7.

 ディアスは長い間潜入任務に就いていた。

 創死者の件で帰還次第その捜査活動はいったん棚上げすることになるだろうと岡島は考えていたが、彼の捜査対象は創死者の件と深く関わっていることがわかった。

 贄木にえき――彼は商業都市ケスラにおける大商人、あるいは投資家としてその名を知られている。ほとんど顔を見せることのない謎の多い人物でもある。その莫大な資金に不透明な動きがあった。具体的には、現在下院で与党となっている共業党への違法献金の疑惑があった。ディアスはその贄木の捜査を担当していた。

「結果としてはクロだね。献金記録も、未申告の資産として霊鉱インゴットも見つかった。他にも大量の爆薬やら、螺旋巻ねじまきで発見されたはずの遺物やら。しかし煮え切らないね。いつまで経っても尻尾見せなかったのに突然死ぬなんて。憲兵の捜査も入って片っ端から証拠品をひっくり返してるけど、出るわ出るわ。こりゃ政界は大荒れだと思うよ」

 その贄木が死んだ。彼は人間ではなかった。デュメジルの手足となる被造物クリーチャーだった。

 創死者の計画において彼は資金面を担当し、政界に対しても影響力を持っていた。

 共業党は典型的な極左政党であり、「脱魔術」「魔術によらない社会」を理念として掲げている。魔術は個人の資質による能力差が激しく表れるため、格差や不平等、ひいては不幸の温床となる。それが彼らの主張だ。魔術によらない移動手段として鉄道網の整備は彼らの政策によるものだ。

 現在、その共業党が下院で与党となっている。40年前から急激に勢力を拡大し、その影響力は増すばかりである。その結果、近年魔術戦力は軍縮傾向にある。これは軍による計画の妨害を警戒していた創死者にとっては都合がよかった。

 ただ、それはあくまで副次的なものに過ぎない。創死者が共業党を支持していた最大の目的は永続海底研究都市と叡海深度地下ラグトル調査抗の建造にある。建造に巨大な予算を費やし、維持にも毎年巨額の資金が費やされるこの施設は、研究者にはありがたられる一方でしばしば税金の無駄遣いと揶揄されがちである。「魔術によらない社会のためには魔術の源であるラグトルを研究し解体する必要がある」――理念としてはそのようにもっともらしく語られているが、その実態は贄木、ひいては創死者デュメジルの意思によるものだ。創死者の「ラグトルの全的支配」という計画にとって、叡海深度地下ラグトル調査抗は絶対に欠かせないものだった。

「しかし、彼はなぜ自殺を」

 ディアスはヌフの説明を受けていない。改めて一から説明する必要があった。

「贄木……あの野郎人間じゃなかったって……創死者? 被造物クリーチャー?」

 説明を受け、あまりの情報量に彼は頭を抱えた。

「ところで、贄木は本当に死んでいたのか?」

 岡島は改めて確認する。

「そのはずだ。死体を確認している。使用人の証言からも贄木本人に間違いないと」

「自殺の方法は?」

「肉体内部からの爆発系魔術。頭部と胸部に、おそらくは同時に、ドカンとね。自殺でなきゃこんな死に方はあり得ない。両手に跡もあったからね」

「なるほど。あとで現場検証に曠野も参加させよう。もう少し詳しく調べてもらう」

 岡島が贄木の死について再確認したのは、なんらかの偽装を警戒していたのもあるが、被造物クリーチャーが標準的に備える「死ににくさ」――高い再生能力を持つためでもある。彼らはどんな怪我でもたちどころに修復してしまう。確実に殺すには脳と心臓を同時に機能停止させるほかない。どちらかさえ残っていれば復帰の可能性すらある。それほどの不死性を有する。贄木の自殺方法は、被造物クリーチャーが死ぬための確実な方法によるものだった。

