13.

 エオスにはやるべきことが複数あった。

 最優先はこの場からの撤退。アリンダが命を賭して足止めしている。これだけは絶対だ。

 しかし、それだけでは足りないという思いもある。なぜニサは裏切ったのか。計画は露呈してしまったのか。まだ立て直しは可能か。なぜ父と連絡が取れないのか。父はどうなったのか。

 そして、それらの答えに繋がるであろう小さな疑問。

「お前は誰だ」

 突如騎士団に合流した謎の集団。おそらくは、すべてあそこから狂い始めた。いや、違う。作戦開始が早すぎた時点でおかしかった。あるいは父と連絡が途絶えたあの日から。いずれにせよ、こいつらはなにかを知っている。こいつらが我々の計画を狂わせた。エオスはそう直感した。

「教えません」

 それが少女の答えだ。

「だろうな。そうだろうな」

 エオスは笑った。苦笑せざるを得なかった。このままなにもわからぬまま終わることなどできない。目の前の少女一人、足止めを担当するには相応の実力者だろう。手にしている武器はただの鉄棒――馬鹿にしているのかと投げかけたくなったが、エオスはすぐに己を諫める。一人で向かってくるからには弱いはずがない。油断はできない。ある程度痛めつけて情報を吐かせる。そんな欲も出たが、優先順位を誤ってはならない。すぐに殺す。さっくりと殺す。道を開けさせ、別の拠点で態勢を整え直す。今はそれが最優先だ。

 エオスは構える。左手から赤黒い刃を形成する。

 一方、目の前の少女――リミヤは、棒を使い自らの周りに直径1mほどの円を地面に描き始めた。

「私はこの円から出ませんので」

「はあ?」

 挑発か。それとも罠か。そのまま言葉を信じるなら、横を駆け抜ければ済む話だ。だが、彼女の役割は足止め。それどころか殺すつもりでいる、とまで彼女は言った。であれば、攪乱か。矛盾する言動で混乱させこちらの警戒を誘い、時間を稼ぐ。

 可能性は複数あった。その言動から誘われているであろうこちらの行動は三つ。「①円を無視して逃げる」「②円の外から攻撃する」「③円に入って攻撃する」――最も想定として可能性が低いと思われるのは、③だ。

 エオスは、地を蹴った。まるで風のように、リミヤへ間合いを詰め、赤黒い刃で斬りつける。それを、リミヤは鉱鉄棒をもって完璧なタイミングで弾き返した。エオスは再び距離をとる。

 ――読まれていた?

 仮にそうだとして、人間を超えているはずのエオスの攻撃に対応する、それだけで驚嘆だった。騎士団の一員ではない、しかし騎士に相当する実力者か。騎士団は皇国最大戦力だが、それは20人以上というまとまった集団でこその話。他に個人レベルで騎士相当の実力者が軍に、あるいはそれ以外の機関にいてもおかしくはない。

 攻撃は弾かれた。だが、それだけだ。もう一度、次は別の軌道で、フェイントを混ぜながら。しかし同様に、これもまた弾き返される。だが、やはりそれだけだ。反撃しようという素振りすらない。

 ――上手く乗せられてしまったな。

 明らかな時間稼ぎ。あるいは、「円から出ない」のではなく「出られない」、「円の内だけ魔力が向上する」といった類の強化魔術かなにかか。その可能性もあった。で、あるなら、攻撃に容易く対応されるのも納得がいく。一分に満たない時間だったが、これ以上付き合ってやる義理はない。

 エオスは駆ける。三度目の攻撃に見せかけ、急速転換、側面へ。リミヤを無視して駆け抜ける。敵に背後を見せることを厭わずに。

 その背後を、リミヤは見逃さない。

 初のリミヤからの攻撃。エオスは振り向き、これを防ぐ。リミヤは当たり前のように円から出てきた。結局、大して意味のないブラフだったのだろう。が、それは被造物クリーチャーと互角に戦えるだけの力を円とは無関係に有していることも意味した。

