17.

 創死者は手足のように動く忠実な部下を求めていた。有能で、自らと同様に高い不死性を持ち、長期的な計画に参加できる部下を。

 彼は人間を信用していなかった。彼にはかつて仲間も部下もいた。共に笑い合える仲間たちが。だが、すべて死んだ。キールニールという厄災のためにみな死んでいった。

 人間はすぐに死ぬ。だから信用できない。300年以上生きて、裏切ることも裏切られることも経験した。そんなことは些細なことだ。心から信頼できる仲間でも結局、死からは逃れられない。

 彼は孤独だった。仲間と過ごした日々の記憶も夢の泡のようだった。一人でいることには慣れていた。むしろ一人でいることを望んだ。

 だが、一人では限界があることも知っていた。彼はずっと前からある妄執に憑りつかれていた。そのためにはどうしても部下が必要だった。

 だから彼は、それを一から創り上げることにした。どれだけ時間がかかろうとも、必要なことだったからだ。

 噴煌という災害がある。叡海の流動がなんらかのきっかけで乱れ、堰き止められたり、魔力の偏りが発生するなどで対流が起こり、地上へと噴出する現象だ。その発生時期はほとんど予測は不可能だが、発生場所についてはある程度特定されている。同じ現象が繰り返し起こるので山のように土地が隆起しているのだ。彼はそのとき発生する莫大な余剰魔力に目をつけた。それを利用することで、理論はあれど絶対的魔力量の不足から不可能とされていた魔術を成功させられると考えた。

 彼は待った。ただ待ち続けた。そして30年が経った。

 噴煌の兆候は二日前からわずかに揺れとして感じられ、数時間前にはより顕著となる。彼は決してそれを見逃さなかった。大慌てで術式を展開し、噴煌発生地点を取り囲む。

 そうして彼は、まったく新しい起源生命の萌芽を手にする。

 (彼はこれを「新々成生物」または「第三期生物」と名づけたが、のちに彼らが生殖能力を持たないことに気づき、「被造物クリーチャー」と呼称を改めるようになる)

 はじめはただ出来損ないの水蛭子だった。しかし失敗したわけではない。まだ誰も実証したことのない領域。これは想定された事態だった。彼はそれらを丁寧に自らの魔術工房へ運び、安定化のため施術を行った。独立した生命として体を成すまで40年の月日が流れた。

 計7体。人間の赤ん坊のようだったが、彼らは誕生の瞬間から知性を有していた。叡海から膨大な知識を吸収していたからだ。だが、その実践の経験はゼロ。肉体もいまだ脆弱だ。彼はそんな子供たちの教育にさらに40年を費やした。

 子供たちはフローラ、ヒギエア、ゲフィオン、ニサ、エオス、アリンダ、ぺスタと名づけられた。彼らにはあらかじめ想定される事態に備えた固有魔術が与えられていた。彼は子供たちの能力を試験した。知識と判断能力。魔力の単純放出。爆発系魔術での大岩や大樹の破壊。逆に爆発系魔術を含む多種の魔術攻撃に対する耐性。巨獣生息域グランドリゾートでの狩猟。たまたま捕らえた狂暴犯罪者を用い対人戦闘訓練も行った。さすが歴戦の猛者、子供たちも当初は苦戦したが、次第にただの遊び相手、玩具と化した。そうはなっては無用なので始末した。

 望みどおりに彼らは極めて優秀な能力を持ち、標準的に高い戦闘技能と不死性を備えていた。そして、「偉大なる父」への絶対的な忠誠も。独り立ちのときが来た。

 十分に成長した子供たちを彼は人間社会に送り出した。フローラだけは手元に残し、研究のための助手として。エオスとアリンダはいずれ荒事を担当することになる。ゲフィオン、ニサ、ぺスタは軍内部に潜入するための準備を始めた。ヒギエアは商人や実業家として財産を築き、物資や施設を揃えるために動いてもらう。

 計画は少しずつ動き始めていた。ラグトル純結晶で肉体の不死を手に入れ、噴煌で被造物クリーチャーを生み出し、次に必要になるのはラグトル暗室だ。これも気の遠くなるような作業となるだろう。

 どれだけ時間がかかろうと構わない。一つ一つを確実にこなしていく。ここまでは上手くいっているのだ。すべてが終わればもはやこの星に敵はいない。神獣ですら屈服させることができるだろう。

