骨折の精
その日は、朝からずっと雨が降り続いていた。
夜になり、さらに雨脚が強まる中、ある男が残業を終え、暗い道を小走りで駅へと向かっていた。
今日は金曜日。家に帰れば好きなだけ眠れる。
と、その時。
「うわっ!」
底がすり減った革靴を履いていた彼は、雨に濡れて一切の抵抗力を失ったマンホールに足を取られ、思いきりダイナミックに滑ってしまった。
ドテッ……からのポキッ。
完全にやらかしちゃった音。
「イテェェェェェ!」
男は、激痛が走る左腕を押さえ、スーツをずぶ濡れにしながらもんどり打った。
すると……
ティロリロティロリロリ~ン
どこからとも無く陽気な効果音が聞こえたかと思うと、彼の目の前に妖精が現れた。
「イテェェ……って、ええ?」
スマホぐらいのサイズ感、透明感のある白い肌にファンタジー感漂う服装、そして背中には水色の四枚羽……と、いかにも系妖精の姿をみた男は、一瞬激痛を忘れるぐらいに驚いた。
「ジャジャーン! 私は骨折の精。骨が折れた人間の前だけに現れる妖精よ♪」
そう言って、うふふと笑う骨折の精。
男は何が起きているのか分からず、ただポカーンと口を開けることしかできなかった。
「ねぇ、聞いてる? 私は骨折の精。骨が折れた人間の──」
「聞いた聞いた聞いた! 妖精だかなんだか全くわけから無いけど、とりあえず放っておいてくれないかな? もう激痛でそれどころじゃないんだわ。ってか、もし良かったら救急車呼んでくれると助かるんだけど……」
男は涙ぐみながら訴えかけた。
「うん。痛いのはわかる! だって、ワタシが現れたってことは、あなたは骨折してるってことですもの! でも聞いて。これだけはちゃんと聞いて欲しいの!」
男は、面倒くさいのに絡まれたなと苦い顔をしつつ、このまま言い合っていてもそれこそ先に進めないので、とりあえず「わかったわかった」と話を聞いてみることにした。
「じゃあ、説明するね! 私は骨折の精。骨が折れた人間の前に現れるんだけど、現れない時もあるの。さて、それはどんな時だと思う?」
妖精からまさかのクイズ出題。
男は、コイツ右手でひねり潰してやろうかと言う恐ろしい憎悪を必死で抑えつつ、鬼の形相で答えをひねり出そうとしてみた。
「ウゥゥ……イテェェ……うーん……なんだろうか……本当は折れて無かった時とか……?」
「ブッブー!! 全然違いま~す」
「おまっ……コロ……」
「ん? なになに? 何て言おうとしたのかな?」
「い、いや……コロ……コロニーなぁ、今日は雨でコロニー見えないなぁ……って」
「ふーん、わけわかんない」
それはお前の存在だよ!!
コロすぞこら!!
……と、男は口から吐き出したい思いをなんとかギリギリ押さえ込む。
「もう、なんで分からないの? 答えは、水曜日と土曜日は休みだからに決まってんじゃん」
「休み……? 妖精なのに休むのか……?」
「あっ、ひどい。その発言ヤバい。妖精差別。妖精ハラスメント。ヨセハラよヨセハラ! もう、ヨセハラはよせ」
「…………」
「ハイ、正解は水曜日と土曜日は休みだからでしたー」
「あっ、もの凄い速さで1つの発言を闇に葬り去りやがった」
「うるさいなぁ! そんなこと言うと、お仕事してあげないよ?」
妖精はぷいっと顔を背けた。
「えっ、仕事? 仕事ってなんなんだ?」
「……気になる?」
妖精は、質問されたのが少し嬉しかった模様。
「ああ、こうなったら何しに現れたのか気になる……って、イテテテテ」
「おっけー。じゃあ、その痛み、消してあげようぞ! ほっほっほ! えい! クッツケクッツケツケツケツーケ!」
どこからともなく取り出したステッキを振り回しながら、謎の呪文を唱える妖精。
すると……
「……あれ? ……おっ? よっ、よっ、ぐるんぐるん……痛くない! 痛くないぞ!!」「へへん。これが私の仕事だよん」
「ま、マジで? 骨折した骨を治してくれる素敵な妖精さんだったってわけ??」
「うんうん。まぁ、感謝していいぞ好きなだけ」
「うへぇ、ありがとう! ヤバい、嬉しい、抱きしめたい!」
と、男は両手を開いて妖精に向かって足を踏み込んだ……瞬間。
「うわっ!」
またもや、ツルツルのマンホールに足を取られて転んでポキッ。
「イテェェェェ! 妖精さん、いや妖精様。お助け……お助け~」
男は、羽をばたつかせてホバリングする妖精に向かって必死に懇願した。
「うーん、無理」
妖精は、左手首に付けた腕時計を見ながら答えた。
「な、なんで? イテ……イテテテテェ……なんでです!?」
「だってもう12時過ぎちゃってるんだもん。今は土曜日。ってことで帰りまーす」
「い、いや、ちょちょちょ! 時間シビア過ぎない? ついさっき治してくれたじゃない! ちょっとぐらい過ぎちゃってもよくなくない?」
「だめだめ。よくなくなくない。残業なんかしたら妖精労働基準法に違反しちゃって、ブラック扱いされちゃうんだから。ってことで、さようなら~。これからは、雨の日の足下には気を付けるんだよ~。特に、水曜日と土曜日はね~。うふっ」
そう言い残し、妖精はスーッと夜の空へと飛んで消えて行った。
男は、腕の痛みと残業の無い妖精業への羨望を抱えながら、近くの病院へと歩きだした……。
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