10.

 42年前。彼は5歳の少年として発見された。

 戦争によって両親を失い、故郷を失った、虚ろな目の哀れな少年。彼はそんな設定を演じていた。

 少年と呼べるのはその姿だけ。実態はすでに200年以上の時を生きる、人間ですらない存在。体積や質量ですら無視する恒久的な変容魔術。それが彼の固有魔術だった。

 そうして彼は、誰からも疑われることなく人間社会に潜入した。

 彼は自らの能力を隠さなかった。幼いうちから類稀なる知力、体力、魔力を見せつけ、神童として持て囃された。リーダーとしての才能。喧嘩の仲裁。大人たちですら彼が子供であることを時折忘れるほどだった。

 そして、その噂を聞きつけたユーサリアン家より孤児院から引き取られ、彼は養子となった。

 ラガルド・ユーサリアン。彼の人間としての名が確約された。

 彼は歳を経ることに手動でその姿を更新し、順調に「成長」していく。

 14歳。ノイマン魔術学園を首席で卒業。

 18歳。アイゼル陸軍学校を首席で卒業。陸軍に入隊し、士官となる。

 ラガルド・ユーサリアンにとっては人生の船出、被造物クリーチャーゲフィアンとしては二度目の軍役。今回の本番に備えて「以前の人生」でリハーサルは済ませていた。

 その知識と経験。判断能力、指揮能力、魔術能力、運動能力。教養に富み、社交性も高く、容姿まで整っている。なに一つ欠けることのない完全な人間。彼を知るものは口を揃えてそういう。伝説的な軍人ラギエ元帥の再来だと評するものもいたが、その実同一人物とは誰も夢にも思わなかった。

 彼はただ正体だけを隠した。その固有魔術と、騎士さえをも上回る単純戦力を。

 目立ちすぎるというリスクを犯しながらも、彼は目標とする地位に就くことを最優先した。彼は決して焦ってはいない。ただ自らの能力を見せるだけだ。結果、周囲からの厚い信頼を得ながら、トントン拍子に出世を重ねていく。

 27歳。噴煌に伴い特異狂暴魔獣が複数出現。六カ国合同作戦が展開され、彼も部隊の指揮官として参加。その功績により蒼星章を授与され、続くオブスキュラ内戦で武功勲章を受賞する。戦後は2年ほど士官学校で教官として教鞭を執った。

 その間に彼は結婚し、不妊体質ゆえ子をなすことはなかったが、養子を一人迎えている。

 35歳。度重なる功績によって、ついに当時最年少の将官となる。その後のヴィシュニュウ戦争では参謀として殊勲章、そして歴史上でも生前の受賞者は数えるほどしかない最高の栄誉である千年勲章を受賞している。

 また、メフィ沖で発生した第二艦隊海上輸送任務中の神獣遭遇事故では、陸海軍の枠を超え率先して救難活動に当たった功績も知られている。

 一から人生を演じ切り、非の打ちどころのない経歴で彼は陸軍将官の地位までの潜入を果たす。それどころか彼は多くの士官から絶大な信望を得ていた。仮に、なんの前触れもなくクーデターを企てたとして、彼らは疑いなく彼を支持するだろう。

 彼の任務は軍の監視と国内の情報収集による計画の失敗因子の排除。

 なくてはならない役割というほどではないが、重要度は高い。偉大なる父の存在とその計画が知られることは絶対に避けなければならないからだ。

 計画の最終段階では永続海底研究都市を占拠する。その段階まで至れば確実に計画は露呈し、軍が動く。ラグトル全的支配の最終工程には時間がかかる。そのときに軍を抑えるのが彼の役目だ。

 二度の人生による二度の軍役。軍の内情は知り尽くしている。以前の人生で設立を促した情報機関〈風の噂〉も成長し、軍は作戦立案に対し〈風の噂〉のもたらす情報に大きく依存するようになった。

 45歳。情報機関〈風の噂〉14代目長官となる。

 なにもかもが計画通りに、すべてがうまくいっていた。


 ***


 第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼル公邸。

 岡島は二日連続でこの場所を訪れた。ただし、同席する顔ぶれはいくらか異なる。皇子、岡島、レックは変わらずに、今回は念のための護衛としてリミヤも連れ、レグナは万が一に備えて外で待機。ほか、同室している近衛隊は12名である。