 なに、きっと間に合う。キールニールが目覚めるその日までには。


 ***


 アリンダが処刑される。

 大々的に宣伝されたその報はエオスの耳にも届いていた。

 長年皇国を蝕んだMMドラッグの元凶たる麻薬組織、その首魁の片割れ。速やかに抹殺すべき手に負えない狂暴犯罪者。そんなふうに喧伝して。

 処刑場はティニウス市街内に位置する、かつて円形闘技場として利用された場所だ。周囲を高い壁に覆われ、さらに今は魔術障壁にも覆われていた。

 あれから一週間経つ。本来であれば騎士団を半壊させていたはずの日。それが皮肉にも、半壊させられている。アリンダは処刑間近、エオスも逃亡の身だ。あれから幾度も追撃に遭い、それでも傷はかなり癒えつつはあるが、未だ十分に休めてはいない。

 処刑時刻2時間前。エオスは9km先からその様子を伺う。顔を深くフードで覆い隠し、簡易ながら変装していた。多様な人々が行き交う街中で、溶け込みこそしていないが、さほど目立ってもいない。人々は呑気にレストランのテラス席で食事をとっているし、デートの待ち合わせでそわそわしている男もいた。処刑のことが気が気でないのはエオスだけだ。

 掌眼を開く。認識妨害障壁のためすぐには処刑場の様子は見えない。エオスの掌眼ならこれはすぐに剥がすことができる。認識妨害は個々の対象に施される魔術であり、一種の負幻影魔術のようなものだ。それを突破したところで相手に気づかれることはない。対象に幻影魔術がかかっているかどうか直接知る術がないのと同じようにだ。「そこになにかある」とわかっているなら、認識妨害障壁は時間稼ぎとしか機能しない。

 罠であることはわかっていた。中の様子を見て、それは確信へと変わった。

 騎士が8名。獅士も20名以上。あまりに厳重すぎる警備。そして、中央にはアリンダの姿もあった。あまりに痛ましい光景に目を覆いたくなる。四肢を捥がれ、再生しないように傷口を縛られていた。それはアリンダの脱走を防ぐとともに、エオスが彼女を救出するには連れ歩くのではなく抱え上げなければならないことを意味した。さらには目も耳も塞がれ口枷もつけられ、太い鎖で拘束されている。罠であるなら少しくらい隙を見せてもよいのではないかと難癖をつけたくなるほどに、微塵も逃す気がない。

 どこかに警備の穴はないか。彼らを出し抜く方法はないか。エオスは探した。もし不可能であるなら諦める。そう言い聞かせ、葛藤の末に彼はここまで来た。むざむざ誘い込まれて捕らえられては、アリンダが身を挺して逃したことがすべて無駄になる。最善は歯牙にもかけず見殺しにすること。理屈の上ではわかっていた。だが、わずかでも可能性があるなら、それに賭けたかった。

 ここは市街だ。たとえば、市民を人質にして交換を迫る。だが、それは敵に姿を晒すことを意味する。掌眼による索敵からの奇襲という戦法を潰すことになる。また、あえてこの場所を処刑場に選んでいることからも、そこに罠がないとは言い切れない。相手が非情に徹するならなんの意味もない。なにか裏をかかなければ万に一つも勝機はない。

 エオスは探した。全神経を集中して、穴を探した。そのせいで、忍び寄る影に気づくことができなかった。

「なにかお探しかな」

「?!」

 背後から声をかけられ、同時に強烈な雷撃がエオスを襲う。突然の騒動に周囲の市民はざわめき、逃げ出し、あるいは野次馬として群がった。

「騎士スタン・ヴォルグだ。はじめまして?」

 エオスは完全に油断していた。処刑場に8人も騎士がいるのだ。それで全員だと思った。しかし違った。それ以上の騎士が市内を巡回していた。市街という場所が選ばれたのはこのためである。捜索のための兵を市民の中に紛れさせるためだ。エオスは、すでに罠にかかっていたのだ。

「律儀に9kmギリギリで偵察するからそうなる。半径9kmの円周を捜索すれば必ず見つかるわけだからな」

 掌眼の有効射程までバレている。いつ情報が漏れたのか。これもアリンダか。だが、父の教えを徹底し能力の詳細な性能まではアリンダにも知らせていない。むろん、共に長く行動しているうちである程度推測くらいはできているだろうが、9kmという正確な数値まで把握しているとは考えづらかった。

 迂闊だった。心身ともに疲れ切り思考も鈍っていた。アリンダが捕らえられている以上、アリンダの持つ情報はすべて漏れていると想定して動いていた。アリンダを信じたい気持ちを殺してまで合理をとった。それだけでは足りなかったのだ。敵はそれ以前から掌眼のことを知っていたのだから。