「円から出ない、ってのはなんだったんだ?」

「教えません」

 攻撃を受け、不利な体勢にあったエオスは距離をとる。

 一方、リミヤは無造作に棒を振った。すると手品のように、その穂先が斧へと形を変える。ようやく得物が武器らしくなり、おそらくはここからが本気なのだろう。

 エオスは右拳を前に翳した。手のひらを開き、リミヤは思わず目を合わせてしまう――その掌眼と。

 付与された効果は麻痺。時間にして0.2秒、リミヤの全身は硬直する。命を奪い合う戦場では致命的な隙。エオスの遠隔斬撃がリミヤの胸部から腹部にかけて直撃する。

 後退。間一髪。傷は浅い。が、エオスは与えた傷をその程度では見逃さない。深化を付与、傷は意志を持った病のように、より深く、リミヤの身体を深く蝕む。自己回復魔術で対抗しなければやがて致命傷へ至るだろう。しかしその余裕はない、とリミヤは判断した。

 斧と化した得物を振り上げ、エオスに迫る。重い、しかし大きすぎる動作は容易く躱される。斧の一撃は代わりに大地を割った。そして、それこそがリミヤの攻撃だった。地の底より、大地を突き破って巨人の腕が召喚される。それはエオスを掴み、握り潰した。

 リミヤは膝をつく。即座に傷の深化を止めるべく処置を施す。巨人の腕はぎりぎりと拳を握り締めている。強く、力強く、圧し潰さんばかりに。

 が、この程度で終わる相手のはずがない。リミヤは自己回復を重ね掛けする。数瞬でも放置したためもあるだろうが、施された深化の付与は想像以上に重い。巨人の拳を、注視する余裕さえないほどに。

 巨人の拳が軋む。内より光が漏れる。そして弾ける。そのとき放たれた光の槍が、リミヤの右脇腹を貫通した。

「あぐっ……!」

「外したか」

 拳を破壊されただ一本の柱と化した巨人の腕に、エオスが立つ。全身を圧し潰され圧迫され、出血し、骨は微細に砕け、皮膚は黒ずみ、全身のあちこちが損傷していた。が、みるみるうちに傷は癒えていく。被造物クリーチャーは標準的に不死に近いほどの再生能力を有している。そのためだ。

「驚いている。これほど強い人間がいたことに。一対一でここまでされるとは思わなかった」

 遊んでいる暇はない。アリンダがいつまで保つかわからない。一人でこの戦力を有する相手に加え騎士団が増援に来たのなら、勝機は万に一つもない。

 増援を望まないのはリミヤも同じだった。戦闘の最中に突如「一対一」が崩されては、力を急激に失うおそれがあった。その一方で、ある程度時間をかける必要もあった。「一対一」という状況設定は無支援状態での戦闘継続が長く続くほどに確度が増していく。被造物クリーチャーほどの敵を相手にするには少なくとも10分以上は時間をかけておきたい。だが結局は、増援が来てしまえばそれも元も子もない。

 両者の利害が一致する。すなわち、これ以上時間はかけられない。

 エオスは右手からも赤黒い刃を形成する。掌眼は使えなくなるが、近接格闘では麻痺の付与くらいしか役には立たない。それはもう通じないだろう。先の麻痺からの復帰の早さを見るに、敵は掌眼のことを知っており、対策もしている。おそらく麻痺避けの付与を施した装備でも身に着けているのだろう。

 エオスも傷を負っている。だが、急速に癒えつつある自身に対し、相手の傷はもっと深い。エオスは自身の傷の回復を待たずに敵へ迫った。両手に刃を、己のすべてを攻撃に転じて。

 目まぐるしいほどの攻勢。止むことなく、無呼吸で、四方八方から命を刈り取らんと刃が迫る。絶え間のない攻撃の嵐。リミヤはかろうじてこれを防ぎ続ける、が、いつ致命傷を受けてもおかしくはない。そんな危機的状況に陥るほど「一対一」の強度は増していく。リミヤは強引に反撃の隙をねじ込む。得物を杖代わりに、エオスの腹部に蹴りを叩き込んだ。

