6.
MMドラッグという薬物がある。
クロミユタケというキノコを原料とし、そのままでは致死性の毒キノコだが、同時に一時的な魔力増幅効果で知られている。そこから毒性だけを精製によって取り除いたものがMMドラッグである。見た目は黒い飴玉のような粒になる。
ただ、魔力の増幅という効用それ自体が対象の精神を不安定にし、攻撃性が増す。さらには強い依存性も報告されている。
60年前に突如として巷に流行しはじめたその薬物を皇国はすぐに違法に指定。その使用者や売人を摘発し続けたが、その製造元はいまだに特定できていない。「MMドラッグは自然発生する」そんな都市伝説までまことしやかに語られるほどだった。
実態は、ある一つの麻薬組織によって、その精製法も含め独占的に製造されている。
霧の深い山奥でひっそりと、原料であるクロミユタケの栽培もしていた。
「なぜだ。なぜ定期連絡がこない」
組織におけるツートップの一人、エオスは苛立ちながら幾度も同じ問いを繰り返していた。黒い長髪に人間離れした端正な顔立ちをしていたが、苛立ちによりその顔は歪められていた。
「なぜ霊信が通じない?」
これもまた同様である。彼はいつまでも音を立てない長距離霊信装置を延々と睨みつけていた。
同じ部屋にはツートップのもう一人、アリンダがいた。同様に艶のある黒髪と美貌を有していたが、その顔は消えない不安により曇っていた。
同じ疑問を抱える彼女に何度問いをぶつけようと、答えなど得られるはずがない。
「なにかあった、としか考えられない」
「そうだな。なにかあった。あったんだろうさ。だが、なにがあった?」
いくら思考を巡らせても、いったいどのような不備が生じたのか見当もつかない。
計画はもう佳境に迫っていた。MMドラッグは本来の役割を終え、今は資金繰りに利用している。近く、彼ら自身の役割も終わるはずだった。その最終的な打ち合わせは絶対に必要になる。
連絡途絶から二日。ただの二日とはいえ、定期連絡が途絶えたことはない。こんなことは一度もなかった。あのお方は連絡なしに予定を違えたことなど一度たりともない。
几帳面で、慎重で、思慮深く、偉大にして聡明。間違いなど起こるはずがない。だが、起こってしまっている。
「どうすればいい。このままでは計画はどうなる」
こういった場合、こちらから連絡をとる手段はかぎられる。あのお方は秘密主義を徹底してきた。彼らはあのお方の居場所すら知らされていない。
ゆえに、彼らに知る由もない。
あのお方――彼らの偉大なる父〈創死者〉デュメジルは、とうに死亡しているなどと。
***
ブリュメ州遺物管理局。
文字通り、凪ノ時代以前の遺跡から発見された「遺物」を管理する軍属の機関だ。凪ノ時代は600~400年前の時代を指すが、キールニール禍やイニアの断絶によって膨大な技術と史料が失われている。ゆえに、その時代から残存する遺物は現代の我々にとって理解を超えるものも多い。遺物は単に奇異なものから有用なものまで多種多様に存在している。それらの出自は当時の失われた技術によるものだったり、異世界から紛れ込んだものであったり、あるいは魔素に晒され変質したものなど様々だ。
軍がそれらを収集し管理しているのは、そのうちに考古学的価値に留まらない軍事的に価値の高いものが含まれるためだ。一方、軍以外にもその有用さに頼ろうとするものは後を絶たない。
「久しぶりだな。元気してた?」
人のよさそうな笑みを浮かべる内部犯罪調査室サルヴァドール岡島も、またその一人だ。
「久しぶり? 久しぶりだと? ついこないだ二か月前に貸してやったばかりなんだがな」
管理局・局長キース・クレイブスはその客人に対し露骨にいやそうな顔を向けた。岡島とは同年代の、眼鏡をかけた軍属の考古学者だ。
「二か月! そんなに顔を見せてなかったのか。やはり久しぶりだな」
「今度はなにを借りるつもりだ? 探し物発見機か? 貸さないがな」
「いやいや、重大な事件なんだ」
「前もいったが、もう一度いう。ここで管理しているのは貴重な考古学的史料であって、便利なお助けグッズじゃない」
「軍に有用性を嘯き予算を得て個人的な考古学的好奇心を満たすための場所、だろ? たまにはちゃんと有用性をアピールしておかないとダメじゃないか?」