「ご忠告どうも。で、どうするつもりだ。たった一人で仲間が来るまで持ちこたえられるのか? 一対一なら10秒で殺してやるよ」

 そんな安い挑発。エオスはすぐにでも逃げるつもりだ。罠にかかった以上、もはや救出は断念せざるを得なかった。

「10秒もかけてくれるのか。そりゃ助かる」

 二人が対峙する傍で、空間に穴が開く。空間接続魔術だ。騎士団には現在その固有魔術を有するものはいない。だが、この作戦に参加するもののなかには、たしかにいた。

 レグナの空間接続が、処刑場を警備していた8人の騎士を連れてきた。実際には警備ではなかった。半径9kmの円周を巡回する200人以上の兵と8人の騎士が目標を発見し交戦を開始した際、即座に現場に駆けつける機動部隊。それが真実だ。

 この大捕り物には、すなわち16人もの騎士が参加していた。歴史上でもほぼ類例のない事態である。それはラガルド・ユーサリアン大将という英雄の、鶴の一声があればこそだった。

「くそ、マジかよ」

 エオスの状況理解が追いつくころには、すでに9人の騎士による包囲は完成しつつあった。もはや逃げ場はない。この人数が相手では勝ち目もない。だが、策は残されている。

「……まさか使うことになるとはな」

 エオスは懐より麻袋を取り出す。そして、すぐにその中身をすべて口に放り込んだ。8つの黒い粒――MMドラッグである。

「おおおお!」

 MMドラッグは一度に多量服用すればそれだけ効果が増すというものではない。同時に2粒までなら、1粒の摂取より1.25倍の効用上昇が望める。だが、3粒目からは急激に効用の上昇率は下がり、一方で副作用の依存性や身体負荷は増していく。命が惜しいなら2粒に留めるべきだし、命を捨てるにしても5粒以上は数時間以内で死に至る可能性が高い。それをエオスは8粒同時摂取した。人ならざるものだからこそ許される暴挙。彼がMMドラッグを製造し保有し続けた最後の理由がこれだ。もとより高い魔力を持つものが摂取すれば、そのぶん効用も高い。怪物は、さらなる怪物として目覚めようとしていた。

「攻撃」

 薬の効用がエオスの全身に浸透するのを待たず、団長は命じた。八方より同時攻撃。最大火力の集中。だが、エオスに動じる様子はない。

 エオスは跳び出す。カリスに向けて一直線に、音の壁すらも越える速度で迫った。

「団長!」

 団員の一人が身を挺して庇う。胸を貫かれ、鮮血が舞い、背中から突き出たエオスの右手には心臓が握られていた。まずは一人。あまりに一瞬の出来事。しかし、それは大きな隙でもある。

 背後より一閃。その剣はエオスの鎖骨を断ち、肋骨を断ち、左半身を半分ほど引き裂いた。が、エオスにとってそれは致命傷ではない。傷口より赤い繊維が伸び、断たれた半身を引き戻す。傷は瞬く間に再生していく。己が身を断った剣を巻き込んだままであることを除けば、エオスは即座にもとの形を取り戻した。

「うらぁ!」

 エオスは戻ったばかりの左手で裏拳を放ち、背後の刺客に浴びせる。ただの一撃で彼は宙を舞い、他の団員が受け止めたときにはその頭部は原形を留めていなかった。

 9人中2人が絶命。残り7人。騎士団は陣形を再編。エオスは右手で死体を放り投げ、左半身に刺さったままだった剣を引き抜いた。騎士ですらが鎧袖一触、まさに神話上の怪物。

 だが、騎士団は未だ誰一人として怯んではいない。戦意は微塵も損なわれてはいなかった。

「しゃらくせえ!」

 エオスは左手に赤黒い刃を形成し、ぐるりと、バレエダンサーのように一回転する。

 遠隔斬撃。彼を中心に音速で円が広がっていく。騎士は各々武器を構えてこれを防ぐが、大きすぎる威力のため姿勢を崩した。

 もう一回転。長い黒髪も彼を追うように舞う。姿勢の立て直しは間に合わない。障壁を形成。が、防ぎきれない。上着の裏地にも対斬撃術式を組んでいたが、やはり防ぎきれるものではない。騎士団員は胸部に、腹部に、それぞれ決して浅くはない傷を負う。団長カリスも例外ではない。

 次は一人ずつだ。エオスはカリスに狙いを定めた。

 その背後より影。鷲、狼、蛇。いずれも巨大な魔獣だ。騎士団の魔獣使いは、あらかじめ生成した魔獣をガラス管に保存してある。これを叩き割り、中の液体を空気中に晒すことで魔獣を呼び出す。彼自身は傷を押さえていたが、これくらいの動作はできる。