 同時に、後退する。リミヤは息も絶え絶えに、杖代わりの斧に体重を預け、立つのもやっとの様子だった。

 一方で、大して痛くもない蹴りを受けただけのエオスは、そんな敵を前に焦り、戸惑っていた。

 いくらなんでも強すぎる。たった一人で被造物クリーチャーと互角に戦える人間など想定にない事態だった。むろん、そのような人間が存在する可能性はゼロではない。たとえば、凪ノ時代に「厄災」とまで呼ばれた魔術師キールニール。父の研究はその厄災に対抗するためのものでもあった。だが、仮にそれほどの実力者が存在するなら、それを知らぬはずがない。「力を隠す」という理性的判断と狂気を源泉とする「強大な魔力」は両立しがたいものだ。巨大な力を持つものはそれを誇示せずにはいられない。そのはずだ。そして、この現代に被造物クリーチャーと一対一で敵う人間は存在しない。ましてや上回る存在などあるはずがない。偉大なる父もそう判断していたはずだった。

 その逡巡は時間にして数秒にも満たなかったが、リミヤに形勢の立て直しを許した。リミヤは再び斧を無造作に振る。その穂先は斧槍へと変化した。

「……芸達者なことだ」

 エオスの頬に冷汗が一筋流れる。自身の負った傷はすでに完治しつつあり、対するは満身創痍の少女。にもかかわらず、エオスは自身が追い詰められているかのように感じた。

 早く終わらせなければならない。騎士団の増援が来るからではない。このままでは目の前の少女に斃されかねない。明確な根拠はなかった。だが、本能が脅威を察していた。

 遠隔刺突。リミヤは宙に槍を突き、接近戦をいやがるように連続して遠距離攻撃を繰り出す。命中は期待していない、ただ回復までの時間稼ぎを意図した攻撃。エオスはこれを躱しながら次の手を考える。再び詰め寄れば今度こそ仕留めきれるか。それとも――。

 リミヤは斧槍を持ち直す。点から線へ。攻撃のパターンを変え眩惑する。斧槍を縦に振り下ろし、遠隔斬撃はエオスの右腕を斬り落とした。

「ぐぁっ!」

 これにはエオスも怯む。が、被造物クリーチャーであるエオスにとってこの程度は大した傷のうちには入らない。彼は即座に左手で術式を組み右腕を再構築する。リミヤからの追撃はない。回復に専念せねば動けぬほど損耗していたからだ。

 エオスの方が早い。喪失した腕の修復というおよそ人間には不可能な芸当を容易く、素早く、こなしてしまう。リミヤの怪我は完治には程遠い。というより、もはや戦闘中の自己回復では完治は望めないだろう。

 腕を再構築するとなれば相応に魔力は消耗する。だが、斬り落とされた右腕はリミヤの戦果ではない。エオスが断たせたのだ。構築した邪魔な刃を自然に捨てるために。

 エオスが仕掛ける。左腕を振り上げ、地に向け、爆発系魔術を炸裂させた。辺りを覆いつくすほどの土煙が巻き上がる。リミヤはその視界を完全に閉ざされた。夜闇と土煙で、もはやなにも見えない。

 一方、エオスには見えていた。刃を捨て、再構築された右手には掌眼が見開き、土煙のなかでもすべてを見通していた。

 リミヤの背後へ。リミヤは土煙に映るわずかな影に気づき、振り返る。だが、すでに遅すぎた。

 エオスの刃が、先の斬撃と重ねてX字を描くように、リミヤの肉体に深い傷を刻み込んだ。

 エオスは笑った。勝利を確信して。

 リミヤも笑む。鮮血を撒き散らしながらも、不敵に笑んだ。まるで勝利を確信したかのように。その目線は、エオスではなくその背後を見ていた。

 勝ったはずのエオスから、笑みが消えた。

 後ろになにかいる? 増援か? それとも――。

 その一瞬の誤認をつき、深手を負ったはずのリミヤは煙のように掻き消えた。そして実体は、エオスの背後へと顕現する。

 斧槍を大きく振りかぶって。

 左足に体重を確かに踏み抜き。

 エオスの首を刎ね飛ばした。

 土煙が晴れる。リミヤは膝をつき、糸が切れたようにその場に倒れた。

 幻現魔術。エオスがリミヤに致命傷を与えたその瞬間まで、それはたしかに実体だった。ゆえに、傷は深く刻まれている。鮮血が大地に広がり、染み込んでいく。

 リミヤには、もはや動く力は残されていない。傷が深く、なにより失血量が多すぎた。持ちうる魔力をすべて回復にあてても、もはや死をわずかに遠ざけることしか叶わぬだろう。