「だが、自殺の理由については贄木の正体から推理することしかできない。少なくとも計画のなかに彼の死は含まれていなかった」

「デュメジルとやらの死を知り、悲観して自殺……そんなところかな?」

「そう。そう考えられるからこそ問題だ。贄木はどうやってデュメジルの死を知った?」

「たしかに……」

 ディアスは顔をしかめる。まだ頭の整理が追いつかないが、深刻な事態に直面していることはわかる。

「我々だけがデュメジルの死を知っている。これは大きな強みだ。逆にいえば、この強みなしに我々は被造物クリーチャーには対抗できない。贄木の死は早くもその崩壊を意味するかもしれない」

「……どこまでわかっているんだ? 俺もあとでヌフの報告書を読ませてもらうが」

「これもまた推測だが、贄木はその固有魔術でデュメジルの死を知ったのだと考えられる。すなわち、未来予知だ」

「――! やつにそんな能力が……。まさか、巨万の富を築いた商才はすべて……」

「そう、その未来予知によるものだ。かなり限定的な予知ではあったようだがな。たとえば、数字の羅列からその先が見える。そんな程度だ。そこまで詳細に未来の像も見えないようだし、見通せる未来も一週間ほど先までにかぎられる。だが、彼はその能力で知ったのだろう。デュメジルと一週間以上連絡のつかない未来。……いや、これだけでは弱いか。とにかく、その能力を用いて間接的にデュメジルの死を知った。そんなところだろう」

「なるほど。だとしたら贄木の死はまだ幸いだったか。他の仲間には……まだ知られてはいないよな?」

「不明だ。贄木は他の仲間と連絡手段を持っていなかった。しかし、デュメジルの死はともかく贄木の死はすぐにでも知られるだろう。明日の新聞にでも載るだろうからな。ならば、他の被造物クリーチャーもこう考えるはずだ。なぜ死んだのか、と。デュメジルは被造物クリーチャーの能力や性質について詳細な評価を行っている。贄木の精神面の評価を見るかぎり、偉大なる父と敬服するデュメジルの死を知ったのなら悲観のあまり後を追うように自殺する可能性は高いといえる」

「当然、そのことは他の仲間も知っている、か?」

「わからんな。デュメジルは秘密主義を徹底していた。彼らがすぐにデュメジルの死に辿り着くかはわからないが……いずれにせよ時間の問題だ。早急に手を打つ必要がある」


 ***


 ニヴォース州北部陸軍訓練場。

 ノエル・コルセアは強敵を前にしていた。

 牛の魔獣。体長4m。体重1.8t。前に突き出た二本の巨大な角を持ち、肉体能力には多大な魔術的強化が施されている。分厚い皮膚、分厚い筋肉、分厚い脂肪。重い肉の塊。対峙するだけで圧迫感に押し潰されそうになる。

 訓練とはいえ、魔獣はただならぬ殺意を湛えていた。「もし殺しそうになったら止める」そんな条件での訓練だが、最悪事故死もありうるほどの危険な内容だ。

 魔獣は鼻息荒く、前足で地面を蹴る。ノエルは自然体に剣を構え、真っすぐにそれを見据える。

 突進。巨体を揺らし、地を鳴らしながら、真っすぐに向かってくる。

 ノエルは逃げない。逃げ回ったところで追い回されるだけだ。ゆえに、ギリギリまで引きつける。魔獣の影がノエルを覆うほどに迫り、角が突き刺さろうという寸前。ノエルは転がりながら横に躱し、すかさず首を斬りつけた。

 が、浅い。というより、肉が分厚すぎる。避けられたことに気づいた魔獣はすぐにノエルの方へ視線を向けた。その隙にノエルはさらに追撃。剣を地面に突き刺し、魔獣の真下より氷柱を形成する。巨体を浮かせ、貫くほどの勢いで。

 が、刺さらない。鋭い氷柱に全体重が支えられたというのにだ。下腹部に直撃し宙に浮かせはしたものの、致命傷には至らない。砂埃を上げ、横に倒れただけだ。出血はしている。ダメージはいかほどか。