 そして、招く相手は〈風の噂〉長官ラガルド・ユーサリアンだ。

「はて、私は殿下に招かれたものと思っていたのだが」

「失礼します長官。実は、用件があったのは私の方なのです」

 ここからは岡島が長官に対面する形となる。

「ふむ? 君が私に? なぜ殿下を介して?」

「内部犯罪調査室が設立された理由を考えればわかるかと」

「いや、わからんな」

 霊信:1。嘘ではない。少しずつ探りを入れていく。

「三日前、竜口湾沿岸で起こった騒ぎはご存知ですか」

「竜口湾……ああ、耳にはしているな。詳しくは知らんが」

 霊信:1。嘘ではない。

「我々はそれを隕鉄事件と呼び、捜査を進めています」

「隕鉄? ああ、たしかそのような名称で呼ばれるようになったらしいな。その件でなにか?」

 霊信:1。嘘ではない。

 ここまで怪しい素振りはない。レックの偽証看破にのみ頼るのではなく、注意深く長官の表情を観察する。彼はまだ、ここからどう話が転がっていくのか理解できていない様子だ。もっとも、彼は40年以上前から人間を騙し続けている演技派。岡島程度の洞察力がどこまで通用するかは未知数である。

「ん? どうした。その隕鉄事故がなにか?」

 長官は話の続きを促す。自然な反応だ。岡島は核心へ迫る決心をした。

「その現場で、我々は国家規模の魔術工房を発見しています。そして二人の死体も」

「ふむん……?」ぴくり、と眉が動く。長官にわずかな表情の変化があった。

「それは、創死者デュメジルとその秘書、被造物クリーチャーフローラの死体です」

「――!」

 長官の表情が激変する。息をのみ、瞳孔を開き、身体は硬直する。時が止まったかのように、長官は呼吸すら忘れていた。そして汗が、ダラダラと流れ落ちる。

「な、に……?」

 顔を伏せ、絞り出すかのようなか細い声で嗚咽し、世界の終わりを見たかのように表情を曇らせていた。

「当然、あなたの正体も把握しています。ラガルド・ユーサリアン、またの名を被造物クリーチャーゲフィオン」

 また、時が止まる。長官は俯いたままぴくりともしなかった。

「よって、長官。あなたを逮捕します」

「……罪状は」顔を伏せたまま、ようやく長官は口を開く。

「陰謀罪。未遂とはいえ、このおそるべき企みに加担していたというだけで長官は罪に問われます」

「まだなにもしていない……できていないというのに……」

 それは釈明というより、悔恨の声に聞こえた。

「偉大なる父が死んだ……? 亡くなっ、そのはずは……これはなにかの……違う、それも……」

 独り言だった。おそらく、脳内で複雑なパズルを組み立てているのだろう。隕鉄事件。岡島が創死者の名を知っていること。計画についても。さらにはこの場所。わざわざ第三皇子を介した理由。定期連絡の不通。そして贄木の死。すべてが繋がる。

「長官、抵抗は考えないでください」

 岡島は立ち上がり、拘束錠をかけようとする、が――。

「待て、岡島」長官に制止される。「……お前も甘いな」

 顔を上げ、普段通りの声に戻る。それどころか邪気すらも含まれているようだった。

 それはまるで、本性を現したかのように。

「情報を得てはいてもその分析がなっていない。公邸に配備された近衛隊100名……いや、それ以上か。これで私を抑えたつもりか? 私は人間ではない。その私が、殿下の御前だからと……そんなことを気にすると思うか?」

 空気が、震える。

 見ていただけの皇子も名指しされ思わずたじろぐ。全身に針を刺されるような、ただならぬ威圧感。人ならざる魔力。岡島は身震いし、冷や汗を流す。リミヤも捕食者を前にしたかごとく気圧されていた。近衛隊は警戒を強め、一斉に武器に手をかける。だが、震えを止めることはできない。部屋中の人間が死を予見していた。

