなのだが、男の顔は見るからにいかつく凶暴そうで、反対に訪問者である作業服の男はとても暴言を吐きそうにないほど至って普通の面持ちだったからである。
「な、なに言ってんだ警察。早くそいつを捕まえてくれ! 毎日突然やってきて暴言を吐かれて迷惑してんだ」
男は何とか声を振り絞ったが、内心はとんでもなく動揺していた。
ミズキというのは男の娘の名前であり、その暴言には聞き覚え、いや“言い覚え”が……。
「ああ、そういうことか」
警官は、暴言を吐く訪問者の方を向きながら小さく頷いてみせた。
「ど、どういうことだ……」
男は、顔中から溢れ出る汗をTシャツの袖で拭いながら、弱々しく警察官に向かって言い寄る。
「これが見えないんですか?」
警察官が指差したのは、訪問者の胸元。
作業服の胸ポケットの辺り。
「なんだって……??」
男の視線がそこに向けられる。
すると、今まで全く目に入って無かったIDカードが、胸ポケットにピンで留められているのに気付いた。
そこに書かれていたのは……。
「暴言返品人?? なんだそれ……」
「知らないんですか? つい最近始まったサービスですよ。人生の中で激しい暴言を吐かれた人を救済する目的で始まったもので、民間企業が運用しているのですが国から補助金が出るなど大々的に行われていて、テレビやネットでも話題になってますよ」
男が“暴言返品先”であることが分かり、若い警察官は少しニヤニヤしながら説明した。
「し、知るかよ! どっちにしても『死ね』とか言っちゃダメだろ? 殺人未遂じゃねーのか?」
「ははっ、そんなのなるわけ無いじゃないですか。暴言返品サービスを利用するには厳しい審査が必要なんです。暴言を吐かれた場所に同席していた方から証言を聞くなど、確実に暴言が吐かれたことを立証した上で実行に移されるんです。ここで僕が連行なんかした日には、逆に僕が罪に問われてしまいますよ」
警察官は笑いながら「お疲れさまでーす」と訪問者──いや、暴言返品人に声をかけ、そそくさと廊下を逆戻り。
パトカーは静かにアパート前から走り去ってしまった。
その後を追うように、暴言返品人も廊下の向こうへと消えてしまった。
「暴言返品人……」
そう呟きながら、男は呆然とした表情でゆっくり玄関のドアを閉めた。
お湯を入れたままのカップ焼きそばをスルーし、真っ直ぐリビングへと向かう。
「ミズキ……財布……泥棒……工場……遊びでやってんじゃねーんだ……辞めちまえ……」
暴言返品人から投げつけられた言葉を呪文のように呟く。
すると、その言葉の数々が急速に温度を持ち始め、色が付き、匂いが漂い、そしてハッキリとした思い出が脳裏に蘇ってきた。
「なに考えてんだオマエ!! 遊びでやってんじゃねーんだぞ!! やる気がねーなら辞めちまえ!! すぐ辞めろ!! 死ね!!」
それは中2の夏。学校の廊下。
突然、部活に来なくなった後輩に向かって男が吐き捨てた暴言。
「オレの財布取ったのオマエか! この泥棒が! 恥を知れ! 死ね! 死んで詫びろ! オマエんちの工場なんか、オレがオヤジに頼めばすぐ潰せるんだからな! 忘れるんじゃねーぞこのクソ罪人が!!」
それは高1の冬。学校の教室。
単に落としたソレを拾ってくれていただけとは知らず、自分の財布を手に持った同級生に向かって男が投げつけた暴言。
「本当にオマエは使えねーな! 簡単な仕事ひとつ出来ねーじゃねーか! 出来た試しがねーじゃねーか! ゴミだよゴミ! ゴミと一緒! しかも燃えないゴミだ! リサイクルもできないゴミの中のゴミ! いや、埋め立てることすら出来ねーんだからゴミ以下か。ほら、そこにゴミ箱あるだろ。オマエの家だろ。そん中入っとけ! ほら、どうした! 早く入れ早く!!」
それは数年前。会社の資料室。
持って来いと頼んだ本を見つけ出せずにモタモタしている部下に言い放った暴言。
そして、数ヶ月前。家族3人で暮らしていた一軒家でのこと。
「誰の金で生活できてると思ってるんだコラッ!? こっちは死ぬ気で働いてるんだぞ! 食わせて貰ってる分際で文句言うんじゃねえ! オマエは黙ってミズキを育ててりゃ良いんだよ!!」
娘のミズキが寂しがっているからもう少し一緒に遊んであげたりして欲しい、と言う妻に言った暴言。
