8.
獅士魔術師暗殺未遂事件。
10年前に起こったその事件は、二度にわたり一人の獅士を暗殺するために不当な命令が下された事件である。
それは第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼルの私怨に基づくものであり、皇子といえ私的な目的で軍を動かすことは許されることではない。
岡島は友人のキース・クレイブス中尉(当時)より助けを求められ、その事件を追った。結果、皇子を追い詰め命令を撤回させることまではできたが、逮捕までには至らなかった。それは同時に〈風の噂〉の内部犯罪に対する脆弱性が露呈した事件でもあった。
この事件をきっかけに、皇王は二度とこのような事態が発生しないための対策を命じた。それが内部犯罪調査室である。すなわち、内部犯罪調査室とは皇子の持つ非公式な権力の監視を目的に設立されている。少なくともそれが主な任務である。むろん、岡島はこの組織をそれだけのために留めるつもりはなかった。
「やあ岡島くん! よく来たね」
第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼルはにこやかに岡島を歓迎した。少なくとも表面上は。
面会は皇子の公邸で行われた。門から屋敷まで徒歩5分。よく手入れの行き届いた庭を抜け、玄関ホールへ足を踏み入れれば左右対称の整った建築様式が出迎える。吊り下げられた無数のシャンデリア。深紅の絨毯の敷かれた階段。花の紋様を象った欄干。肖像画や名画の数々。さらには、 インテリアの一部のように多数の近衛隊が配備されていた。
どこを見ても煌びやかであり、息を呑むような装飾に彩られていた。歩を進めるたびに期待感を煽る建築家の工夫が凝らされている。岡島に同行する、こういった場に不慣れな二人は雰囲気に圧倒されていた。一人はレック。慣れない正装で落ち着かない様子だ。もう一人はノエル。言い方は悪いが、彼女こそが皇子に面会するための「手土産」である。
皇子は岡島に対していかにも気のよい友人のように振る舞いながら、ノエルに視線を移した。
美しい女性だ。整った顔立ちに、肉感のよい肢体。皇子は、10年前からなにも変わっていない。
あの事件は、当時獅士だったある女性に目を付けた皇子が求婚――側室に加えたいという申し出を拒絶されたことに端を発する。そのことを逆恨みにし、軍に命じ彼女を死地に向かわせる危険な単独任務に就かせたり、別の任務では事故死に見せかけ殺害しようとした。そんな馬鹿馬鹿しい事件だ。
その彼女も、今こうして連れてきたノエルも、皇子の好みを顕著に表していた。若くして獅士にまで登り詰めた女軍人であり、気の強そうな表情と鋭い眼光、そして――極めてわかりやすい言い方をすれば、巨乳である。主張の激しい乳房、豊満な尻、みっちりとした太腿。それでいて腰はくびれ、筋肉はよく引き締まっている。皇子はあからさまに見惚れていた。
「はじめまして。私は第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼル。岡島くんの友人だと聞いているよ」
「その、はじめまして……ノエル・コルセアです。獅士で、指揮階級は准尉で……」
緊張のあまり言葉遣いまでたどたどしい。ちなみにレックは無視された。レック自身も、この手の作法には心得がないためむしろ安堵している様子だ。
「ではこちらへ。最高の夕食を用意した」
皇子が案内のために背を向けたとき、ノエルは小声で岡島に尋ねる。
「あの、岡島さん。これはいったい?」
「ああ、君は特になにもしなくていい。皇子がなにか言ってくるとは思うが、対応は君自身に任せる。私と友人という設定になっていることを覚えていてくれればね。まあ、これもあまり気にする必要もないか」
まるで10年前の再現だが、一つ大きく異なる点がある。ノエルは空気が読めるということだ。
食堂で席に着き、用意された料理はオミモガモの丸焼きにタマネギやニンジンなどの詰め物をしたもの。盛りつけも美しく彩られている。最高級の食材に最高級のシェフによる最高級の料理。香ばしい匂いにノエルは目を輝かせ、数秒のタイムラグで我に返る。料理はシェフによって切り分けられ、皇国千年ワインがグラスに注がれる。これ以上はないというもてなしだった。
