16.

 ブリュヴィ州狂暴魔術犯罪者特別収容所。

 騎士団によって運び込まれたとき、それが人だと認識するには時間がかかった。ましてや、生きているなどとは思わなかった。彼女は虫の息だった。

「8人がかりでようやく捕らえた。1人殺られた。丁重に拘束してくれ」

 騎士の男はそう説明する。

 捕らえられた女は両腕を喪失し、身体中は斬られ焼け焦げ、血を吐き血を流していた。目に光はなく、意識も途切れかけている。収容所の職員らの目からは、今すぐにでも死んでおかしくない重篤状態だった。彼らはむしろ、そんな彼女を無造作に放り投げて顔色一つ変えない騎士団に恐怖したし、狂暴犯罪者と説明されたはずの彼女に憐みすら覚えた。

 だが、彼女は弱るどころか回復していた。憐みは一時の気の迷いのように押し退かされていく。代わりに脅威が芽生えた。死に瀕していたはずの彼女は左腕を再構築し、倒れたまま石畳からゴーレムを生成した。人間など一捻りで肉塊にしかねない狂暴な魔獣。これは騎士団4人がかりの総攻撃により速やかに破壊され、左腕も再度切断された。

 時間が経てばまた同じことが起こるだろう。死にかけている人間の最期の灯、というようなものではなかった。油断ならぬ手負いの獣――その表現の方が近い。

「両腕はこのままでいい。そのまま縛ってくれ。再生しないようにな」

 騎士団はそう指示した。収容所の職員は、先ほどの騒動はわずかでも情けをかけることのないようにするためのデモンストレーションだったのだと気づいた。

「そちらは?」

 拘束されてはいるが、五体満足の女がいた。ただ、両腕を失っている女に比べると抵抗の意思は失っているように見えた。

「こいつは騎士団で引き取る。気にしなくていい」

 そういい、騎士団は去った。残されたのは死にかけの怪物だ。


 狂暴魔術犯罪者の拘束は厳重に厳重を重ねる。ましてや、相手が騎士すら殺しかねない人外ではさらに極まる。騎士団の報告をもとに、彼女の拘束は前例のないほどの特別仕様になった。腕は切断されたまま革袋に覆われ、きつくベルトで縛られた。脚部も同様に4カ所を固定し、上から革袋を被せ、さらに固定する。四肢はもちろん首も固定され、顔も覆われた。目も耳も閉ざし、口にも枷をはめられた。もはや拘束台の一部かのように、身動きの一つもできないほど過剰に締めつけた。さらにその独房は彼女の力を著しく制限する皇国随一の魔術牢である。もはや自身が本当に生きているのか確信が揺らぐほどの、自由と尊厳の剥奪だった。

 魔術の発動は、多くの場合手や足などの身体のとなる。ゆえに、両腕を失った状態ではほとんど魔術を扱うことはできない。そう、ほとんど。

 微動だにできぬほどの拘束下で、彼女にはただ一つ可動域が残されていた。彼女はゆっくり、時間をかけて、口中の舌先で術式構築を転がしていた。視覚も聴覚も奪われ、どのような監視状態にあるのかすら把握できない。ならば、タイミングなど見計らう必要もない。革袋のため接合されることはないが、腕を再生することはできる。左腕を独立して操作し、脱出の起点とする。

 その魔術発動を、魔術牢は見逃さなかった。

「ぐむぅ?!」

 腕が、ボトリと落ちる。不正な魔術を検知した魔術牢が収監者を粛正したのだ。

 魔術牢懲罰レベル2。幻死痛。

 管を直接脊椎に繋いでいるため感覚保護さえ貫通し、対象に幻の痛みを与える。存在しない器官を幻肢として知覚させたうえで、それを磨り潰される感覚を流し込む。死の体験に等しいほどの未知の痛みが、対象からあらゆる抵抗能力を奪う。魔術牢の懲罰レベルとしては下から二番目のものだが、肉体に直接的損傷を伴わないことが最大のメリットである。

