火星で稼いでる
男は、仕事帰りにいつも立ち寄るバーのカウンターでお酒を飲んでいた。
「お客さん、そう言えばどんなお仕事をされているんですか?」
マスターがコップの水滴を拭きながら聞いた。
「俺かい? ごくありふれた会社員だよ。でも、凄い頑張ってるよ毎日。いつか輝くために。そう、会社員でシャイン……なんてね」
「…………」
「おいおいマスター。客のジョークに無言でスルーは無いだろう。スルーだけはするーな……なんてね」
「あ、あはあは、あはあは」
「おいおいマスター。愛想笑い下手すぎやしないか。まあ俺のダジャレがつまらなすぎるのがいけないんです。そうですそうです。アイソウです」
「……お客さん飲み過ぎですよ。そろそろ帰った方がいいんじゃないですか」
「ですね。じゃあお勘定……」
男は、こぼれそうになる涙をグッと堪えながら、飲み代を支払った。
何よりも誰よりも自信があったダジャレでここまでドスベリするとは。
大学受験で第一志望に落ちた時よりも落ち込み、ヘコみ、枕は涙でべっちょんべっちょんになった。
そして翌朝。
目覚めとともに、男は大きな決断を下した。
平日は、仕事が終わると一目散に帰宅し、死ぬほど勉強。
休日は、丸一日家にこもって死ぬほど勉強。
勉強の合間に筋トレで肉体改造に死ぬほど励んだ。
そして3年後。
男はついに、難関中の難関と言われる宇宙勤務者の資格を取得し、火星にオフィスを構える一部上場企業に転職した。
ここで働くため、必死で蓄えた知識と鍛え上げられたタフな肉体をフル活用し、男は瞬く間に支社長の座にまで上り詰めた。
そして、久しぶりに地球に戻り、以前よく通っていたバーに入った。
「マスター、ハイボール」
「かしこまりました。……あれ? お客さん、お久しぶりです」
「ああ、覚えていてくれたかい」
「それはもう。確か最後にいらっしゃった時は、おドスベリされたと記憶して……すみません、余計なことを」
「いやいや、よく覚えてるねぇ。さすが接客業のプロ。まぁ、俺もあの日のことは一時も忘れたときは無いがね」
「でしょうねぇ」
「あ、ああ……。そうそう。今日はリベンジに来たんだよ」
「ほう、そうですか。一体なんのです?」
「うん。マスター、あの日俺にした質問、覚えてるかい?」
「質問……ですか。ああ、確か『お客さん、どんなお仕事をされているんですか?』だったでしょうか」
「ああ。それそれ。そう、いま俺ね、火星の会社に勤めているんだよ」
「ほう、それは凄い。でも、大変でしょう。宇宙での仕事と言うのは」
「そうだね。でも結構頑張りに頑張ってね。ここだけの話、あの日に比べて給料の方も格段に増えたよ」
「ほう、それは凄い」
「ああ。今じゃ俺、火星で稼いでる」
「…………」
「おいおいマスター。客のジョークに無言でスルーは無いだろう。スルーだけはするーな……なんてね」
「あ、あはあは、あはあは」
「おいおいマスター。相変わらず愛想笑い下手すぎるね。でも俺、そんなことじゃくじけないよ。何よりも、宇宙に夢中……だから。宇宙に夢中」
「お客さん、お会計は1850円です」
男は、こぼれそうになる涙をグッと堪えながら、飲み代を支払った。
自宅のある火星に向かう宇宙船の中、男の周りには無重力で浮かぶ涙球がひしめき合っていた。
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