 霊信:2。だが、それは偽りだ。

 岡島は片手を上げ、警戒を解くよう指示する。

「……なぜそのような嘘を?」

「嘘だと思うか? 偉大なる父を亡くしたのだ。たとえここで討たれるとしても、自暴自棄に暴れ回る。そういう行動をとるとは考えないのか?」

「長官はそのような短慮な方ではありません」

「どうだろうな。少なくともそう演じてはきたが」

「では、先ほどの嘘は?」

「近衛隊の警戒度を上げることで気配を殺しているものも含めた正確な数を把握したかっただけだ。120といったところか。その技量も。なるほど、包囲網は完璧だな。これではさすがに逃走は不可能だろう」

 霊信:1。嘘ではない。

「さて、君は私を逮捕するといったが、私はまだなにもしていない。父が亡くなった今、これからなにかするということもない」

 先の狼狽が嘘のように、長官は落ち着きを取り戻していた。

「なにもしていない? では、セーヴァ基地の襲撃事件は?」

「あの件に私は一切関わっていない。エオスとアリンダ、あの二人の仕業だ。ニサも関わっていたかな」

「得ていた情報を故意に秘匿する行為は“なにもしない”には含まれません」

「情報を得てもいない。我々は互いにそれほど密接に連携しているわけではない。最低限の情報しか共有していないのだ。私も、あの段階で尻尾を出すわけにはいかなかった」

 ここまですべて霊信:1。嘘はない。

「私はこれまで軍に、陛下に、皇国に尽くしてきた。本心が別にあったとしても、これは事実だ」

 胸に飾られる四つの勲章はその功績の重さを物語る。

「存じています」

「この私を逮捕するとなれば、その影響力は計り知れない」

「それは脅迫ですか」

「判断材料の一つを提供したまでだ」

「それで、なにもしていないから見逃してほしいと?」

「いや、なにかするから見逃してくれということだ」

「……なにかする、とは?」

「他の被造物クリーチャーについて情報を提供する」

「先ほど密接に連携しているわけではないと」

「“それほど”だ。まったくというわけではない。計画は最終段階に差し掛かり、これからすることを見過ごせば君にとっても皇国にとっても私を看過するという選択肢は到底あり得ないものになる」

「見逃すという確約の代わりに情報を提供すると?」

「そうだ」

「残念ながら、我々はすでに計画について詳細な情報を得ています。首謀者自身によるものですから、おそらくはあなた以上の。あなたの協力は必要ありません」

「状況は刻一刻と変化するものだ。……偉大なる父の死など、その計画にあるはずはないのだから」

「我々の知らない重大な情報をあなたは持っていると?」

「そうだ」

 ここまでもすべて霊信:1。嘘は一つもない。

 これは想定していた展開の一つではある。だが、それはあくまで被造物クリーチャーの精神構造を人間と同一視した場合のものだ。実際に想定される被造物クリーチャーの精神性からすれば考えづらい言動である。彼らは共通して創死者を「偉大なる父」として崇拝している。それは絶対的な信仰であり、彼らのすべてだ。

 贄木=ヒギエアは自殺した。おそらくは絶望のあまり。そうでなかったとしても、残された被造物クリーチャーに生きる意味があるとは思えない。少なくとも彼ら自身はそう思うはずだ。

 だが長官は――被造物クリーチャーゲフィオンは、この期に及んで絶望していないように見えた。生への執着すら感じさせる。これはあまりに奇妙だった。

「悩んでいるな。だが、あまり悠長にしている暇はないと忠告しておく。事態は今現在まさに進行している最中だ」

「……まるでタイムセールのような物言いをなさりますね」

「事実だ。まあ、初回無料といこう。父の計画書を入手しているなら、騎士団の無力化作戦についてはすでに知っているな? 本来の予定ではこれは一週間後に実行されるはずだったが、私の独断でこれを急遽早めた。不通になった父からの連絡を期待してな」

「……つまりそれは……!」

「60年以上前から暗躍する麻薬組織がある。これは二人の被造物クリーチャーが運営するものだ。軍は長年この組織を追っていたが、ついに〈風の噂〉がその本拠地を突き止めた。ここに騎士団が急襲をかけることになる。仲間のうちに被造物クリーチャーが紛れているとは知らずにな。私はなにもしていない。なにかしたのは今しがただ」

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