第三章 光の照らすもの-4
目前の敵を退けたものの、周囲ではいまだに金属の打ち合う音が響いている。激しい砂煙の中で、両軍の血で血を洗う壮絶な戦闘が続いているのだ。この町の人間にとっては、日常かもしれなかったが、このような集団戦に初めて触れる三人には、この戦いの姿が神話の戦争のように歴史を動かすような巨大なものに感じられた。アクマであるシトリーも、周囲で流れる血の量を思うとめまいのようなものを感じる。
「しかし、ひどい戦いです。」
「まったく…ですね。」
刀の血をぬぐいながらシュリが答えた。
「一度の戦いで、こんなに血が流れるとは…これが、この砂漠の現実なんでしょうか。」
「わかりません。ただ、彼らの生きている砂漠は、決してやさしくはないということなのでしょう。この土地では、我々ヒトもアクマも自然の一部でしかないということなのでしょうね。」
「今まで住んでいた世界が、うそのようですね。」
「えぇ、マルバスの居たハチボリが平和に思えます。」
「姉さんも、シトリーさんも、感傷に浸っている場合じゃないですよ。」
思わず話し込む二人を、クリネがたしなめるように制する。
「聞こえるでしょう?さっきから…この地響きのような音が。」
「えぇ、何ですかね、この音は。」
クリネがあたりを見回す。遠くで、悲鳴が聞こえる。傭兵たちが混乱し、逃げ回っているようだ。
「な、なんですか、これは!」
「何かが、近づいてきますね…」
だんだんと地響きが近付くなか、じっとりと、熱さではない汗が背をつたう。そして、それは姿を現した。
「あれは…カルド…。」
三人の視線の先には、深灰の皮膚にたくましい四肢を持つ、四足の獣の姿があった。その体躯は、頭だけでヒトの上半身ほどもある。その暴力の塊は、鋭い牙とまだらな臼歯を持つ口をゆっくりと開け、自らが吹き飛ばし、呻くヒトを、頭から食べた。ボリボリと音を立て、ヂュルヂュルと血をすする。周囲のヒトが、目を見開き慄いている。シュリとクリネは、今までの場数からか幾分毅然としているが、それでも息をのむ音が聞こえた。
カルドの横に二人のアクマが控えている。こちらを見て武器を構えた。
「まさか、アクマがそちらへいるとはな。我々アンリ教へ刃を向けるというのか。」
彼らは、ヒトの体にゾウのような頭を持っている。言語を扱うというのなら、それなりの知能と力はあるのだろう。二人とも、杖を持ち白いローブを羽織っている。
「残念ながら、僕は魔神に興味はありませんよ。その…アンリ教?名前も知らなかった。」
シトリーは、首を振り答えながらも油断なく二人のアクマを見据えた。その発言に、彼らが目尻をあげる。
「なるほど。それほど力のあるアクマでありながら、我らが教えを解さず、魔神アンリ・マンユ様のご尊名も知らず、ヒトとともに我々へ牙をむくのか。」
「アクマの面汚しですな。その血の一滴、肉の一片まで魔神様への供物にしてやりましょう。」
口ぶりこそ丁寧だが、獰猛な目線を向けられる。
「シュリさん、クリネさん、どうやら彼らは僕に用があるみたいです。あのカルドは、お二人に任せても?」
指さす先には、二人のアクマの傍らでこちらをにらみ、よだれを垂れているカルドがいる。
「えぇ。私もあのカルドとやらに用があるわ。良いでしょ、姉さん。」
「もちろんです。目の前で、何人ものヒトを…存分にやりましょう。」
二人からは、いつにない気迫とも殺気ともいえる圧力を感じる。何も心配はないだろう、とシトリーは杖を構え二人のアクマへとむけた。
「僕はシトリー。君たちは?」
