3.

 ニヴォース州北部陸軍訓練場。

 獅士、重士を中心に二か月に渡る大規模な合同訓練が実施され、今回は〈風の噂〉の一員も参加している。

 魔術は誰にでも扱うことができるが、個々人での力量差は極めて大きい。魔力量だけとってみても、場合によっては二桁以上の差もありうる。魔力の事象変換効率の差も大きく、火を起こす魔術であれば焚き火に利用する程度が限界であるものもいれば、攻城兵器として利用できるほどの威力を発揮するものまでいる。魔術能力の差は身体能力にも大きく影響し、筋力、耐久力、瞬発力、俊敏性、反応速度、思考速度、すべてが魔術能力の差として表れる。さらには単なる戦闘技能に留まらず、魔術によっては索敵や兵站にも影響する。

 ゆえに、軍は常に高い魔術能力者を求めている。こうして定期的に行われる大規模訓練はそのためだ。

 魔術能力・練度の向上を目的に、その内容は多岐にわたる。基礎魔力量を高めることを目的とした耐久訓練。軍の用意した魔獣との戦闘訓練。関係精度を高めるための認識訓練。様々な作戦状況を想定し再現した部隊演習。果ては魔術によらない肉体訓練まで。過酷な訓練は、確実に結果として表れる。

 その一角に、ひときわ賑わう人集りがあった。有数の実力者同士による一対一での魔術格闘演習が行われていたからだ。

「どっちだと思う?」

「そりゃノエル姐さんでしょ」

 一方は獅士ノエル・コルセア。艶やかな褐色の肌、輝く銀髪を靡かせる、氷のように鋭い眼光を持つ女軍人だ。その魔術階級だけで、彼女が国内で120人ほどにかぎられる準最高の国家魔術師であることを意味する。細身の剣を片手に、周囲の空気は凍てついているように見えた。観客の反応からも、彼女が名のある実力者であることが察せられた。

 もう一方は少女と呼べるほどに若く、背も低い。短い金髪に純朴そうな顔立ちは一瞬少年と見紛う。武器は金属製の長い棒。先が銃床のような形状をしていることを除けば、見た目はただの棒だ。階級章は身に着けておらず、パッと見で実力のほどはわからない。だが、同様の格闘演習では現在まで負けなしである。

 睨み合いが続く。両者とも無傷ではあるが、すでに幾度か攻防を交わしている。実力はほぼ互角。観客も、対峙する両者も、続く均衡状態に焦れはじめていた。

 ノエルが構えを変える。氷晶魔術だ。剣を中心に気温が急激に下がり始める。

 なにかしてくる。その前にこちらから仕掛けるべきか。だが、それこそが罠かもしれない。一瞬の判断の遅れ。もはや手を打つには遅い。

 剣を地に突き刺す。氷柱が地を破るよう無数に形成される。その高さは少女の視界を遮るほど。驚異的な形成速度だが、攻撃と呼ぶには鈍い。向かってくる氷柱を躱すのは容易だった。

 これは目くらましだ。死角に回り込み奇襲。狙いはそんなところだろう。警戒――目の端に映る、氷柱の鏡面に影。

 後ろか! 振り返るも姿はない。

「――?」

 幻影魔術――否!

 火花が散り、金属音が響く。少女はギリギリでノエルの剣を防いだ。後ろではない。影の映った正面からノエルは現れた。だが、その先は氷柱により進路が塞がれていたはず。

 すなわち、氷柱に映った影は鏡面反射によるものではない。左右非対称の容姿をしていたはずの彼女が、そのままの姿で映っていたのだから。 

「幻現魔術……!」

「正解」

 像が少女の目に映ったあのときまで、それは幻だった。少女はほんのわずかでもそれが実在だと誤認してしまった。その隙をつき、幻と現実を入れ替える魔術。それが幻現魔術だ。