「うわ、腕が落ちてやがる。再生したのか。なんで無駄なのわかってんのにやるかねえ」

 看守は魔術牢に指示し、再生された左腕を焼却させた。収監者の危険度の高さから、決して近づくことのないようマニュアル化されている。同様の手順は数時間おきに繰り返された。はじめは呆れた。だが、これは何度も繰り返された。何度やっても腕が再生するだけ、よくて壁を叩く程度だ。拘束の一つすら解けはしない。とてもそこから脱出へ繋がるとは思えなかった。学習能力がないわけではないだろう。なにか試行錯誤を繰り返しているようにも思えた。不気味だった。過剰なまでに厳重な拘束状態は維持されていたが、油断はできなかった。

 そんなだから、尋問も一苦労だ。反対の声すら上がった。だが、逃走中の犯人を捕らえるため情報が必要だった。獅士4名、看守4名の監視のもと、目、耳、口が解放される。看守らはぞっとした。収監者の目がまだ死んでいなかったからだ。収監者にとってはわずかでも拘束が緩む瞬間である。最大の警戒をもって臨まねばならない。

 特例として尋問者は牢に足を踏み入れる。慎重は期さねばならないが、こちらが怖気づいていると思われればうまくはいかない。逆に相手を怯えさせなければならない。看守はその様子を固唾を呑んで見守る。尋問者の男は驚くほど肝が据わっていた。

被造物クリーチャーアリンダ。固有魔術は〈使役〉。触れたものを生物・非生物問わずに従属させる。ただ、生物である場合――例えば人間なら、その脳に直接触れることが条件になる。主に左手で発動されるが、もちろん右手でも可能。手を使わない場合は極めて効率が落ちる。つまり――」尋問者の言葉に呼応するように、カチン、と音が鳴る。「発動そのものは不可能というわけじゃない」

 それは、 彼女の左腕修復を妨げるベルトが緩む音だった。するするとベルトがほどけ、革袋が外され傷口が露わになる。

「――! まずい!」後ろで控えていた看守が駆け出しそうになるのを、尋問者が右手を軽く上げて静止した。

 解放された左腕は元の形を取り戻していく。見守る看守らは動揺を隠せない。

「心配いりませんよ。彼は専門家ですから」尋問者の同僚と思しき男がそういってなだめた。

 魔術牢懲罰レベル3。切断。

 復元した左腕は、彼女が神経のつながりを確認するとすぐに斬り落とされた。地に落ちた腕とベルト、革袋は意思を持ったように宙に浮きあがり、尋問者に襲い掛かるように向かっていった。これは魔術牢の洗浄処理により焼却され、落とされた。

「ぅおっと!」

 続いて、風が襲う。風の怪物。騎士団の報告にもあった風の使役だ。風が爪を立てて殺意を向けた。尋問者は慌てて避ける。勢いのあまった攻撃は代わりに背後の鉄格子を揺らした。直撃すれば悪くすれば死、よくても尋問は中止だったかもしれない。魔術牢があるとはいえ、一瞬の油断が死に繋がりかねない。幻死痛によって取り押さえられ、風の怪物は霧散した。

「危ないねえ。しかし、無駄な抵抗だ。仮に俺を殺せたとしても大した意味はない。わかるかい? 彼女がこうして無駄な抵抗を続けているのは、脱獄のためじゃない」背後の看守に聞かせるように尋問者は語った。「下手な抵抗は警戒度を上げるだけだし、万に一つも脱獄の成功はないことくらい彼女も承知している」彼女にもはっきり聞こえるように。「別に目的がある。おおよそ察しはつくけどね」

 一時間ほど続け、いくらか情報は引き出せたが、これ以上は対象の精神が崩壊しかねないと判断され中止された。収監者は尋問者になにかを囁かれると、瞳の奥に残っていたはずの闘志が嘘のように消え入り、老けこんだようにすら見えた。そのときから、収監者の無駄にも不気味にも思えた抵抗は止んだ。


「あの収監者を……囮に?」

 所長室を訪ねた男から、耳を疑うような提案がなされた。騎士団より提出された戦力評価の報告書は何度も目を通した。両腕を失いながらも抵抗を諦めず、魔術牢の幻死痛ですら抵抗をやめさせることはできなかった。危険度はこれまで収監されてきたもののなかでも過去最高といえるほどだ。それを魔術牢の外へ出すことなど考えられなかった。