「たまには? お前が一年に何度貸出申請に来てるか教えてやろうか? いや知ってるな。覚えてるな。いまさらいうまでもないな」
「年に7~8回。うち受理されるのは4回くらいか。いつもありがとう」
「そうだ。というのも、お前がありもしないものを求めるからだ。こちらとしてもないものは渡せん」
「目録をもらえれば、こちらもないものねだりをしなくて済むんだが」
「渡せるわけがないだろう。国家最重要機密の一つだ。こればかりは私の一存ではどうにもならん」
「そうか。ならこうしよう。もし目当てのものがなければ諦める。だから話だけでも聞いてくれ」
「はあ……」
深いため息。いつもの流れだ。
「10年前のことは今でも感謝している。そのことを恩に思っているからこそ、今までお前の申請はできるだけ受理してきた。だが、正直なところ……とっくに利子付きで返せてしまっている気がするんだ」
「実は俺もそう思う」
「そうか……」
キースは頭を抱えたが、岡島のこういう態度は憎めずにいる。
「わかった。話せ。なければ諦めろ」
「よしきた。礼を言う。つまりこれだ」岡島はボロボロになった日記を取り出した。残骸も含めてガラスケース内に収納してある。「これを読める状態に復元したい」
「無理だな」即答。
「いや、あるはずだ。きっとある。そうだ、たしかにあったはずだ」
「なにが“はず”だ。忘れるとか記憶が朧気とか、お前そういうのはとうの昔になくしているだろ」
「俺はそうだが。お前はどうだ? ホントにないのか? 思い出してくれ」
「まったく、なんでもあると思うな。要はこの本? 本だよな? これの中身を読みたいってことでいいんだな?」
「そうだ。やはりなにかあるか」
実のところキースには心当たりが二つあった。
一つはそのあまりの危険性により絶対に貸し出すことのできないもの。今回のようなケースの場合、多大なリスクを覚悟しなければ望み通りの効果は期待できない。
話すとしたら後者の心当たりだが、こちらも困難極まる。キースとしても意地悪がしたいわけではないし、岡島が私情で動いているわけではないことも知っている。とはいえ、どちらも心当たりとして口に出すことすら憚れるものだった。
「……で、これはなんなんだ。なぜ読みたがる? そんなに重要なものか?」
「重要だ。途方もなく巨大な犯罪の証拠になる」
「途方もなく巨大、か。お前の仕事柄もあるから詳しくは聞かないが……」
「国家の危機。あるいはそれに準ずるレベルだ」
「大袈裟ではないんだな?」
「ああ」
「……わかった。心当たりだけ教えよう。だが、あらかじめ言っておくぞ。無理だとな」
「頼む」
「重ねていうが、これはお前を諦めさせるために言うんだからな」
「わかってる」
キースは一呼吸し、岡島の目を見て話した。
「時戻りの
ヨギアはアイゼルの隣国であるが、隣国であるがゆえ、そして歴史的経緯からも決して友好とはいいがたい微妙な関係にある。
「取り寄せられないか」
「だから無理だといったろう。貸し出せなどするものか。あのヨギアだぞ」
「なるほど。残念だな。700年以上前から連なる日記を読む手段はやはりないのか……」
「なに?」
キースの目の色が変わる。
「待て。700年だと? それも連続した?」
「すまない。邪魔をしたな。無理なものは仕方ない」
「私が取り次ぐ。多少時間はかかるが待っていてくれ。その代り、その日記は読ませてもらう。複製でよいからよこせ」
岡島はくるりと振り返る。
「話がわかる。さすがキースだ」
***
「ねえ、ヌフ。その
資料の整理を続けるヌフシャペラに、暇そうにしているリミヤが横から尋ねる。
「え、いや無理でしょ。全然無理。戦力評価の報告書読んでない? デュメジルも騎士を超えると評価してるし、魔力出力の測定結果を見てもまあ間違いない。彼らは現在この地上で最強の生物だよ。神獣を除けばね。リミヤなんか勝てっこない」
「いや、勝てる」いつの間にか戻っていた岡島が口を挟む。「リミヤの固有魔術にうまく嵌めればな」
それを聞いてヌフも少し考える。
「どうかなあ。むずかしい気がする。際どい気がするなあ」
「条件さえ揃えばリミヤは無敵だ。相手が騎士であれ、
リミヤの能力に対し、岡島は全幅の信頼を置いている。
「えへー、やっぱりそう?」
対し、にやけ面で得意げなリミヤ。
「……ダメな気がするなあ」訝しげなヌフ。「で、リミヤのことは置いといて。ユーサリアン長官の方はどうするの。強敵だよ」