「でも次からは無駄だよ。感覚保護するし」

「え、してなかったの」

 続く鍔迫り合い。ノエルは複数の氷柱を宙空に現出させ、その先端を少女に向けた。少女は慌てて後退。その足跡を追うように氷の槍が地に突き刺さる。怒涛の連続攻撃に少女は姿勢を崩す。その隙をノエルは見逃さない。畳みかけるように追撃。上段、右、左、さらに左。踊るように華麗で、鬼気迫るほど苛烈に。勝負を決める気で踏み込んでくる。

「わ、わわっ」

 間抜けな声とは裏腹に、少女はそのすべてに対応していた。今にも倒れそうな不安定さで、崩れない。それは天性の反射神経と体幹のなせる業だ。しかし防戦一方、やむことのない激しい連撃に反撃の暇はない。決着は時間の問題に思えた。

 だがノエルは気づく。いつからか少女が防御に左手を使っていないことに。

「しまっ――」

 爆発系魔術。即席とはいえ至近距離ゆえ威力は十分。とっさに後方へ回避するもダメージは避けられない。視力と聴覚を一時的に奪われ、煙のために咳き込む。

 まずい。はやく防御態勢を――

「勝ちぃ」

 横薙ぎの一閃。煙が晴れる。

 少女の攻撃は横腹に当たる直前で止められていた。このまま打ち抜いていればノエルは確実に戦闘不能に陥っていただろう。

 少女は勝ち誇った笑みを浮かべた。

 ほどなくして歓声が上がる。

 下馬評ではノエルの勝ちに傾いていたのだ。実際に賭けがあったわけではない――そう、国家公務員たる軍人が職務中に賭け事などあるはずがない。絶対に。多分きっとおそらく――が、まさかの大穴だ。盛り上がらないはずがない。

「なぜ寸止めを?」

「訓練ですし。でも、これで勝ちは勝ちでしょ」

「そうだな。そのまま振り抜かれていたら終わっていた」にやり、と不敵な笑みを浮かべる。「お前がな」

 後ろから。信じがたいごとに、その声は後ろから響いた。

 振り向く。よりも先に、肩をポン、と叩かれる。

「うそでしょ」

 むに。人差し指が頬に突き刺さる。そこにはノエルの姿があった。今度は彼女が勝ち誇った笑みを浮かべて。

「どういう……」前にいたはずのノエルに目をやる。

 氷像。それはノエルの形をした氷像だった。そして役割を終えたのを悟ったように、硝子のように砕け散った。

 どんでん返しに会場は再び沸いた。

「リミヤ! 仕事だ」

「……レグナ?」

 歓声の中で掻き消え、何度目かでようやく耳に届いた呼び声。

 少女――リミヤは、観客の輪を抜け、声のもとへ向かった。

「えっと、なんでここに? まだ訓練期間中だけど」

「残念だが終わりだ。これは室長命令だ」

「室長? うーん、いや、行くけど。そりゃ行くけど、うーん」

 リミヤは釈然としない。振り返るとノエルが腕を組んでニヤニヤしている。

 釈然としない。釈然としない、が、しかしこれではまるで――

「リミヤ」

「あ、うん、行くって! あーもう」

 渋々リミヤはレグナのあとをついていく。

 訓練場は全体が対魔術障壁で囲われているためレグナの空間接続魔術で行き来することはできない。よって、外までは歩いて出る必要がある。すなわち、その間は背後の視線を気にし続けなければならないことになる。最後までリミヤはしかめ面のままだった。


 ***


「すまないなリミヤ。訓練の参加を促したのは俺だというのに」

「えーまー、ご命令ですから」

 本来の職場である内部犯罪調査室に戻り、上司を目の前にしてもなお、リミヤはふてくされた表情のままだった。

「……ずいぶんご機嫌斜めだな。レグナ、こいつはそんなに訓練にのめりこんでいたのか?」

「まあ、そのようで」

「行く前はめんどくさがっていたんだがな」

「あー!」リミヤが声を上げる。「ですよ!」

 突然の大声に岡島は思わずたじろぐ。

「幻現魔術です! 寸止めのときまではちゃんと実体だったんですよ! 勝ったと思ったんで私、感覚保護を解いたんです! そのときに幻聴で後ろから声を聞こえるようにして、後ろにいるように思わせて、それから……つまり負け惜しみじゃないですか!」

