9.
「ヌフ。資料の整理はまだかかりそうか?」
岡島は仕事中のヌフに尋ねる。ヌフは仕事を続けながら片手間に答えた。
「まあね。量が膨大だから。今は複写中。やたら難読の癖字だったり、かすれて微妙に読めなかったりするのも補完してる。あ、内容にはぜんぶ目は通してあるよ」
「そうか。なら、一つ確認しておきたい」
「なに?」
「デュメジルは、自身の残した計画書や日記から情報が漏洩することを危惧するような節はあったか?」
「んー……」ヌフは記憶を辿るように少し考える。「どうだろう。まったくない、というわけでもない、くらいかな。まさか自分が死ぬなんて思ってなかっただろうけど。もとより秘密主義を徹底させていたし、自分ですら部下の活動をすべて把握していなかったし、すべて把握しようともしなかった。これは彼らと霊信でやり取りしていたせいもあるんだけどね。あまり長大なやり取りには向かないし、長大なやり取りは傍受の危険性もある。そいや、なんかそれっぽい傍受記録はあった?」
「なさそうだ。ノイズと区別が難しいレベルに控えていたということだろう。霊信といえば……、そうだ。たとえば、彼は自身が死亡するなどの非常事態が発生した際、部下に自動で緊急送信するような仕組みを用意していたりはしなかったか?」
「聞きたいこと一つじゃなかったっけ?」
「追加注文だ」
「ラストオーダーね。そんなん別にないと思うよ。というか、隕鉄事故で霊信装置もいっしょに壊れてたんじゃなかったけ?」
「念のためだ。この優位が失われては話にならん」
「ま、明日なわけだしね。室長も緊張してる?」
「かもしれん。で、リミヤは?」
いよいよユーサリアン長官との面会が明日に迫る。その日リミヤを護衛として連れていくために、そして今後についてもあるのでリミヤと話す必要があった。
「地下の訓練室じゃない? いちいち絡んできて仕事の邪魔だったから、訓練でもしてればって追い返したから」
岡島は「なるほど」と頷き、地下へ向かった。
そこではリミヤが一人訓練に励む声が聞こえた。遠くから様子を見るに、遠隔刺突の精度を高めているといったところだろう。訓練室はそれなりに広く、ダミー人形や対人戦闘訓練のための格技場、魔術書の類も多数取り揃えてる。その主な利用者はリミヤだ。
リミヤはあれで、実のところ勉強熱心で努力家だ。体系化された汎用魔術の知識なら一通りあるし、かなり幅広く習得もしている。それでいて新しく魔術を覚えることに余念がない。やれといれば「今やろうと思ってたのに」と拗ねるが、言われずとも自主的に訓練している(今回はヌフにいわれたようだが)。リミヤが軍で正式な訓練を受けていないにもかかわらず獅士相当の実力があるのは、優れた才能だけでなくこの努力のためだ。
「リミヤ、今後について話が――」
「こっちだよ」
後ろからの声。振り向くと、そこにリミヤ。再び訓練室を見るが、そこにリミヤの姿はなかった。
「? なにをした?」
瞬時に後ろへ回った、かのようだが、声をかけられたときにはたしかにリミヤは目の前にいたはずだった。
「わかんないのー。げんげんだよ。幻現魔術!」
「あー、この前お前がしてやられたといっていたな」
まったくの無警戒だったとはいえ、こうまで見事に引っかかるものとは思わず感心する。
「習得にはどれくらいかかったんだ?」
「んー、前々から興味はあったんだよね。でも、実戦じゃほとんど使い物にならないってのが一般的でさ。だけど、この前の演習でガッツリ嵌められちゃったから、くやしくなって。一回相手に使われたことで感覚が掴めてきたかなあ」
「使い物にならない? ずいぶん強力な魔術に思うが」
「んにゃ。そーでもないよー。幻影魔術についてもいえることだけど、この魔術の最大の弱点は“相手に幻影魔術がかかっているかどうか”わからないこと。感覚保護されてるとそれだけで幻影魔術って通らないからね。だから、非戦闘状態からの奇襲とか、そういう場合しかほとんど使えないと思う。幻現はさらに相手の誤認を決め打ちしないといけないから、大変!」
「うーむ、なるほど。掛かれば効果は絶大だが、掛ける方も相応に困難を伴うというわけか。それにしても、俺がお前からなにか教わることになるとはな」
「へへーん」
ヌフにしてもレグナにしても、なにかとリミヤを低く見ている傾向がある。が、リミヤが内部犯罪調査室における最大戦力であるのに疑問の余地はないし、リミヤは実際こうして頑張っている。そこで、ふと岡島は思いつく。
「そうだ、今度ヌフにも仕掛けてやれ。幻現魔術だ。見返してやれ」
「いやー、ヌフは……」リミヤは目を逸らす。
「ダメだったのか?」
「うん。遊んでる暇はないって」
「レグナはどうだ?」
「レグナも……」
「そうか……」
ここまでくると、逆に自分が鈍りすぎているのではないかと岡島は訝しんだ。魔術実戦から遠のいてもう十数年になる。
「幻影魔術かけるだけでも結構むずかしいんだよね……。たぶん、一瞬くらいは誤認してると思うんだけど、そのタイミングを見極めるのもむずかしくて……。幻影魔術使わないでハッタリでなんとかする方法もあるけど」
せっかく気分良くなっていたリミヤの表情が曇っている。岡島は話題を変えることにした。というより、リミヤを訪ねたそもそもの本題へ戻す。