目下、最大の問題はそこにある。
「曠野に動いてもらっている。ひとまずは報告待ちだな」
〈風の噂〉長官ラガルド・ユーサリアン。
元陸軍元帥にして、現陸軍大将。彼は二度も人間として軍に潜入している。
一度目はラギエ元帥として。伝説の軍人として知られ、〈風の噂〉設立にも深く関わっている人物だ。そもそも〈風の噂〉自体が創死者の意向に沿って計画を円滑に進めるための情報収集を意図して設立された節がある。ラギエ元帥は退役後、68歳で病に倒れたとされる。
二度目はラガルド・ユーサリアンとして。
岡島にとっても、この事実を信じることは難しかった。
岡島はかつて軍士官だったが、噴煌災害に巻き込まれ負傷し、若くして軍を退役せざるをえなくなった。全治三か月、回復したとしても魔術戦闘は困難だろうという診断だ。少なくとも第一線に立つのは不可能だった。失意の入院生活を続けるなか、彼は事故の後遺症として完全記憶能力を手にしていることに気づく。もはや軍への復帰は叶わないが、有用な能力には違いない。それを認められ、ユーサリアンの推薦によって〈風の噂〉に再就職した経緯がある。岡島にとって彼は恩人に当たる。
ただ、彼の正体について信じられずにいる理由は私情によるものだけではない。岡島はその仕事に就くにあたり、膨大な資料を片端から読み漁っている。一度記憶したものは二度と忘れないというその能力を活かすため、あらゆる事件の記録や軍人・政治家の経歴などひたすら頭に叩き込んだ。将官以上の重要度の高い人物ならなおさらだ。その記憶において、ユーサリアンに怪しむべき点はない。清廉潔白な愛国者であり、人望も厚く、多くの功績を残している。そんな彼にただ一つ、怪しむ点があるとすれば、彼が戦災孤児であるということだ。すなわち、「彼がどこから来たのか」誰も知らないのである。
内部犯罪調査室は〈風の噂〉から独立した組織だ。現在も名目上〈風の噂〉に属することになっているが、指揮系統は独立し、本部施設も独立している。ただ、もとは〈風の噂〉から派生した組織であり、関わりは深い。単独の情報収集能力では限界があるため相互に連携することが常である。
今回の事件については、隕鉄事故現場と最寄りの基地司令官が岡島の知人であったため、〈風の噂〉を介さずに通報は直接届けられた。その後できるだけ箝口令を敷いたが、隕鉄事故そのものの情報はすでに〈風の噂〉なら掴んでいるだろう。
だが、ユーサリアン長官もそれがなにを意味するかまでは理解していないはずだ。デュメジルは徹底した秘密主義によりその居場所はおろか、魔術工房の位置すら部下には伝えていないからだ。
強みはまだ失われていない。だが、真っ向からぶつかるには分の悪い相手だ。
証拠はある。だが、ただそれを突きつけるだけではどうにもならないだろう。騎士をも凌駕する魔術能力、仮に暴れられたらそれだけで対処ができない。あの長官に「暴れる」などという言葉はあまりにも不似合いだが、その気になれば我々を皆殺しにし、我々の手にした証拠をすべて消し去るくらいは造作もないはずだ。
首謀者である創死者が死亡した今、そこまでするかはわからない。どう動くかは未知数だ。反撃がなかったとしても、単に逃げられるだけでも手立てはない。反撃されても封じられ、絶対に逃がすこともない。そんな状況を用意する必要があった。
「……そろそろだな」
定刻になったためレグナが穴を開き、曠野が帰還する。
「どうだ」
「ダメですね。取り付く島もありません」
「やっぱりダメか。権限を発動してもいいが……いや、まだだな。あまり大っぴらに動きたくない。手間だが、今度は俺が行く。手土産も持ってな」
「……あの人じゃなきゃダメ、なんですか?」
「あれじゃなきゃダメってことはないだろうが、一刻を争うし、確実に創死者とは無関係でその手も及んでいない、ってなると、やっぱな」
「その点に異論はありませんが、他にいなかったんですか」
「いないだろうな。なにせ〈風の噂〉が相手だ。そのうえ陸軍大将。どこまで手が及んでいるやら。デュメジルも、個々の
同日。忙殺に追い打ちをかけるように、ケスラの大商人として知られる
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