 当然、エオスには見えている。右手には掌眼があるのだから。背後は死角ではない。動物と遊ぶのはもうこりごりだった。

 振り返りもせず、すべてを血の海に沈める。否、実際には振り返っていた。一体ずつ斬殺していた。速すぎて、もはや人類の目では追えなかった。

 瞬殺。しかし、わずかでも隙は生じる。多勢ゆえに騎士団は強い。

「劫火」

 カリスの炎熱魔術。火柱がエオスを中心に渦を巻く。人間相手ならば骨すらも残らぬほどの高温。エオスはまるで意に介さない。対熱障壁に加え、焼かれた傍から皮膚を再生しているためだ。不敵に笑い、再び団長を見据え、跳び出そうとする。カリスは動かない。そのとき、エオスは不意に姿勢を崩し、片膝をついた。

「……毒か!」

 先の攻撃。左半身を斬り裂いたあの剣、あれに毒が仕込まれていたのだ。全身を蝕む即効の致死毒。悪意を凝縮した魔術毒が体内に直接捻じ込まれた。

「くだらねえ」

 解毒魔術を使えば済む話だ。しかし、同時にそれはMMドラッグの効用すらも弱めてしまう。身を焼く炎がその熱を増すように感じられた。判断ミスだったかもしれない。あるいは、他に手はなかったのかもしれない。いずれにせよ、エオスが片膝をついたまま、そこから立ち上がることはなかった。

「どれ、私もいただこうか」

 カリスの手に黒い粒が二つ。MMドラッグだ。

「お前たちの根城に大量の備蓄が残されていたからな」口へ放り、飲み込む。「味は……ダメだな。これっきりにしたいものだ」

 みるみる魔力が増幅され、彼女自身が一つの炎と化したかのよう燃え上がる。エオスの身を焼く炎もその火力も増した。肉の焦げるにおいが立ち込める。

 エオスは転がっていた剣を掴み、拾い、投げた。自身の半身を裂いた剣だ。狙いは当然、正面のカリス。団員のカバーも間に合わぬほどに速く、正確に。

 毒の仕込まれた剣だ。少なくとも防御、回避せざるを得ない。そこに隙が生じる。しかし、カリスは動かない。急所だけは避けるよう、少しだけ身を躱す。剣は肩に深々と突き刺さった。

「なっ」

 被造物クリーチャーであるエオスが膝をつくほどの猛毒だ。ただですむはずがない。だが、炎は弱まることもない。

 それもそのはず、剣に仕掛けがあったのではない。剣を通して二次魔術により毒を送り込んでいたのだ。

 カリスはそれを知っている。ただの剣なら、投げつけられてもせいぜい鎖骨が断たれる程度だ。

「業炎」

 カリスがさらに炎熱魔術を重ね掛けする。続いて6人の騎士が、雷撃、風刃、光弾、遠隔斬撃など、距離をとって一斉に攻撃を浴びせかける。致命的な隙を見せてしまったエオスは防御に徹することしかできない。身を縮め、障壁で覆い、ただ耐えた。止むことのない豪雨のように延々と攻撃は続いた。人ならざるものは力を完全に防御へと転じ、硬く厚い殻に覆われていたかのよう耐え続けた。7人の無慈悲な攻撃はそれを少しずつ剥いでいく。皮膚が切れ、肉が抉られ、骨が砕かれていく。そのたびに再生を繰り返すが、次第にその速度も落ちていく。反撃に転じようと身を起こしたのなら一瞬で細切れになるだろう。反撃を諦め身を縮めたままでいるなら、時間をかけてじっくり細切れになるだろう。

 騎士団も傷を負っている。放っておけば失血により命に関わるほどの傷だ。それでも彼らは攻撃を緩めない。自己回復に魔力を割かない。目の前の敵を滅ぼすことだけに専念する。表情も変えずに、ただ殺戮の装置に徹する。

 エオスは我慢比べだと思った。いずれ彼らは限界を迎える。それまで耐えればまだ挽回の目はある。そう思った。しかし、それはあまり意味のないことだった。

 円周の巡回を担当していた残りの騎士も駆けつけ、後方でいざというときに備える。失血がひどく継戦不能である場合は一人ずつ交代する。他の兵も集結し、鼠の一匹も逃さぬほどに包囲網は密度を増していく。あまりの壮絶さに、聞こえてくる音だけで野次馬の市民は声を失った。

 エオスは倒れた。血だまりに転び、四肢を千切られ、再構築の余力も残っていない。もはや呼吸もか細い。団長カリスはその場に歩み寄り、止めを刺すように剣で心臓を一突きにした。だが、その程度で死なない相手であることをカリスは知っている。とうに実証済みだったからだ。あくまでそれは、被造物クリーチャーというあまりに危険な狂暴犯罪者を無力化し捕らえるために必要な措置だった。

 街から、音が消えた。どんよりと空が曇り、悪意のない雨が降る。そして、石畳の血を洗い流していく。

 こうして、エオスの逃走劇は幕を下ろした。

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