キスしなければ死ぬ病
「残念ながら、キッシナウイルスに感染しているようです……」
女医は、憐れみの視線を僕に向けながら宣告した。
病気なんかについてあまり詳しく無い僕ですら、その名前を知っていた。
確か週刊誌か何かで見たのだが、そのキッシナウイルスがどうやって人に感染するのかは不明で特効薬も無く、何もしない場合感染してから7日で死に至るらしい。
ただし、1つだけウイルスを消滅させる方法がある。
それは……キス。
人間がキスした際に脳から分泌されるなんちゃら物質が、キッシナウイルスを綺麗に消滅させてくれるとか。
発見された当初は、キスを通して次々とウイルスが人から人へ移っていくと思われていたのでそのような名前が付けられたのだが、後に間違いだったことが判明した。
だから、キスした相手にキッシナウイルスが移る事は無いのだが、たった7日で死ぬような恐ろしいウイルスに感染した人間とキスしても良いと思う人間はそうそういないだろう。
本当に愛し合っている恋人同士や夫婦でも無い限り。
そして、不幸な事に僕にはそんな相手なんて居やしなかった。
まぁ、顔がイケメンなら「ねぇキミ、キスしてあげようか?」とかってキラッと目を輝かせるだけで、キッシナウイルスに感染してようがキスしてくれる女の子はいくらでもいるのかもしれないが、残念ながら僕は残念フェイスで生まれてきてしまったのでその手は通用しない。
あっ、そうだもしかして……。
「先生、お願いです。死にたく無いんです。まだやりたいことが沢山あるんです。だから、キスしてく──」
「ごめんなさい。結婚もしてるんで」
食い気味に断られた。
もしかして、キスしても移らない病気だと熟知してる専門家なら理解して貰えるかと期待したのだが、もしかしなかった。
結局、心を安定させる薬だけ処方されて病院を出た。
「お大事に」
とか言われたけど、イヤミにしか聞こえなかった。
帰りの電車は、タイミングが悪くてもの凄く混んでいた。
ただでさえ気分が悪い上に、蒸し暑さと空気の薄さで気を失いそうになった。
すると、流れ流れて、凄く可愛い女の子と向かい合うポジションになった。
そうか……合意の上じゃなくても、キスさえすればウイルスを……ってダメダメ!
それじゃいくら病気が治ったとしても、違う意味で人生が終わってしまう。
こうして、キスできる気配など一切無いまま1日目が終わった。
ウイルス感染2日目。
働く意欲が一切わいてこないので、会社にはしばらく休みたいと連絡した。
そして、意を決して数少ない女の子の知り合いに連絡を取ってみたが、みんな忙しくて会う約束すら出来なかった。
ウイルス感染3日目。
死ぬ気になれば何でも出来るんじゃないかと、今まで一度もやったことが無いナンパってやつにチャレンジしようとしたが、結局1人も声かけらられずに終わった。
どうやら、死ぬ気になっても性格の根っこは何も変わらないらしい。
ウイルス感染4日目。
何をする気力も無くなり、ずっと家に閉じこもっていた。
病院で貰った薬を飲んで寝た。
ウイルス感染5日目。
薬が効いたのか、気持ちが楽になってきた。
どうせもうダメなら、残りの時間を大切に使いたい。
僕は仲の良い友達を誘って、遊びに遊びまくった。
ウイルス感染6日目。
しばらく会ってなかった昔の同級生や、お世話になった先生など、死ぬ前に会っておきたい人たちの元を巡った。
けど、中学の時に少し仲良くしていて実は片想いしてた女の子だけ、唯一連絡が取れなかったのが心残りだった。
ウイルス感染7日目。
ついに、僕の命も今日で終わる。
しかし、心は浮かれていた。
なんとあの、片想いの女の子から携帯に電話が掛かってきたのだ。
そして、思い切って「今日、会いたい」と言ったらすんなり「うん、大丈夫だよ」とOKを貰えたのだ。
お昼前に待ち合わせして、話題のお店でランチを食べた。
彼女がどう思ってるかはともかく、僕としてはもうこれは完全にデートってやつで、ウイルスの事なんてどうでもよくなるぐらい、嬉しすぎた。
それから、2人とも気になってた映画を観て、3時のおやつにケーキを食べて、カロリー消費するために公園を散歩して、彼女がこの冬に着るコートを一緒に選んで欲しいとか言うのでお店を回ったりして、その後ちょっと良いお店でディナーを食べた。
昔の思い出や、近況報告などいっぱい話をした。
気付くと、もう夜の11時を過ぎていた。
僕達は、駅の方へと向かった。
隣を歩く彼女の横顔はずっと笑顔で、すごく愛おしく思えた。
キスしたい。
ウイルスの事なんてまったく関係無く、純粋にただそう思った。
でも、僕が勝手にデートだって思ってるだけで、僕と彼女は恋人同士なんかじゃなく、ただの久しぶりにあった中学校の同級生でしかない。
僕は、儚い願いをそっと胸の中に閉まった。
そして、人生最高の日と言っても良い、今日1日の楽しすぎる思い出でフタをする。
死んでもいいぐらい……と思うのは難しいし、むしろもっと生きたいって気持ちが沸いちゃってるのだが、彼女の笑顔を思い浮かべながら死ねるんなら少しは辛さも減るんじゃ無いかな……と思った。
そして、彼女が乗って帰る電車の駅についた。
「それじゃ。ありがとね、突然だったのに会ってくれて。ホント、楽しかったよ」
と、声をかけたものの、彼女は黙ったまま背中を向けてしまった。
まぁ、いきなり誘ったのに1日ずっと連れ回しちゃったし、凄く疲れたんだろう。
そう自分に言い聞かせながら、どうせもうすぐ死んじゃうので家に帰っても仕方が無いと、あてもなく歩き始めたその時だった。
ポンッ、とふいに背中を叩かれ、振り向くとそこにに彼女が居て、少し背伸びをしたかと思うと唇にキスされた。
死ぬほどビックリした。
いや、もうすぐ本当に死ぬんだけど……って、これで死なない!!!
「ど、どうして……!?」
僕は思わず聞いてしまった。
「フフッ、どうしてだと思う?」
彼女はイタズラっぽく笑った。
「えっ……も、もしかして、実は僕の病気の事知ってたの? キッシナウイルスに感染してるって……」
「うそ、そうなの?」
「えっ、知らないの?? って、ごめん、黙ってて」
「いいよ、全然。キスしても移らないって事ぐらい知ってるし。それより、だったら良かったね治って!」
「うん! マジでありがとう!! って、じゃあ結局なんでキスを……」
「もう、野暮ってやつだよそれ」
「あっ、ごめん」
「いいけど! っていうか、キスするのに『好きだから』って意外に理由ある?」
「ああ、そっか……って、ええ!?」
「気付いて無かったかも知れないけど、中学の時からずっと好きだったの。だから、嬉しかった。久しぶりにこうやって会えて」
と、言って彼女は思いきりニコッと笑った。
僕は思わずギュッと彼女の体を抱きしめた。
今はもう体の中から消滅してしまったはずのウイルスに感謝しながら……。
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