「お、おう?」

 当然、岡島にはなんのことだかわからない。

「レグナは見てたよね! どんなんだった? いんちきでしょあんなの」

「いや……人垣が邪魔で試合の様子はそんなに……」

「リミヤ」

 無関係の話をしていることだけは察した岡島が制止する。

「あ、いえ、すみません」

 リミヤはばつの悪そうに顔を伏せた。

「要するに、勝ったと思って油断してたということだろ。訓練の成果はあったわけだな。いや、教訓というべきか」

「え、そういう話になるんです?」

「くやしかったら次からは油断しないことだ。あるいはとどめを刺せ」

「むー……」

 やはり釈然としないリミヤだった。

「仕事の話に戻るぞ。まだ詳細はわかっていないが、相手はおそらく海賊だ。その拠点に強襲をかけてもらう。任務はリミヤ、レグナ、曠野の三人に担当してもらう」

「海賊? そういうのって軍とか憲兵の仕事じゃないんですか?」

「詳しい話は……まあ、あとにしようか」岡島は机に地図を広げる。「相手が海賊、というのはまだ“かもしれん”という程度で推測の域を出ない。が、竜口湾、ヨギアやゾルティアとの国境付近で好き勝手やっている海賊の存在は前々から確認されていた。近くに昨夜海賊に襲われ座礁した商船が見つかっている。そこから金品を物色した帰りだった、と考えると辻褄が合う。まあ、まったく無関係の通りすがりの一般人という可能性もあるがな。最終確認は直前に曠野の共感追跡魔術で行うが、アジトのありそうな場所はいくらか目星をつけている。海賊なら船にでも乗ってる最中かもしれんな。いずれにせよそこへ強襲をかけ、文書を確保しろ。最優先はそれだ」

「文書?」リミヤは話についていけない。

「あー、いや、そうだな。それについてはレグナと曠野に任せよう。リミヤは制圧を担当してくれ。敵のリーダー格は生け捕りに。それ以外は殺しても構わん」

「殺さなくても?」

「構わんが、逃げられるのは望ましくない」

「大変そう」

「……そうだな。敵の規模は不明だ。過去の海賊の活動記録からは20名前後と推察される。追跡魔術に対する逆走が確認されないようなら、レグナの覗き穴で偵察するといいだろう。いつもの流れだ」

「了解」「わかりました」「えっと、りょーかい」

「では、すぐにでもはじめてくれ」


 ***


 レックはページをめくる手が震えていることに気づいた。

 7体の被造物クリーチャー。国家機関への潜入。政治工作。ラグトル純結晶の奪取。すべての魔術の支配。重大な犯罪の計画と証拠。

 突拍子のない話の数々に、はじめは創作かと思った。読み進めるほどに疑念は確信へと塗りつぶされていく。記憶にある不可解な事件の数々、その裏側。すべて辻褄が合う。

 この内容が真実なら。日記の筆者は何百年も前から生きており。あの場所は国家規模に匹敵する魔術工房であり。世界すら手中に収めるほどの壮大な計画とその準備が水面下で進められており――。

 ほどほどに船を襲って生計を立てる小悪党に過ぎないレックからは想像もつかない世界。これが空想により書かれたものなら湧き上がる感情は昂揚だけで済んだだろう。

 昨夜の現場は軍が囲んでいたという。施設の所有者は重大な犯罪の首謀者。あのあれも、あの星が落ちたかの瞬きも、やはり攻撃だったのだ。完全ではないにせよ、一本に繋がっていく。

 やばい。途方もなく。

 すぐにでも軍は文書の不備に気づくだろう。それどころか足跡を残してしまっていたかもしれない。この内容、軍は本気で追跡するに違いない。ならば、このアジトはいずれ見つかるだろう。そして軍が本気を出したのなら、我々などひとたまりもない。

「お前ら逃げるぞ! 早く支度をしろ! ここを離れるんだ!」

 なにも知らぬ部下に命令と熱気が伝わるにはあまりに遅く。

 洞窟内にはすでに、およそ場に似つかわしくない異物。一人の少女が立っていた。

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