「ところで岡島くん、二人はどういう関係で? こんな美しい女性が知り合いにいたとは知らなかった」
「元は私の娘の友人、といったとことです。仕事で一緒になったこともありまして。先日、殿下の話をしたところ興味を抱かれたようです」
「え」ノエルにはなにもかも初耳だった。
「なるほど、話、ね……」あの話ではないだろうな、と言外に目が光る。
「殿下とこうして個人的に親交がある、という話ですよ」岡島もそれに応える。
「それにしても突然ですまなかったね。第三皇子ともなると実は暇なんだ。さ、遠慮なく食べてくれ。ノエル准尉の口に合えばよいが」
行動の早さ。その点は岡島が皇子を評価している点である。むろん、彼自身が興味を持っている事柄にかぎられるが。
***
「さて、岡島くん。話を聞こうか」
会食が終わり、ノエルも帰らせ、応接間に移る。ようやく岡島は皇子と本題について話すことができるようになった。面倒な手はずを踏むことにはなかったが、仮にも第三皇子だ。それだけの価値はある。
「……あの頃からなにも変わっていない。そう思っただろう」
これでいて意外と鋭いから困る。
「そんなことはない。私はあれから反省し、学習した。いきなりではダメなのだ。まずは段階を踏み、親交を深めなければならない。今回、私は確かな手応えを感じた」
成長といえばそうなのだろうが、興味もないので深く言及はしない。
「強い女軍人はそそる。違うか?」
聞かれても困る。
「強さを求めるなら美しさは損なわれよう。美しさを求めるなら強さは損なわれよう。その両立は奇跡なのだ。昼は強く美しい獅士として。夜は美しく強い女として。その二面を私にだけ見せる。想像するだけで滾るというものだ」
語られても困る。
「まあ、あれだけの逸材を探し当てた君のセンスは認めよう」
探し当てた。つまりは元から友人だった設定など見破られているということだ。特に隠すつもりもなかったが。
「で、なんだ。話とは」
ようやく話が戻った。また脱線する前にすぐ答えることにする。
「ある人物に対し、今夜と同様に会食の場を設けていただきたいのです」
「ほう。ある人物」
「その人物の名はラガルド・ユーサリアン大将。〈風の噂〉長官でもあります」
「ふむ?」
話の見えない皇子は続きを促す。
「彼のことはご存知ですか」
「もちろん。何度か会ったこともある」
「彼はある秘密を抱えています。心当たりは?」
「もったいぶるな。そこまで親しいわけじゃない。早く話せ。彼がなんだというのだ」
「心当たりはないと?」
「ない」
レックとアイコンタクトし、岡島は続けた。
「彼はいわばスパイです。他国の、ではなく、いうなれば人類全体の敵ともいえます」
「ほう!」
興味なさげに聞いていた皇子もこれには目を見開いた。
「たしかに彼は人間離れしたほどに有能な人物だった。しかし人類の敵とは。彼は人間ではないのか?」
「はい。その通りです」
「にわかには信じがたい話だな。私は彼ほどの愛国者は知らん。はっきり言って私以上だ」
「私も同感です」
一転、皇子は険しい表情を見せる。
「……つまらん政争に私を巻き込もうという魂胆ではあるまいな」
「滅相もありません」
「では私か? 10年前の清算でも?」
「まさか。失礼ながら、それどころではありません」
「それどころではない、か……。お前のいうことが事実ならそうだろうな。証拠はあるのか」
「こちらに」
岡島はヌフのまとめた報告書を手渡す。
「ふむ。ま、あとで読んでおくよ」
「いえ、今すぐにお願いします」
「今すぐ、ねえ……」
皇子は半信半疑という態度だ。無理もない。岡島ですらまだ信じたくない気持ちがあるのだ。
「別に殿下になにかしていただこうということではありません。ただ、彼を招待していただければよいのです」
「わからんな。証拠があるなら君が直接彼を訪ねればいい」
「そういうわけにはいきません。彼は人間ではない。その魔術戦闘技能は騎士を凌ぐものです」
「ほう……? たしかに彼は魔術能力にも優れていたが、せいぜい重士止まりではなかったか?」