「リミヤ。明日のことだが、お前にも同行してもらう」
「明日って、ユーサリアン長官の?」
「そうだ」
「あの人かあ」
リミヤも当然彼とは面識がある。そして、やはり信じられないといった様子だ。
「優しい人だよね。ごはんおごってもらったことあるし」
「そうだな。軍にいたときもそうだし、〈風の噂〉に入ったあともよく相談に乗ってもらった」
「魔術もいろいろ教えてもらったなあ」
「……俺にとっても恩師だったよ。あの人は、雲の上にいるような存在だった。だから俺は、あの人に話しかけられるだけで嬉しかった。まさか個人的な親交が持てるとは夢にも思わなかった」
ラガルド・ユーサリアンは英雄である。裏表のない人格者である。よき教師であり、指導者でもある。だが、あまりに完璧すぎた。それこそ、人間でないといわれれば信じてしまいそうになるほどに。
「あの人がいなければ今の俺はない。だが、……切り替えなければな」
今や彼は、敵となったのだ。
***
彼は不穏な気配を感じていた。
怪しまれるわけにはいかないため、あくまでいつも通りに振る舞ってはいるが、すぐにでも遠距離霊信装置の前に立ちたかった。大急ぎで必要最低限の仕事を終わらせ、彼は少し早めに帰宅することにした。秘書や部下に挨拶し、あとは任せて職場から発つ。この慌ただしさで特になにも言われないのは彼がこれまで積み重ねてきた人徳によるものだ。竜口湾の隕鉄事故だので部下は騒いでいたが、心底どうでもよかった。贄木氏の自殺は気になるが、耳に入ってくる情報は既知のものばかりだ。しかし、それこそが問題でもある。
家に帰れば妻と娘が出迎える。彼はいつもと変わらぬ笑顔でにこやかに応対した。
「どうしたの?」
そのはずだが、妻は心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
「なにか心配事でも?」
不覚だった。人間ごときに見透かされてしまうとは。
彼女とは長く過ごしてはいるが、たかが20年足らずだ。彼女が特に洞察力にでも長けているのか。
「いや、なんでもないよ」
気のないふうに答えて、食事を済ませる。いつもながら見事な栄養バランスだ。だが、味の方まで気を回す余裕はなかった。
「少し地下へ行く」
彼は自宅に地下室を持っていた。自らの魔力でしか開くことのない錠をかけた地下室だ。そこには私有の遠距離霊信装置がある。地脈を利用することで同じ装置を持つもの同士であれば国の端から端まで離れていても霊信が可能になる。むろん、装置の固有振動を知っていることが条件になる。
受信記録はやはりない。彼は再び送信するが、何分、何十分経っても返事はない。緊急時でなければこちらから送信することは認められてはいなかったが、今がまさに緊急時だ。しかし、依然として不通である。
「ニサ、いるか」
彼は他に唯一回線の繋がるニサへ送信した。返事はすぐに来た。彼女もまた装置の前に陣取っていたらしい。
「私は明日、計画を違えようと思う」
それは昨日も話したことだった。ニサからは簡潔に否定を表す返信が来る。
「彼らとも合流する必要がある。ヒギエアも死んだ。彼の館には捜査も入っている。自殺とのことだが……いや、自殺ならなおさらだ。なぜ彼は死んだ? 計画は狂い始めている。とにかく、このままではいられない」
霊信で送るにはやや難のある長文だった。ある程度簡略化し、分割して送信した。ニサからの返信も数分を要した。
「危険」「だが」細切れの霊信。最後の一文までさらに数分。「真相は知りたい」
こうして二人は意見の一致を見た。あとは決行のみだ。
十分に合理性のある判断とはいえない。だが、互いに焦っていた。他に手は浮かばなかった。
「私は間違っているか? しかし、ヒギエアが死んだ以上そこから計画が露呈していくおそれがある。彼の活動が一番目立っていたし、計画が漏れるとしたらまず彼からだろうという目算だった。さすがに証拠は処分していると思うが……」
父の計画でアクシデントが生じたのは、これまででただの一度だけ。
ヒギエアが死んだ以上、すでにそれ以上のなにかが起こり、狂いが生じている。その狂いがどれほどのものか見極める必要があった。
「あなた、こんなものが」
地下から出ると、妻は一通の手紙を手にしていた。先ほど使いのものがやってきて、彼宛てとのことらしい。差出人には「第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼル」の名があった。
「殿下から……?」
手紙の内容は食事の招待状だ。個人的に話したいことがある。一人で来てほしい。そんな曖昧な内容。しかも明日、あまりに急な話だ。彼の心境としてはそんな場合ではなかったが、相手が皇子殿下であるなら無下に断ることもできない。
それに、このタイミング。まさか、と思いつつ、藁にもすがるような、まさかなにかあるのでは、という思いが、心のどこかで浮き沈みしていた。
「ん? その使いのものというのは、まだいるのか?」
「ええ。返事を待っているとかで」
「お受けする、と伝えてくれ」
招待状の宛名は「ラガルド・ユーサリアン」。
明日、なにが起こるというのか。いやな胸騒ぎを抑えられずにいた。
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