……そのどれもこれも、口の悪い男にとっては単なる日常の1ページ過ぎないものだった。
しかし、ここ数日に渡って実際に暴言を吐かれた今となっては、そのどれもこれもが鋭い刃のように男の胸に突き刺さり、えぐられるような痛みを感じていた。
「暴言返品……全く知らなかったなそんなもの……」
男は呟きながら、携帯を手に取って調べ始めた。
それもそのはず。
強面で気の強い性格の男に対して暴言を吐く者などほとんど居なかった。
暴言を吐いてる自覚も無く、そんなサービスが始まったことを聞きかじったとしても、全く興味を示すことが無く右から左へ受け流していたのだ。
「……嘘だろ!?」
暴言返品サービスの公式サイトにアクセスし、男は愕然とした。
そのサービスを利用するには、裁判を起こすのと同じかそれ以上に煩雑な手続きを踏む必要があり、なおかつその費用は想像を絶するほど高額であった。
そこまでして自分に対し暴言を返品してきた者たちの熱量に、男は身が焼かれるような思いに襲われていた。
そして、止めどなく涙が溢れ出た。
罪の意識が押し出したものなのか何なのか、男自身も分からない。
中学生の頃、とにかく部活に命を賭けていた。
高校生の頃、父親の無茶な設備投資と不況が重なって会社が倒産、その直後に両親が離婚。まだ小さな妹の事も考えて大学進学を諦めた。
自分は絶対に自分の力で幸せになってやると、全精力を仕事に注いだ。
結婚し、子供が産まれ、新たな家族を自分の二の舞にしてはならないと、さらに仕事に没頭した。
男はいつも本気だった。
しかし、それゆえ常に心が張り詰めっぱなしだった。
男の現状を考えたら、残念ながらその生き方は失敗だったと言わざるを得ない。
目からこぼれ落ちる涙は、絶望の証……。
「いや、違う……違うぞ……」
男は暴言返品サービスのサイトの中に、あるページを見つけた。
『暴言が届いた方へ』
まさに自分のことじゃないか。
男は迷わずクリックした。
そこにあったのは……。
──1年後。
男は、憑きものが取れたように、清々しい顔をしていた。
1年間かけて、今までの人生の中で自分が暴言を吐いてしまった人たちの元を訪れ、誠心誠意謝罪した。
殴られたり、それこそ暴言を吐かれたり、下手したら刺されて殺されるなんてことも覚悟していた。
しかし、幸いと言って良いのか、誰もが粛々と謝罪を受け入れてくれた。
全て丸く収まってめでたしめでたし……なんてことは決して無い。
心に付いた傷は、謝罪の言葉をいくら重ねたところで癒えるとは限らない。
ただ、誰だってタイミング次第で暴言を吐いてしまう事はいくらでもあり得る。
大切なのは、なるべく早く自分の心をたしなめて、相手に対して謝るという行動力。
「……もっとも、暴言を吐かないことが1番ですけどね!」
そう言って笑ったのは、暴言返品サービスの担当者。
男が『暴言が届いた方へ』のページにアクセスしてからこっち、何かと世話になった人の言葉だ。
その言葉を胸に、男は忙しい日々を過ごしていた。
相変わらず、男は仕事から帰って来ると水の入ったヤカンを火にかけ、スーツを脱いでシャワーを浴び、タオルで髪を乾かしながらカップラーメンに湯を注ぎ、テレビを付ける。
3分経過し、フタを開けて麺をすすろう……とした刹那。
ピンポーン。
「……嘘だろ!?」
この時間、このタイミング。
悪い予感しかしないまま玄関のドアを開けると……そこには、白い作業服を着た見知らぬ男が立っていた。
少なくともアイツではない。
それに、あれから1度も暴言を吐いてはいない──。
「ありがとうございます! おかげでやる気が出ました! これからもよろしくお願いします!!」
作業服を着た男は満面の笑みを浮かべて綺麗なお辞儀をした。
「えっ? ど、どういうこと……」
男は戸惑いながら作業服の胸ポケットに視線を移す。
そこには、
『褒め言葉返礼人』
と書かれていた。
それは最近新たに始まったサービス。
褒められた人間が、褒めてくれた人にお礼を届けることが出来るというものなのだが……。
「なんだそれ、直接言ってくれりゃ良いのに」
思わず本音が口を突いて出る男の顔は、嬉しそうにニヤニヤと笑っていた。
〈了〉
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