「ですが、いずれは外へ出すことになるはずです」

「……死体としてな」

 狂暴犯罪者は特別法によって魔術牢内での処刑が認められることがある。裁判の出席さえ困難である場合は本人不在で判決が下される。これは司法の敗北として批判されることも多い。所長はすでに彼女をこのケースに該当するものと考えていた。

「彼女には逃走中の仲間がいます。彼をなんとしても捕らえねばならない」

「知っている。だが危険だ。許可することはできない」

「ではこちらを」

 訪問者――岡島は書類の束を手渡す。それは作戦立案書だった。

「一応目は通してみるが……ん?」

 注目すべきは表紙の署名にあった。

「ラガルド・ユーサリアン将軍……?!」

 彼が被造物クリーチャーであり、軍に潜入していたことについてはまだ周知されていない。英雄の名を目にした所長はより真剣に立案書の内容に目を通した。

「騎士8名に獅士20名の警備か。なるほど」

「収監者の移送も、こちらで空間歪師を有しています」

「本来なら賛同しかねるが……、ユーサリアン将軍の承認があるとなってはな……」

「あとは所長の許可だけで手続きは完了し、作戦は実行に移せます」

 所長は眉間を押さえ、しばらく考えてから答えた。

「わかった。許可しよう。だが、一つ条件がある。収監者の移送に際し、拘束状態を改定させてもらう」

 すなわち、両脚も切断する。一度収容した狂暴犯罪者を逃すわけにはいかなかった。

 あとはその処刑日時と場所が逃走中の犯人――エオスに伝わるよう宣伝する。作戦の実行は、三日後だ。


 アリンダは生きる気力を失っていた。

 だが、思考の暗闇の中で自身にはまだすべきことが残っていることを思い出す。

 エオスはうまく逃げ延びたのか。まだ生きているのだろうか。

 尋問官と相対する場面があった。こちらからの質問は弱みを見せることになる。だが、彼の尋問内容からおおよそ知りたいことは察することができた。

 彼は隠れ家の位置を尋ねた。エオスを捕らえるためだ。すなわち、彼はまだ生きている。

 ならば、私の生存は彼にとって重荷となるだろう。この状態でできること、為すべきことがあるとすれば、それは自殺だ。が、これほど過酷な状態にありながら死には遠い。脳と心臓の同時破壊。身動ぎ一つできない状態では夢のようだ。彼女は自らの不死性を恨めしく思う。

 騎士団は強い。なにより連携の練度が高い。「戦力比が1:4を超える場合は、奇襲などの戦術的優位がないのであれば勝機なしと判断し即座に撤退せよ」というのが父の評価だ。それを1:8で相手取った。10分くらいは粘れただろうか。

 最低限のお仕事はできた。だが、あの場で死ぬこともできずに、こうして囚われてしまっている。

 まさか――と思う。まさかとは思うが、彼は私を助けようなどと考えはしまいかと。

 いくらなんでも彼がそこまで愚かとは思えない。しかし、自身がそれを一縷でも望まないかといえば――、否定しきれない我が矮小さに腹が立つ。

 生存してしまった彼女がなにより危惧したのは、自身を人質として利用されることだ。だから彼女は、手のつけられない狂暴な犯罪者を演じた。彼女が無駄な抵抗を続けたのはこのためだ。看守に恐怖を植えつけ、ここから出してはならないと思わせるため。可能であれば、速やかに処刑させるためだ。

 だが、まだ看守の一人も殺せていない。あまりに手緩い。それどころか――。

 そうだ、忘れていた。

 父の死を知らされてしまったために放心していた。自分がなにをしていたのかを忘れていた。彼女は再び抵抗を試みる。今一度彼らに知らしめなければならない。お前たちがここに捕らえているのは、生かしてはならない怪物なのだと。

 そんな彼女の想いも、踏み躙られることになる。

「久々の外へ連れてってやる。青空、見たくないか?」

 魔術牢の檻が開く。訪ねてきたのは騎士団だ。

 やがて彼女からは、死ぬ理由すら奪われるだろう。

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