「我々アンリ教の神官はヴェータラと呼ばれている。あなたならすぐ、ヴェータラにでもなれますよ。」
「お断りです。」
先に動いたのは、シトリーだった。地面へ杖の石突を立てると、地面が砕け、こぶし大の石つぶてが飛んだ。ヴェータラの一人が、杖を掲げて唱える。
“トリン”
つぶての射線上に光が集まる。それは、質量を持つかのように空気を揺らしながら膨張すると、一気に爆ぜた。
おそらく、つぶてはすべて叩き落とされただろう。爆発の衝撃と溢れる光に一瞬目がくらむ。
―これは、まずい。
その隙に、もう一人のヴェータラが一気に身を寄せるとシトリーの左から杖を振りかぶった。何とか杖を合わせて防ぐが、
“フウリ”
唱える言葉とともにヴェータラの杖先から風の刃が迸った。身をねじって躱すが、左腕を浅く斬られた。着ているローブの袖が垂れ下がる。それからも何度か土塊や雷の応酬があった。しかし、そのたびに光に阻まれ、風に襲われ、シトリーはぼろのように全身を斬られていた。傷はすべて浅い。だが、無視できぬ惨状だった。
「なんだ、こんなものか、えぇ?」
ヴェータラの一人が、これまでの宗教家然とした威厳がうそのように、獰猛さをむき出しに叫んだ。戦いの中で、アクマの闘争心に熱が籠ってきたのだろう。
「大丈夫、そのうちそんな心配もできなくなりますよ。」
努めて軽く答えると、杖を構えなおした。相手の力もだいたい分かった。シトリーの頭は、すでに脅威を感じてはいなかった。シトリーの杖に、何度目かの明かりが灯る。雷がヴェータラへとはしる。光がはじけ、雷が砕ける。右から風が迫る。咄嗟に、自身の周囲に岩をせり出し、風が霧散した。今度は三本の雷を、光を使うヴェータラへ打ち込む。そのまま踏み込み、接近していた風使いへ杖を振り下ろした。杖と杖が金属音を響かせる。つばぜりあう二人のアクマが、獰猛に牙をむきあう。シトリーの顔も、戦いの中でシュリやクリネに見せたこともない獣性を帯びた。もう一人のヴェータラが、雷をさばいて駆けつけようとするが、横目でにらむと地面からせりあがった岩が邪魔をする。シトリーは一層力を籠め、踏ん張り、腰の入った相手の足元の、地面をわずかにせりあがらせる。相手は、足を取られ、杖を押す力が緩んだ。すかさずシトリーは杖を引くと、至近距離から雷を撃ち込んだ。眼前のヴェータラの半身が焼け飛び、肉の焦げる異臭をまき散らす。次の相手に目をやると、すぐそこへ光の弾が迫っていた。魔力を込めた杖を振るいこれを防ぐ。すると、立て続けに前左右の三方向から光が襲ってきた。それぞれに土壁をあげて防ごうとするも、すべては受けきれず接近を許してしまう。シトリーの左半身間近で光が爆ぜ、熱量と衝撃に膝をつきそうになる。
―だが、
相手も三つもの弾を同時に操ると、しばらくは動きが鈍い。足を踏みしめて衝撃をこらえると正面の土壁を相手へ向けて吹き飛ばした。時折キラキラと輝く破片が降り注ぎ、ヴェータラを切り裂く。その一瞬に、十分な隙を見た。真っ直ぐ矢のような雷がはしる。ヴェータラは、胸にぽっかりと穴をあけ、仰向けに倒れ込んだ。血は流れない。駆け抜けた雷光は、肉も血も焼き固めていた。
一方、姉妹の戦いはと目を向けると、彼女たちは完全にカルドを圧倒していた。クリネが正面に立ち、シュリが周囲を舞うように斬りつけている。二人の剣が淡く輝いて見えるのは、シュリの魔法の力だろう。カルドの体にはみるみる傷が刻まれ、爪は折れ、牙は砕かれた。そして程なく、灰色の暴力は地に伏したのだった。
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