 さらなる追撃。宙空に4本の氷槍を現出させ、魔獣へ射出。やはり刺さらない。だが、これはどちらかといえば致命傷より凍傷による弱体化を狙ったものだ。冷気が空気中の水蒸気を凝結させる。それどころか空気すら凍るほどの冷気。魔獣は暴れ回ってこれをいやがる。

 続けてさらに――ノエルは読みの甘さを悔いる。そのときすでに、魔獣は起き上がりノエルに突進していた。

 反応の遅れ。判断の誤り。ノエルは反射的に回避するが、逆に回避が早すぎた。魔獣に動きを見切られ、角はノエルを追尾する。

 境鳴音。皮膚が破れ、肉の抉れる音。ノエルは後方に15mほど吹き飛ばされた。

 一回転。地を転がりさらに一回転。膝をつく。

 ダメージを評価。骨は無事だ。内臓にも届いてはいない。せいぜい痛いのと、あと擦過傷。痛恨のミスだが取り返しはつく。息をつく間もなく再び魔獣が迫る。

 ノエルは、跳んだ。後方宙返り、剣を杖に逆立ちするかの姿勢で、魔獣の脊椎に突き刺す。魔獣は己が突進の勢いのまま切り裂かれていく。彼女が再び地に足をつけたとき、魔獣の巨体は大きく横に崩れた。そして燃え尽きた炭のように、その形を失っていった。

「お見事」

 拍手をしながら近づいてきたのは、この魔獣を生み出した張本人だった。

「ところで、あと9体ほど予備があるんだけど、やっとく?」

「いえ、遠慮しておきます。ありがとうございました」

 騎士マーベリック・ラペズ。この国に現在21名しか存在しない最高峰の国家魔術師の一人。皇国最大戦力である皇国英霊騎士団の一員である。今回の訓練では途中から、そして一時的にとはいえ騎士も参加していた。これは訓練を直接視察し騎士になりうる優秀な人材の発掘も目的に兼ねていた。

 ノエルは彼に背を向け、ひとまず自己回復魔術で腹部の傷を応急手当を施しながら医務室へ向かう。

 ノエルは一時期騎士を目指していたことがあった。今でもその気持ちが残っていないわけではないが、今回ばかりはさすがに諦めた方がいい気がしてきた。実戦では、彼はあの魔獣を複数同時に使役する。一体相手ですら薄氷の勝利だったというのに、だ。

 ノエルは獅士だ。軍全体を見ても彼女と同等以上の術者は百人超ほどであり、所属師団内にかぎればもっと少ない。ゆえに、普段の軍務生活では自身が最強だと誤認することがしばしばある。実際はそうではない。上には上がいる。今回のような大規模訓練はそれを再認識させる目的もあった。

「おっと、こんなところにいたのか」

 医務室で休んでいると、今度は見知らぬ男が声をかけてきた。見たところ軍人でもない。

「はじめまして。私は〈風の噂〉内部犯罪調査室のサルヴァドール岡島という」

「え、あ、はい。よろしく……内部犯罪?」

 身に覚えがない……わけでもなかった。

「待って待って。いやいや。んー、ちょっと心当たりが。まったく心当たりがないんだけど。内部犯罪? なにそれ? 私がなにかしました?」

「嘘だ」岡島の背後からレックが小声で告げる。岡島は「わかってる」と軽く頷いてそれに応える。

「心配しなくても、君の軍務における奔放さを咎めに来たわけじゃない」

「は、はあ……?」

「ただ、君には少し協力してもらいたいと思ってる。今夜、時間はあるかな?」

「今夜といいましても、訓練期間中でして……」

「軍務中はよくない遊びに興じているようだが、まあ今回はそのことを追及しに来たわけではない」

「時間はあると思います」

「ありがとう。すぐに出発しよう」

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