 だが、エオスは倒れない。首を失ったエオスの胴体は、左手から刃が零れ、切断面から血を溢れさせながらも、まだ倒れずに立っている。そして胴体から切り離された首も、まだ意識を失ってはいなかった。

 首を求めて、エオスの身体が歩き出す。首を斬り落としただけでは被造物クリーチャーは斃せない。同時に心臓を潰さなければ復帰することさえある。薄れゆく意識のなか、リミヤはそんなことを思い出した気がした。

 エオスの肉体が両手で首を拾い上げる。そして慎重に元の位置へ戻す。血が凝結し、切断面が癒着していく。ゆっくりだが確実に、脈を打ちながら、骨、筋肉、神経系、血管、食道、気管、魔力供給系、皮膚、すべてが糸を辿るように接合していく。やがて両手の支えもいらなくなり、エオスは傷口の瘡蓋を軽く掻いた。

「……死ぬかと思った」

 そして振り返る。その顔は、敵に向けるものとは思えぬ穏やかな表情を浮かべていた。

「本当に驚かされている」その言葉は、敬意から出た賞賛か。

「父の計画は、お前のような存在のために狂ってしまったのか?」そして、ゆっくりと歩み寄る。

「いずれにせよ」左手に再度刃を形成し、振り上げる。「二度とあんたとは戦いたくねえ」


 どこからか放たれた遠隔斬撃が、それを阻んだ。


「大丈夫か!」

 団長カリス・フィールドである。

「くそ、追いつきやがったのか……!」

 エオスは踵を返す。なりふり構っている場合ではない。全速力で駆け、背を向けて逃げ出した。

「逃がすな! 追え!」

 騎士団は次々にそのあとを追う。

 うち、団員の一人がリミヤに駆け寄り介抱する。治癒魔術――国家魔術師のなかでも指折りの技能を持つ彼の力を持ってして、リミヤはかろうじて一命を取り留めた。

「リミヤ!」

 後から追いついた岡島もリミヤのもとに駆けつける。傷だらけで倒れるリミヤを前に、悔恨と悲壮とが入り交ざるように顔を歪めた。

「……すまない。騎士団が想定以上に強かった。8人がかりでアリンダはすぐに倒され、騎士団はエオスを追い――」なにをいっても言い訳がましい。岡島は言葉を切った。

「いいえ、違います」リミヤは小さく口を開き、消え入りそうな声で告げた。「室長のせいじゃありません。私、勝てませんでした。助けがなかったら、私は……」

 岡島は、最悪のタイミングで増援が入り「一対一」が崩れたためにリミヤが倒れているのだと考えている。そして、それは騎士団を止められなかった自らの責任だと。リミヤは、せめてそれだけは訂正したかった。

「だが、これは俺の――」判断ミスだ、と声をかけるのも、残酷であるような気がした。ならば、かけるべき言葉は一つしかない。

「心配するな。エオスは必ず俺が捕まえる。お前の働きは無駄ではない。我々はまだ敗北していない。だから、今はただ休め」

 そして岡島はリミヤの介抱を治癒魔術担当の騎士と、他の部下に任せて、戦いの跡を歩き回る。なにかを探していた。そこで岡島が回収したのは、エオスのものと思しき血痕と毛髪、そして断たれた右腕だった。

 その意味を、レグナだけが理解した。

「まさか室長……!」レグナは声を荒げ、呼び止める。「まさか、病学院を頼るおつもりですか……!」

 岡島は後ろを向いたままそれに答えない。

「室長!」

「……なにか悪いか」

 重い沈黙の後、低い声でそう答えた。

「ですが、あの場所は……」

「相手が相手、状況が状況だ」やはり振り返らず、低い声で岡島は応える。「手段を選んでいる場合じゃない」

 それに対しレグナはいったん言葉を飲み込み、しかし、やはり問わずにはいられなかった。

「……娘を、傷つけられたからですか」

 岡島はそれを聞き、拳を強く、強く握り締めた。岡島の怒りの炎は、静かに、青白く燃えていた。

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