カイスウ
ガチャ。
「ただいまぁ」
鍵を開けてドアを開けると、すぐに美味しそうな匂いがした。
玄関にベージュのパンプスを脱ぎ捨てて、小さなキッチンを通り抜けると、そこには大好きな彼と大好物のクリームシチューが待っていた。
「おかえり。アサミ」
温もりにつつまれたその優しくてウエットな声を聞くと、残業で疲れ切った心と体は一瞬にして癒やされた。
彼、タクミと同棲を始めて3ヶ月と少し。
2人とも仕事をしてるから、晩ご飯は先に帰った人が作る、そんなルールが自然に出来ていたけど、たとえ帰りの時間がほぼ同じぐらいだとしても彼は率先して「僕が作るからゆっくりしてて」なんて優しくしてくれた。
私は、寝室に行き、急いで部屋着に着替えて、彼の向かいに座った。
テーブルの上には、できたてのシチューとサラダ。
一緒に住み始めた頃は、いままで全く料理をしたことが無かった彼に、少しだけできた 私が教えてあげるぐらいだった。
けど、彼は料理の本を買ってきたり、ネットで調べたりして、この短期間で私なんか足下にも及ばないぐらいの腕前になっていた。
しかも細かな気遣いが凄い。
目の前にあるシチューだって、ニンジンが少し苦手な私のために、ちゃんと小さく切ってあったり、シーフード好きな私のために、貝が沢山入っていたり。
そして、そんな努力の影1つ見せることの無い、彼の優しい笑顔。
私は、心から彼の事を愛しているし、自分で言うのもなんだけど、すごく愛されてるって感じる。
「美味しい!」
私はスプーンでシチューをすくって口に運ぶやいなや、本当に自然に言葉が出た。
それを聞いた彼も、凄く嬉しそうで、少年のような笑顔になった。
今すぐ隣に行って抱きしめたい感情をぐっと抑え込んで、彼に今日あった出来事を話したり、逆に彼から聞いたりしながら、楽しい食事の時間を続けた。
食べ終わると、何も言わずに彼はお皿をキッチンに持って行った。
私は、急いで彼の後を追いかけて「一緒に洗うよ!」と言ったが、そこでも彼は「いいからソファで待ってて」と、私が疲れてることに気を使ってくれた。
ソファに座ってテレビを観ていると、いつの間にか彼が隣に戻ってきていた。
もう、我慢できない。
私は、さりげなく彼の手に自分の手を重ねた。
すると、彼は私の顔を見た。
私も彼の顔を見る。
そして、両手を彼の首の後ろに回して、見つめ合う。
明白すぎる私の想いをちゃんと受け取ってくれた彼は、少し顔を傾けながら、私の唇に優しくキスしてくれた。
数秒後、唇が離れる。
少しだけ距離が遠くなった彼の顔は、どことなく何か言いたげな表情を浮かべていたけど、私はそんなのお構いなしに、再び彼の唇を求めて顔を近づけた。
すると、彼は私の体をふりほどいて、その場で立ち上がった。
そして、もの凄い形相で私の方を睨み付けてくる。
えっ? なに? どうしたのタクミ?
私は頭が真っ白になった。
彼の目にはさっきまでのやさしさの欠片も無い。
ほんのちょっと前まで幸せに触れていた唇が、怖さで震えている。
ソファにへたり込み、何も出来ず、何も言えないままの私に彼がたたみかけるように言った。
「今の、オレ達が同棲し始めてから1万回目のキスだろが! わかるだろそんなことぐらい! なのに、なんで普通に次のキスしようとしてんの? もっと色々やらなきゃいけないことがあるだろ? おめでとうとか言い合ったりとかよぉ。なあ? そんな大事なことを忘れたのか? 仕事で疲れてるなんて言い訳、通用しないんだからな?」
そうだった。
確かに、今ので1万回目のキスだ。
私のバカ! 彼の愛情に浮かれて、そんな大事なことを忘れるなんて!
あっ、っていうかコレって……。
私は、彼に見えないようにソファの裏を手でまさぐる。
……あった!
私はソレを掴んで、思いきり彼に向けて紐を引っ張った。
パーン!
部屋中に大きな破裂音が鳴り響き、火薬の匂いが鼻をつく。
「タクミの激怒、33回目のキリ番、おめでとう!」
私がそう言うと、彼は「え? そうだっけ? あっ、ってことは……」と言いながら、クローゼットを開けてゴソゴソ何かを探し始めた。
そして「あった、あった!」と言いながら、何かを後ろ手に隠し持ちながら私の方に近寄ってきた。
「アサミ。今のでクラッカー200回、おめでとう! これ、大したもんじゃないけど」
そう言いながら、タクミは恥ずかしそうにリボンが掛けられたプレゼント箱を私に差し出してくれた。
「開けていい?」と言いながら中身を確認する。
それは、前からずっと欲しかった、お気に入りのブランドの白いバッグだった。
私は、彼に10001回目のキスをした。
彼は83回目のお姫様だっこをして、ベッドに運んでくれる。
そして、同棲してちょうど100回目の夜を2人で迎えた……。
〈了〉
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