「単に能力を隠していた、それだけです。ですので、万が一に備えて殿下の保有する兵力が頼りになります」
「近衛隊のことか」
近衛隊は通常、皇国軍の戦力には数えられない。彼らの任務はあくまで皇王ならびに皇族の警護にあるからだ。少数精鋭にて、その総員は1000名ほど。獅士に匹敵する術者はざらにいるし、元騎士さえも含まれる。彼らの「守ること」にかける執念はもはや狂信に近く、それこそが彼らの力の礎となっている。
「ざっと見たところ……常備兵は60といったところでしょうか。当日には少なくとも倍は用意していただきたいと思います」
「今がその倍だよ」
「え?」思わぬ言葉に岡島の言葉が詰まる。
「適当に鎌をかけただけか? それとも買い被りすぎか? いざという時に備えて近衛隊の多くは気配を殺して待機している。現在この館に配備されている近衛隊が120名だ。おっと、うっかり国家機密を口走らされてしまったな」
レックとアイコンタクトをとる。嘘ではないようだ。
「それは頼もしい。では明日。お願いします」
「ん? 明日?」
「はい。緊急を要しますので」
「忙しい男だな。しかし明日か」
「お願いします」
「要するに、この私を盾にしようというわけだろう?」
「不躾ながらそうなります」
「だが、ユーサリアン将軍の都合もあるだろう」
「殿下のお招きを断る理由はありません」
「彼が近衛隊120を前に暴れ出す痴れものだという本性を隠していなければよいのだがな。ところで、ノエル准尉とはまた会えるだろうか」
「よろしければ次は二人きりで」
「わかった。受けよう。私と君は友人だからな」
***
すべての用件が済み、彼らは本部へと戻った。長い一日だった。明日はもっと長い一日になる。
「レック。もう一度確認しておきたい。お前の固有魔術は嘘であるかどうかを見抜く。そういうものだな」
岡島はレックに尋ねる。
「ああ。見えている相手にかぎるが」
「たとえば、嘘こそついていないが真実を隠すような、こちらを誤解させるような悪意のある表現。そういったものを見抜くことはできない」
「そうなる」
「つまり、誤解の余地のない答えが期待できる質問が必要になる、というわけだ」
レックの〈偽証看破〉と岡島の〈完全記憶〉は極めて相性がよい。岡島が会話の流れを記憶しておけば、「真実を隠す」ような微妙な表現に対しても後からでも一字一句違わずに検証することができる。
「ちなみに今回、第三皇子の言葉にはなにか一つでも嘘はあったか?」
「一点だけ。“第三皇子ともなると実は暇”、このくらいだな」
「なるほど」しかし、一つ気になることがあった。「彼は“友人だからな”と答えた。俺の頼みを引き受ける理由としてな。これはどうだ?」
「話の流れからノエル准尉が気に入ったからってのが本音だろうが、嘘ではない、という判定にはなるな。あんたを友人だと思ってるのも少なからず本心だし、友人の頼みだから受けようというのも同様だ」
「……そこまで微妙なのか」
「どちらかというと嘘だらけだったのはあんたの方だ」
「だろうな」
ただ、一つの懸念は晴れた。最悪の可能性として第三皇子がすでに創死者や長官と通じていることも考えてはいたが、さすがにこれは杞憂のようだ。
「もう一つ確認したい。お前の固有魔術は人間以外にも通用するのか?」
「言語を発するなら原理上は同じはずだな。人語を発する魔獣……というなら、かつて一度だけ経験がある」
「問題なさそうだな。当日は霊信で嘘の有無を伝えてくれ」
「霊信? あまり得意じゃないんだが……魔力波を調整して、短信と長信を使い分けるんだっけか?」
「短距離で単信号なら問題あるまい」
「そのくらいなら」
「嘘をついていないなら1回。嘘をついていたら2回だ。それから、感覚保護は怠るな。“嘘をついていない”という幻影を見せられては元も子もないからな。頼んだぞ」
「オーケィ」
レックは苦笑した。ついこないだまで海賊をしていた俺が、一転して国家公務員とは。だが、牢獄入りよりは遥かにましだ。部下の釈放もかかっている。今は、この男に付き従うほかない。
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