雲を茹でたり炒めたり

 学校帰りの女子高生ナツミは、ふてくされた顔で川沿いの道を歩いていた。

 すると、河川敷のテーブルに座る怪しげな男の姿が目に止まった。

「なんだろあれ……」

 男は1人で、テーブルの上にはカセットコンロが置いてある。

 そして、何より気になったのは男の頭上。

 白いモヤモヤした何かがプカプカ浮かんでいるのが見えた。

 見知らぬ大人……どころか怪しさしかない大人だが、どうしても気になったナツミはゆっくり男の元に近づいて行った。

 その気配に気付いた男は、

「ん? 一緒に食べるかい?」

 と、声をかけてきた。

 ナツミは一瞬ギョッとしたが、意外にまともそうな男の雰囲気に、何となく危険は無さそうに感じていた。

「オジさん、なにしてるの?」

「ああ、見てわかるとおり、雲を食べているんだよ」

 そう言うと、オジさんは頭上に浮かぶ白いモヤモヤの中に右手で持った箸を突っ込むと、納豆をかき混ぜるようにグルグルまわしながらモヤモヤの一部を引きちぎった。

 そして、箸で掴んだ白いモヤモヤをコンロの火でグツグツと沸騰する鍋のお湯の中にさっと通し、ペロッと一口で食べきった。

「うーん、ちょっとまだ苦いかなぁ」

 と呟きながら、間髪入れずまた箸を頭上の白いモヤモヤの中に突っ込む。

 何が起きてるのかよくわからず、ポカンとするナツミ。

「雲、食べたことないのかい?」

 オジさんが優しい口調で問いかける。

「えっと、全然意味分からんないんだけど、そのモヤモヤが雲……なの?」

 ナツミは訝しげな顔をしつつ、質問に対して質問で返す。

「そうそう。雲だよ雲」

「マジで?」

「うん。マジで雲。雲でマジ」

 一点の曇りも無いオジさんの言葉、何より目の前で実際にプカプカ浮いている様は確かにどう見ても雲にしか見えず、ナツミは徐々にその状況を受け入れ始めていた。

「雲って……美味しいの?」

「ああ、美味しかったり美味しくなかったりだね」

「なにそれ、ヘンなの」

「ああ、雲ってやつは、食べる人の気持ちで大きく変わるんだな。幸せな時は美味しくて、悩んでる時なんかに食べると苦くて不味くなるんだ」

 オジさんは何とも言えない表情を浮かべながら説明した。

「ふーん。何かよくわかんないけど、そうやって茹でるのがスタンダードって感じ?」

「そうだね。昔はよく、カリッカリに揚げて食べたりするのが好きだったんだけど、すっかり年取ったせいか、脂っこいと胃にもたれちゃってねぇ。茹でるか、せいぜい軽く炒めたりするぐらいだねぇ」

「ふーん……って、水滴みたいな感じじゃなかったっけ雲って?

 ナツミは今さらな質問をぶつけた。

「はは、幻想だよそれは。雲は雲。箸で掴むこともできるし、手で持つ事も出来る。ほら、こんなことも!」

 と、オジさんは左手で頭上の雲の一部を引きちぎり、手のひらで少し丸めたものをナツミめがけて投げつけた。

「うわっ」

 ナツミは声をあげつつ、小さな両手でしっかりとキャッチした。

「これが雲……」

 見た目はギュッと凝縮した綿アメのようだが、感触は全然違っていて意外と弾力があった。

「これ……食べても大丈夫? 美味しいんだよね?」

「ああ、だから美味しかったり美味しくなかったりだよ」

「そっか。その時によるんだっけ。ちなみに、オジさんは今食べてどうなの?」

「そうだねぇ……まだ苦いかな」

「まだ? って、何かイヤな事でもあったの?」

「うん、恥ずかしい話だけど、最近女房に出て行かれちゃってね」

「うわっ、エグい」

「はは、ストレートな表現だね。まあ、ホントそう。エグい話だよ。女房のヤツ、最近流行りのアレしてて」

「アレ……って、もしかしてフリン??」

「はは、鋭いね。不倫された挙げ句出て行かれたってもう、とほほだよ」

「とほほどころの騒ぎじゃないっしょ! よし。何か可愛そうだから、せめて今日だけ私が一緒に雲食べてあげるよ。っていうか、単純に雲食べたいし」

「はは、助かるよ。じゃあソレ、この鍋の中に入れちゃって」

 と、指示された通り、ナツミは手で丸めた雲を沸騰したお湯の中に入れた。

「はい、これ使って」

 オジさんはナツミに新しい割り箸を手渡した。

「もう大丈夫?」

「うん、あんまり茹ですぎると固くなっちゃうから、そろそろ丁度良いんじゃないかな」

「じゃあ、いただきまーす」

 ナツミは、生まれて初めて雲を食べた。    

モグモグと噛みしめる感触は、最初はお餅のような弾力で、その後すぐフワッと溶けた。「どうだい、お味は?」

「うーん……少し苦い」

「ほう、そうか。もしかして、何か悩みでも?」

「うーん……ある。ってか、ついさっきなんだけどね。学校で友達とケンカしちゃったんだ。すごいくだらないことだったんだけど、お互いムキになって言い合いして、最終的に絶交とかまで言い出しちゃって。そんで、いつもは家が近いから一緒に帰るのに、顔合わせたくないから逆方向に来たら結果雲食べちゃってるし」

「はは、参ったねそりゃ。まあ、せめて好きなだけ食べて少し気晴らししたら良いんじゃ無いかな。雲はカロリーゼロだし」

「ほんとに!?」

 目を輝かせるナツミ。

「じゃあ、食べまくる!!」

 と言いながら、頭上に浮かぶ雲の一部を箸で引きちぎってそのまま口に入れた。

「ちょ、ちょっとキミ! 生はだめだよ生は! お腹壊すって……」

 しかし、時既に遅し。

「イタタタタ……」

 お腹を押さえて苦痛に顔を歪ませるナツミ。

「参ったなこりゃ……なんか申しわけ無い」

「い、いや、勝手に食べた自分のせいだから……でも、結構キツいから、もう帰るね。今度はちゃんと火通すように気を付けるよバイバイ、雲オジさん」

 と、ナツミは冷や汗をかきながら何とか笑顔を作って立ち上がり、家路についた。

「じゃあね。大人しく寝ておきなさい」

 オジさんはナツミの背中に、妻と一緒に出ていった娘の面影を重ねながら優しく声をかけた。

 そして、口に入れた雲の味は、心なしかさっきより少しだけ美味しく感じていた。


──翌日。

 生雲の食あたりは思いのほかやっかいで、一夜明けても腹痛が治まらなかったナツミは学校を休んでしまった。

 午後になり、昨日ケンカした友達が心配そうな顔でナツミの家にやってきた。

 昨日の件もあり、てっきり自分のせいだと思って「ごめんね、ほんとごめん」とひたすら謝る友達。

 逆に申しわけ無さそうに「違うの全然。でも、私もごめんね」と謝るナツミ。

 誤解が解け、すぐに仲直りする2人。

 そしてナツミは、この親友と一緒に食べたら絶対美味しく味わえるモノがあることに気がついた。

「ねぇ、雲って食べられるって知ってた?」

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